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滅亡した国の姫神子は
BLファンタジーBL
2024年07月24日
公開日
35,841文字
完結
ギルガドゥ王国に攻め滅ぼされたハフジャン王国の姫神子サナートが、十年後に再び「ハフジャン王国の姫神子を探せ」というギルガドゥ国王の命令によって捜索されることになる。息をひそめて田舎に隠れているサナートの目の前に、姫神子を名乗る女があらわれた。

第1話

「姫様、こちらです」

 サナートは急いでいた。傍付きの使用人の女の表情がこわばっていた。緊急きんきゅうに王とした謁見えっけんからもどってすぐ、姫神子の衣類から市井しせいの少年の服に替えるのに慣れない思いをしていた。いつも着ているのは女性向けに作られたものだったから、手間取っていた。

 サナートは少年でいながら神殿と国に選ばれた姫神子としてこのハフジャン王国の占星術せんせいじゅつをしていた。しかし、早々にこの姫神子殿を逃げなくてはならなかった。

 頬を傍付きの女からタオルで拭われたのは、落としたばかりの化粧がまだ残っていたのだろうか。

「さ、こちらに……」

「待ってくれ。これも置いて行くのか?」

「それこそ、持って行くのは危険です」

 サナートは私用の青玉せいぎょく占星盤せんせいばんをもって行くことをあきらめた。気に入っている品だったがしかたない。

 女が、サナートの肩を支えて説き聞かせた。

「よいですか姫様、これからは人前で占星術みわざをしてはなりません」

「どうしても?」

「ぜったいに駄目です。あなたの命に関わります、あなたはこれから姫神子ではなく、ただ一人の少年サナートになるのです」

 説き聞かせられ、サナートは歩きなれた姫神子殿のなかをいそぎ足で逃げていた。

 サナートのいるハフジャン王国は隣国ギルガドゥ王国にけしかけられた戦いをよく守っていたが、裏切り者が出たために守備に穴があき、そこを突かれた。国が滅亡めつぼうするところまで、あっという間のことだった。

 王宮どころか、この神殿もじきに敵国ギルガドゥ王国の手に落ちる。軍勢は目前に差し迫っていると聞いていた。サナートは自分をいつくしんでくれた王を置いて逃げるのは本当は嫌だった。

「国は、陛下はどうなるのですか?」

「今はお気になさいますな」

 ハフジャン王国の王、ルネブルムのことをサナートは思う。先ほど会った時に、自分が最後に使う事になる武器を選んでいたのだと微笑ほほえんでいた。王妃や王子たちがどうしたのかきくこともできず、ルネブルム王はサナートに「早く逃げなさい」と、これまで以上に優しかった。

 サナートをわが子のようにいつくしんだ王を置いて逃げなくてはならないのが苦しかった。

「陛下に言われたのでしょう?早く逃げよと。つまり、姫様はこの先も生きなければなりません」

「わかっています」

 あの青玉せいぎょく占星盤せんせいばんが気になっていた。あれはルネブルム王から最初に下賜かしされた品としてサナートが受け取ったもので、五歳から使っていたものだ。

 何もかも名残なごりしい思いをしながら、サナートは姫神子殿から神殿への渡り廊下を急いだ。

「こちらです、姫様」

 神殿には、これまでよくしてくれていた文官のガイバリィと、武官のオンワートがいた。彼らの部下が逃げ道を案内してくれることになっていた。

「お二方とも、これきりでさらばです。どうかお元気で」

「姫様、お早く」

 二人の姿が薄闇うすやみにじんでとけていく。逃げなくては、でもどこへ行くのだろう?逃げる先についてサナートは何も聞いていなかった。

 サナートはハフジャンの神と人の間の調整役としての姫神子で、世の中のことをいまいち知らなかった。どこに逃げるあてがあるのか、ただ神の示す先にと、サンダルをはいた足を急がせていた。曖昧あいまい模糊もことした宙を蹴るような頼りなさで、足がもつれてえていく。

「サナート。朝だぞ」

「う……」

 目の前に光が満ちて、サナートはまぶしさに顔をしかめた。

「起きろ。ダンジョンで今月は何をとるか、仲間と話しあいに行くんだろう?」

 低い優しい声と軽い接吻、ぎ慣れた騎士の汗止めの香りが鼻先に漂う。

 サナートはゆっくりと浅い眠りの夢から覚めた。旧ハフジャン王国の姫神子だったころの夢を見ていた。粗末だが清潔な寝床から起き上がり、背伸びをする。

 ここは王都フルージュにある姫神子殿ではなく、旧ハフジャンの地方都市ハトヤにある独身向けのアパートの一室で、昨夜は恋人のアルトが泊まりに来ていた。

 故郷がほろんで、もう十年になる。その間、名も定かに書類に残されていない姫神子を捜索そうさくするギルガドゥ王国の手はあちこちにのびたが、十年もたつと、そんな話も聞かなくなっていた。

 サナートは眠気のまま半分目を閉じたまま洗面台に行くと、アルトが歯をみがいていた。彼はサナートから見てもだいぶ背がたかく、洗面台の鏡の前に前後に並んで、朝のよわいサナートは後ろのアルトの胸板によりかかることもあった。

「アルトは今日は?」

「昼を食べたらギルド長にあいさつをして、宿舎に戻る」

「そっか」

「今朝の占いを立てたらどうだ?姫神子様」

「ああそうか、そうだね……」

 サナートはいつもしているように、中古品で買った碧玉へきぎょく占星盤せんせいばんでこの日一日を占った。朝の占いは、今日のきと伝えてくる。何か一つ幸せと、運命さだめに出会う。

 運命とは何のことか予想もつかず、サナートはアルトと共に広場に行って屋台で朝食のかゆを食べた。アルトはハトヤ警備隊で平騎士をしているからか、よく食べた。

「お前も、もう少し食べたらどうだ?」

「私は剣を使って体を動かす訳じゃないからね。歩く分だけで充分なんだよ」

「そうか?もっと重い方がいい」

「なんで?」

「寝てる時にお前をつぶしそうで」

つぶれないよ」

「そうかな」

 朝を済ませてから、サナートは支度をした。今回は、紙とペンとインクの用があった。文字を書けないが読める冒険者ぼうけんしゃ仲間のために、決まったことを書面でわたす必要があるからだった。

「多分帰りは昼過ぎになる……」

「落ち込んでるのか?」

「だって今日はこれでアルトと会えなくなるだろ?」

「そんな顔をするな。これっきりという訳じゃないんだから」

「そうだけど」

 軽いキスをして、玄関先で別れた。

 サナートはギルドで仲間たちと会い、今月は何をとるか話し合いをした。一日で銀貨ぎんか二十枚から四十枚をかせいで、それを五日おきに続ける。のこりの日は休みと次は何をとるかの話し合いに使われた。

 昼過ぎに仲間で昼食を食べに行き、仲間の一人が賭博とばくかせぎを消し飛ばしたのを、一人が肩がわりをして食べさせてやっていた。

 その帰り道のことだった。サナートはいつもしているように帰りがけにギルドの掲示板を見た。新聞が張り出されていて、世間の情勢を知るのにちょうどいい。そこに、今日は「旧ハフジャン王国の姫神子を捜索そうさくせよと王の命令が下る」と書いてある。

 サナートは、その旧ハフジャン王国の姫神子だった。こんなニュースは六年ぶりに見る。ギルガドゥ王国から探される。今になって?国が滅亡めつぼうして十年も経ってから?張り出されている記事を隅々すみずみまで読んでもそれ以上のことは書いていなかった。

 サナートは五歳の頃、胸の聖印せいいんと共にサナート・ナイスタシア・エイトリ―ナ・ハフジャンと名付けられた。神殿の聖壇せいだんの上で、胸に聖なる印を受けた時、燃えるような痛みが体に走ったのを覚えている。

 十歳のとき、戴冠たいかん式でルネブルム陛下の頭に王冠をのせる大役をしたのは晴れがましかった。そのすぐ後で陛下は国難こくなんに立ち向かうことになる。隣国のギルガドゥ王国が攻め込んできたからだ。ハフジャンの守りは固かったが、裏切り者が出てからは総崩そうくずれになった。

 それを占いで予見したサナートは、周りの者と共に逃げるのを余儀よぎなくされた。十三歳で聖別された長い名を捨ててただのサナートになり、白魔術師しろまじゅつしの技を身につけて地方の衛星都市えいせいとしハトヤで冒険者ぼうけんしゃをして、ギルガドゥ王国の様子を見ている。

 こうしてダンジョン・ハトヤの冒険者ぼうけんしゃ白魔術師しろまじゅつしサナートはできあがって、そこそこ優秀だった。

 目立ってはならない、と王都から逃げ伸びて来た仲間にはきつく言われている。五歳の頃に受けた胸の赤い雫型しずくがた聖印せいいんも見せてはならないのだと固くいましめられていた。

 それにしても田舎のハトヤの新聞にこんなことが書かれるとは、大したことだった。旧ハフジャンの姫神子を探す、ギルガドゥ王国は本気で言ってるのだろうか?ハフジャン王都フルージュと王宮が落とされてから十年後になって、今更。王都を落とした直後は本気で探していなかったのだろうか?

 張り出された新聞を見ながらそんなことを考えていると、横に人がやって来た。顔見知りだ。

「ふ~ん、姫神子ねえ……ねえサナート、あんたハフジャンの出でしょ?」

 彼女は顔と名を見知っている女黒魔術師くろまじゅつしで、清楚な見た目を裏切るような効果のある黒魔術くろまじゅつを使う、と冒険者ぼうけんしゃ仲間の間ではうわさされていた。

「そうだよ」

「王都のフルージュは行ったことある?」

「住んでた」

「じゃあ姫神子って見たことある?」

「いや?ないな」

「そっか。でもそうだよね。ハフジャンの姫神子って神殿の外に出ないし、お部屋の中にずっといるって話なの覚えてる。そんな子をどうやって探すんだろう?」

「さあ、どうやるんだか、私にはさっぱり」

「だよね。ギルガドゥ王国も今度はなにをするんだか」

「今度って?」

「何、知らないの?ギルガドゥ王国はハフジャン貴族の中の恭順きょうじゅん派を次々処刑して行ったって、王都のうわさが流れてきてるの、聞いてない?」

 信じられないものを見る目であきれられて、サナートは決まり悪そうに頭をかいた。

 こういうことはよくあった。神殿育ちで浮世うきよのことに触れずに過ごすのに慣れているからか、一人だとどうしても神官のように神と自分だけを見つめる質素しっそな生活になりがちだった。

「ああ、酒場のうわさ?私はあんまり酒飲まないから」

冒険者ぼうけんしゃが何言ってんの。生きた情報は酒場でこそだよ?しっかりしなよ、サナート。アルトがいないときのあんたって神官みたい」

「そうだろうね、子供の頃は神殿で暮らしてたんだよ」

孤児院こじいんじゃなく?」

「ううん、神殿」

抹香まっこう臭っ。酒と恋人だよ?人生は」

「そう?神殿だっていいじゃないか。昔はよかった、春になるとダイエット目的の女神官が増えるんだ。夏までに体を引きしめたい!って」

「えー、ダイエットだからって神殿に入って髪を切るの?」

 黒魔術師くろまじゅつしは自分の結い上げた見事な髪に手をやった。彼女は離れた国から来ていた。

「そうだよ。だからハフジャンの女の髪は短いし、肌は白いんだ」

「そう、ハフジャン人の肌が白いのってなんで?」

「ハフジャン神を信仰すればわかるよ」

「もー!教えてよ、ケチ!」

 これについてはハフジャン神の謎の恵みと言われていて、ハフジャン神を信仰する者の肌が白くなる。何かの神の目印だと言われているが、その理由は分からなかった。ハフジャン神の神殿は時が来れば美容目的の女で溢れ、神殿下層は毎年サナートを楽しませた。

 神殿の暮らしはサナートに合っていた。神に祈り、早朝に起きて日没とともに眠る。サナートは神官たちに固く守られ、王族と会う時は少女のように化粧をして女の服装でいたから本体が男だとはあまり思われていなかった。

 それなのに、なぜ神殿で姫神子と呼ばれたのか?

 サナートの体には性が二つある。男の体で女の性を持つ。

 体は男で、性は女だから子供が産めた。男と女、それと両性を持つ子供を。ハフジャン神殿にはサナートと同じ第三の性別を持つ者たちが集められていた。なぜなら、ハフジャン神が両性具有だったからだ。

 サナートはハフジャン神殿の血統の中でも筋のいいエイトリ―ナ家の息子の一人で、五歳で神殿に捧げられた。それからはずっと神に祈り、占星盤せんせいばんの扱いを覚えた。一般人が習い覚えることも後になってから教わったから読み書き計算もできるが、何よりも重んじられたのが占星だった。

 ハフジャン王国は政治の中枢にごく近い所に占星があり、その占星を担うのが神殿部の第一の仕事だった。占星を行うのは清い姫神子でなければならない決まりがあった。清童せいどうのサナートは、ルネブルム陛下に王冠授与をして更に箔がつき、こうしてギルガドゥ王国に探されている。

 なのに、それほど危機を感じていないサナートだった。

 占星を仕事にしてきたから、毎日自分を占っている。その占いに危機が来る予兆はなかった。

 なにより、ハトヤのギルド長オヴェストはハフジャン神を熱心に信仰している信徒で、逃げ伸びて来たサナート一行を何も言わずに匿ってくれて十年たつが、ずっと秘密と共にサナートの生活を守ってくれている。

 このギルド長の他にサナートが姫神子だと知っている者が三人いる。そのうちの一人は恋人のアルトで、もう二人はハトヤでのサナートの仮親をしてくれた騎士のダークンと部下で妻のケイナがいる。この人々に何の変事もないならそれで良い。

 サナートは仕事帰りに買い物を済ませてアパートの部屋に戻った。

 アルトは帰る前に掃除そうじをしたらしく、ベッドメイクまで済んでいる。彼がいない片付いた部屋が寂しかった。

 ヨーグルトとワインでパンをつまみながら、恋人のアルトに手紙を書くのが日課だった。香りのいいイチゴが安く手に入ったのは、ハフジャン神が預言よげんしていた幸運だろうか。

「アルトへ、今日はハフジャン王国の姫神子をギルガドゥ王国が探すという新聞記事を見たよ。ハトヤまで知らせるくらいだから本気だろう。様子見をする。アルトはどう?」

 恋人アルトはハフジャン王宮の騎士だった父テナー・ベレイーゼが戦場で死に、王都にいたアルトは母と姉がギルガドゥの兵士になぶり殺されるところを見ていた。そこを人に助けられて保護されたのだと本人の口からサナートは聞いている。それは当時のハフジャンのあらゆるところで起きていた。

 サナートは王都が戦火に飲まれる前にハトヤに逃げていたため、当時の王都の人の苦しみも知らず、長旅で歩きすぎた足に肉刺まめができたと泣き言を言うような子供だった。

 アルトと出会ったのは、ハトヤのダンジョンの大きな探索たんさく冒険者ぼうけんしゃとして参加した時だった。駆け出しの白魔術師しろまじゅつしサナートと、暗い目をした騎士見習いアルトが、同じ班に組み分けられて挨拶あいさつをしたのが始まりだった。

 当時からアルトは低めの切り込みと高めの突きを巧みに組み合わせて名をあげていた。当時は笑わないむっつりした少年で、少し取りつきにくいが性格は素直なのをサナートが見抜き、何かと声をかけていた。アルトが一個年下だとわかってからは、兄になった気分で面倒を見た。

 サナートはごく平凡な白魔術師しろまじゅつしをしていたけれど、治癒ちゆがうまいと評判を呼んでいた。サナートの本性が女だからか少年でも柔和に見えるらしく、それを好んでサナートの手で治癒されたがる大人に対し、アルトは当時からきつい態度で当たっていた。

 やがてパーティーが成果を得て解散しても、何となくサナートとアルトはつるんでいた。サナートは兄としてアルトから認められたのかと最初は嬉しかったけれど、次第にアルトがそういう意味でつるんでいるわけじゃないことが分かってきた。

 アルトがサナートを好きなのはわかる。好かれているけれど、兄としてではない。もっと別の個人的な繊細せんさいなことなのだと、口がうまくないアルトの言葉を聞きながらサナートは少しずつ理解していった。

 恋人にならないかと告白された時、サナートは彼を知るために占星盤せんせいばんで占ったことがある。その時『復讐ふくしゅうが終わり晴れがましい』というが出た。サナートの占いは外れたことがないから、つまりそういうことだった。

 復讐ふくしゅうを終わらせたアルトは、ハトヤのダンジョン警備隊で平騎士をしている。腕前はいいと認められていて、警備技術の向上のための大会に出場すると必ず優勝する。本人はあまり目立ちたくないらしく、大会には二度出ただけで、あとは流していた。

 アルトは警備隊の宿舎で暮らしていた。月に二度サナートの家に泊まりに来ていて、普段は精霊せいれいが手紙のやりとりをする精霊便せいれいびんの手紙で連絡を取り合っていた。

 精霊せいれいが持っていける紙は一枚だけ。決まった大きさの紙を、決まった手順で折る。家の窓辺に精霊せいれいが寄りやすいように置かれた鉢植えの緑と水のところに、精霊せいれいが一、二匹まだうろついていた。精霊せいれいに角砂糖をあげて「ハトヤ警備隊のアルトまで」と頼むと、すぐ運んでくれる。

 手紙を送りはするけれど、大抵アルトからの返事はない。サナートが無事で元気なことが分かればそれでいいと考えているのだ、とサナートは思っていた。アルトからの返事がないなら元気という事だろう。たまに果物でも差し入れてやろうか。

 サナートは、アルトの凛々りりしい顔立ちを思い出していた。身元引受人はハトヤのギルド長オヴェストで、警備隊に入る前は冒険者ぼうけんしゃをして引く手あまただった。鼻が良く、サナートの体が男なのに性が女であることを、自らの嗅覚きゅうかくだけで探り当てたときは驚かされた。

「なあ、どうして私が、男でも女でもないと分かった?」

「匂い」

 りりしく睫毛まつげの長いアルトの目元をしげしげと見上げる。当たり前、という顔をしているけれど、性別で匂いが違うことが分かるのは、特殊な血筋持ちだったはずだ。

「動物みたい」

「そうか?男から女の匂いがしたらそうだと分かるだろ」

「お前が特別なんだよ」

「ハフジャンの姫神子ほどじゃない」

「そう?」

「俺のは普通。さっき食べたオレンジの匂いくらい、すぐわかるだろ?」

「そういう所が動物みたいなんだよ」

 アルトは怪訝けげんそうな顔をして、梅酒の水割りを飲んでいた。彼好みの梅酒も切れそうだから買い足しておきたい。

 アルトを思いながらその日は休み、翌朝支度をして屋台で朝食を食べてからギルドに入った。今日は仲間とダンジョンのどこに潜るか相談する日だった。

 羽根戸はねどを開いて冒険者ギルドの中に入ると、正面窓口の中年男がサナートに大きな声をかけた。

「あ、サナート。ギルド指名入ってるぞ」

「え?」

 呼ばれて窓口に向かうと、中年男は手元の書類を探し始めた。それはすぐ見つかり、人員徴収用の赤紙の切符だった。

「お前のパーティーにも言っておいた。多分長くなるぞこれは……」

 赤紙の切符を受け取る。ギルド指名とは、ギルドが冒険者に指名でやらせたい仕事のことだった。公益性のあるものが多いことになっているが、最近のギルガドゥ王国は元ハフジャン貴族の恭順きょうじゅん派を集めるのにギルド指名を使い、公益性があるかどうか首をかしげたくなることが多かったが。

「長くなるって、どうして?」

「例のアレだよ。旧ハフジャン王国の、姫神子様の捜索そうさくさ」

「ああ、あれ。本気なのか」

 ギルド本部がギルガドゥ王国の命令を聞いているなら、サナートの味方をしているハトヤのギルド長が本部決定に逆らえないのは明白だった。

 サナートは身を守る気でいた。ここまで隠れて生きのびたのは、ギルガドゥ王国に好きにさせるためではないし、身元がわからないことにかけては自信があった。姫神子をしていた頃は、部屋から出る時は必ず頭からヴェールを被っていたから顔立ちはほんの十数人しか知らないし、逃げる時は姫神子の傍付きの少年を演じ、そのままハトヤまで来た。サナートを姫神子本人だと知っているのは冒険者ぼうけんしゃギルド長オヴェストとアルト、仮親を演じてくれた元神殿騎士団長のダークンと部下で妻のケイナしかいない。

 用紙を貰い、役場まで行き「ギルド指名のサナートです」と言えば、案内された先は元ハフジャン王国出身の冒険者ぼうけんしゃが集められている広場だった。それとは別に、ハトヤに派遣はけんされてきたギルガドゥ貴族たちの集団がある。

 ギルドの職員が冒険者側に声をかけていた。

「これから皆さんはギルガドゥ本部の役人と一緒に、ハトヤ中の神殿出身者の元に行ってもらいます。そこで見つけた神殿関係者に、姫神子様の話をしてくれとたのむのが皆さんです」

 ハトヤの役場は柔らかい表現をしたが、サナートが配属された先のギルガドゥ貴族にはっきりと言われた。

「この田舎いなかに姫神子が逃げたという情報がある。お前は何か知らないか?」

「いえ、初耳です」

「だがお前も元からハトヤに住んでいた訳じゃないんだろう」

 ギルガドゥ貴族モーブロスキに聞かれ、サナートは営業用の笑顔を浮かべて答えた。

「ええ、まあ。王都が落ちた年に移り住んでます。当時は子供だったんでいまいち。その姫神子って見つかるんですか?」

「違うな、見つけるんだ」

 妙に自信のある顔でサナートを見返し、モーブロスキはあごでしゃくってサナートに指図をした。一軒一軒、ハトヤに住んでいる神殿の元職員の家を訪ね歩いた。元は王都の神殿に務めていた者もたしかにいたが、姫神子の顔も名前も知らないと首をかしげる者ばかりだった。

 それはそうだろう、サナートは奥の間で大切にされていた。人前に出る時は必ずヴェールを被り、おしとやかな少女のふりをしろと躾けられていた。深窓しんそう令嬢れいじょう扱いだったのだから、知るわけがない。

 そんなサナートも今は立派に成人男性で白魔術師しろまじゅつしをしている。当時のイメージの姫神子が見つかるわけがなかった。

「おいお前、他に神職の家ってないか?」

「え?……ああそういえば、神殿の騎士団長の家がありますね」

 騎士団長の家は、サナートが十五歳になるまで暮らしていた仮親のダークンとケイナの家のことだった。子供も生まれて賑やかにやっているはずだ。

 騎士団長の家を訪ねる。ダークンは家にいて、サナートを見て気付いたが、背後にギルガドゥ貴族を連れているのを見て表情を引き締めた。それからサナートに微笑んだ。

「サナートじゃないか。どうした」

「今、ギルガドゥ王国の貴族が来て。ハフジャン神殿に勤めていた人の家を訪ねて回っているんだ」

「そうか」

 そこでダークンは、サナートの後をついてきた馬上のギルガドゥ貴族モーブロスキと向かい合った。貴族は馬も下りずに、高い所から見下ろした。

「お前が神殿騎士の元騎士団長か?」

「そうだが」

 モーブロスキが、聞く者の神経を引っ掻くような声で確かめた。老いてなお壮健なダークンを眺めまわす貴族の態度にサナートは苛立ちを感じたが、下手なことは言えないしできなかった。

 本当にサナートが姫神子なら、ハフジャン王国が健在なら、こんなギルガドゥ貴族なんかいやしいと追い払わせている。ダークンは忍耐にんたい強い表情をしていた。

「姫神子の見た目なりと、なにかあれば申すが良い」

「見た目……と言われましても」

「何かあるだろう。絵姿でも持っていないか?」

「まさか、姫神子様の絵姿など、恐れ多い事でございます」

「何かないか?当時はどうだった」

「当時の姫神子様はほんの十三歳であられました。あれから十年が経ちます。今頃あの方は美しい女性に成長していると思いますが、他のことは分かりません」

「お前は騎士団長。姫神子につき従ったのではないのか?」

「妻の腹に子がいたのを姫神子様はご存じでして、それで私どもは姫神子様御一行と別れ、ハトヤに落ち着いたのです。その後のことは知りません」

「ふん、そうか……」

「あれがその時の子です」

 ダークンが指差す先に、庭のベンチに座ってナイフを研いでいる息子の姿があった。

「当時、姫神子と共に落ち延びて行った者の名は分かるか?」

「シロンドゥ様がご一緒だったかと」

 サナートは少し驚いてダークンを見返したが、彼はそ知らぬふりをしていた。シロンドゥはサナートが初めて葬儀そうぎを執り行った神官長の名前だ。つまり、ダークンはうそを言っているが、この貴族はそこまで当時のハフジャン王国のことを知らないから、まんまとだまされていた。

「そうか、では次に行くか」

「はい、次ですね、それじゃあ失礼、ダークンさん」

 サナートがギルガドゥ貴族にあごで使われている様子を見ているダークンの胸の内を、サナートはあまり正確には思いやれていなかった。ダークンの中に怒りがあるのは分かっていたが、その怒りをこらえて欲しかった。怒りの顔が見つかった時、ギルガドゥ王国に殺されるかも知れないのだから。

 こういう目にあわされても、サナートは平然としていられた。占いで変事が起きないと知っていたからでもあるし、占いをすることで神と共にあるのをサナートは意識していた。一人ではなかった。

 その日は馬上の貴族と一日中ハトヤの町中を歩き回り、何の成果も出せずに家に帰った。サナートは小さなたらいに水をためて火魔石で湯を作り、中につかって溜息をついた。疲れきった足をマッサージオイルでもみほぐしてから、アルトに手紙を書いた。

「今日は一日くたびれもうけ、一日二銀貨ぎんかで町中歩き回らされた。お前は何してる?」

 精霊せいれいに角砂糖をあげて、一通を託す。アルトからの返事はなかったけれど、疲れた時に効くという薬草の粉薬を精霊せいれいが一包持ってきた。心配しているのだろうか、心づかいがうれしかった。

 それから十日、サナートはギルガドゥ貴族モーブロスキと一緒にハトヤを右往左往した。まずしい元神職の家に銀貨ぎんかを与えれば何か言うかも知れない、だからお前が銀貨ぎんかを出せと言われたのを断ると、モーブロスキは自分のふところから金貨きんかを一枚出した。金貨きんかを前にしても、その老人は何も言わなかった。挨拶あいさつすら一言もない。ハフジャンのたましいが彼の唇を閉ざしているとサナートには感じられた。そして、彼にもうしわけない気持ちで一杯になった。自分がギルガドゥ貴族を案内したのが、老人のたましいに対して申し訳なかった。貧しさと毎日戦っている所へサナートが新たな敵としてギルガドゥ貴族を連れてきたかのようだった。

 姫神子と呼ばれたこともあるのに、自分一体何をしているのか。サナートは胸中で自分をしかった。

「ふん、つまらん……」

 モーブロスキは老人のかたくなな無口を見て何も言わずに立ち去った。元神職の老人に対してサナートになにができただろうか、自分の現状に思い悩むことが増えていた。

 けれど結局、何もできはしなかった。サナートは旧ハフジャン出身の白魔術師しろまじゅつしであることで身を守っている。そうするだけで精一杯だった。

 でも本当は、旧ハフジャンの人々の為の占いをしたいと思っていた。その為に必要なのは国占くにうら専用の占星盤で、それは王宮に戦火が及ぶ三ヶ月前に修理に出された。それからどうなったか。あれがあれば、旧ハフジャンの人々の為の占いができるはずだった。けれど、ありかすら分からない。

 国占くにうらの占星盤に触れた最後のは、裏切りだった。それが出た時にはすでに遅く、ハフジャンは滅亡した。サナートがギルガドゥ貴族にこき使われているのも、何らかの神罰かも知れないとさえ思えた。

 サナートの頭の中に、逃げろと送り出してくれたハフジャン王ルネブルムの微笑みがあった。立派な、大好きな陛下だった。あの王のことを思えば、ギルガドゥ貴族に使われるくらい平気だった。

 毎日役場で貴族と会い、ハトヤの町中を右往左往し、帰りにギルドで二銀貨ぎんかを受け取って帰るだけの生活をしていると世情にうとくなる。

 その日がきた時、町の人の態度に驚かされた。

 馬の前に酔っ払いが立ち、こんな事を言うのだ。

「ハフジャン王弟の行き先知ってるぜ!イゴンダル共和国だ!オラ、金貨きんかくれよ!」

 モーブロスキが笑った。

「それは誰でも知ってることだ。誰でも知ってることに、なぜ私が金を払う?姫神子の行き先ならば、金貨きんかが十枚だったのだがな」

「畜生」

 朝の酔っ払いは、そのまま地面に倒れて眠り始めた。その傍にいたエプロンを握りしめた女がサナートに耳打ちした。

「姫神子殿下は旧王都南街で娼婦しょうふになっておいでで、フィーネという名前で指名を受けています」

 また新情報だ。サナートは馬上のモーブロスキを振り返ったが、彼は手を横に振った。

 こんな風になったのは、ギルガドゥの王が「姫神子の居場所を知る者に金貨きんかむくいる」と新聞で知らせたせいだった。偽情報ばかりが集められていた。様々な者がモーブロスキの前に列を作り、金貨きんか欲しさにでたらめを言うのをサナートはあきれてながめていた。

 元姫神子サナートはここにいるのに、皆の知っている姫神子とは一体誰なのか、不思議な事だった。

 この日はほとんど歩かず、貴族の横に棒立ちになって密告の聞き取りだけをした。中に面白い情報があったのか、モーブロスキが人前で金貨きんかを支払ったものだから皆色めき立ったし、一度一度の応答にしつこさが増して手ごわそうだった。

 きつい一日を終わらせてギルドで支払われるのは銀貨ぎんか二枚だけ。あまり金にうるさいことを言わないサナートでも不当な扱いを受けている気持ちにもなる。そんな所にギルド長オヴェストがきて声をかけてくれた。

「おうサナート、災難さいなんだな」

「ああどうも、ギルド長。ご苦労様です」

 オヴェストはサナートを見て、軽くハフジャン式の礼をした。サナートに話しかける時、いつもその仕草をした。

「ギルガドゥ貴族の指名を受けるとは、神殿にいたって本当なんだな」

 オヴェストがサナートと、表向きのギルド長と冒険者ぼうけんしゃの話をしたがっている。何の理由か分からないが、サナートは付き合う事にした。

「そうですね、いましたよ」

「姫神子ってどんな子なんだ?知ってるのか?」

「よく言われるんですが、会ったことなんてないですし。姫神子様が廊下を通る時は人払いがされるか、脇に土下座して頭を上げてはならないんです。まともに姿を見た事のある人なんていないんじゃないかな?」

「そうか、ハフジャンの宝玉と言われる姫神子様か」

 それは初耳で、サナートが驚いているとオヴェストは優しい声をかけてきた。

「疲れた顔をしているぞ。今夜は肉でも食え」

 オヴェストはおひねりをくれた。こういうことは冒険者をしているとたまにある。人前で受け渡す金額は銅貨どうか三十枚までと決めたのはオヴェストなのに、おひねりに入っていた銅貨の中に金貨きんかが一枚混ざっていた。サナートをねぎらうのに人手も出せないし手助けもできないから、こんな形であらわした。金貨きんかをよく見たらハフジャン五世時代のものだった。ハフジャンを忘れないという意思だろうか。ギルド長オヴェストがはげましてくれているのを感じた。

 買い物を済ませて家に帰ると、テーブルの上に精霊せいれいがいた。台所に準備してある角砂糖を与えると、さっと消える。テーブルの上に手紙が一通。アルトの署名がある。

「えーと。ギルガドゥの王からいやな命令が出されたが、変わりはないか?なんだよのん気だな。問題大ありだよ。姫神子が見つからないと、私のギルド指名がいつまでたっても終わらない」

 嘆いてから、おかしな状況になったものだった。姫神子とはサナートのことだ。だからサナートが自分が姫神子だと言わないと、ずっとギルド指名をされ続けることになる。この状況をギルガドゥの王は狙って作り出したのだろうか?ギルガドゥの王と根比べ?偉大なるハフジャン神の意思はどこにあるのか。

 とりあえずアルトへ手紙の返事を書いた。ギルド指名は続きそう、姫神子は見つからない。そう書いて送り返した。

 この生活に変化が起きる予感は、翌朝の占いに出た「にせの女が生贄いけにえになり解決する」と出たが、なんのことだかわからない。

 朝に役場前のモーブロスキの元に行くと、彼は今日はハトヤのあちこちを回る予定らしく馬上にいた。サナートも今日は歩きまわる覚悟をして、ほんの五メートルも歩いた所だろうか。

「ハフジャンの姫神子様にあられる!」

 いきなり大声がして、銅鑼どらが鳴った。ギルガドゥ貴族は音がした方に馬首を巡らせた。そこに女がいた。サナートの後ろにいるモーブロスキは、馬上で女の美しさに目を奪われていた。

 女の傍に控えている大男が、大声で怒鳴りつけた。

「元はと言えばハフジャン王国の姫神子様である、それを馬上から見据えるとは無礼者め!」

 周りは大いにどよめいたし、モーブロスキは慌てて下馬した。サナートは姫神子と名乗る女をしげしげと見た。年のころは20代前半に見えるし、魅力的みりょくてきな胸元の聖印は赤々としている。身にまとっているのも確かにハフジャンの姫神子の衣装だ、ただし祭礼時に人前に出る時のもので王族や貴族と対する時のものではない。

 女はそばにきて礼をしたモーブロスキを見て、成功を確信したのか微笑んだ。

「ギルガドゥの方ですね」

「はっ、姫様」

わたくしはナーミと申します。ナーミ・アルルナ・ビーシェイン・ハフジャン。元の王国では姫神子と呼ばれておりました」

 そこで、後ろから大男が何かをナーミに渡した。

「これが私が姫神子であるという証拠の品です」

 そこに現れたのは、サナートが愛用していた青玉せいぎょく占星盤せんせいばんだった。誰もそのことを知らないから場はざわついていた。本物だ、姫神子様だ、と声が上がっている。

 ナーミはモーブロスキの視線に気づきながらとがめず、微笑んでいた。

「あなた様はわたくしをギルガドゥの陛下の元に連れて行って下さいますか?」

「もちろん。喜んで、ナーミ様」

 サナートは驚きながらナーミを見ていた。かなり様になってる仕草だった。一瞬でギルガドゥ貴族モーブロスキを落とした。モーブロスキは馬を使用人に任せ、ナーミの手を取るようにして役場に引き返した。周りを人が避けていくのは、元ハフジャンの土地だから姫神子に敬意があるからだった。五体投地して姫神子をあがめる男や女が現われていた。

 サナートはギルガドゥ貴族とナーミの後について行き、モーブロスキが彼女をこの建物で最もいい椅子に座らせるのを見た。騒ぎに何事かとギルド長も顔を出し、事態を眺めてサナートに訊ねた。

「あれはなんだ?」

「ああ、あの女の人、ハフジャンの姫神子様だそうです」

 それでギルド長オヴェストはどういうことかわかったらしく、笑いかけ、あわてて口元を押さえている。取りあえず、モーブロスキとナーミのやり取りを見守ることにした。

 サナートの朝の占いはナーミのことを生贄いけにえだと説明していた。その言葉が彼女の運命をサナートに教えている。あまり笑う気になれずに、ハフジャン神に敬意を表すしぐさをすると、となりで見ていたオヴェストは吹き出しながら自分の部屋にとって返した。

「サナート!」

 大声でモーブロスキに呼ばれ、仕方なくサナートは群衆の中に入って行った。

「なんでしょうか?」

「お前はこれから、ナーミ姫の身の回りのことをしろ」

「ギルドの指名で働いているだけの冒険者ぼうけんしゃの私が?新しく人をやとった方がいいですよ?」

「うるさい。言うことを聞け。ナーミ姫がそうしたいと言っている」

「えっ」

「お前もハフジャン人なら、姫の言うことを聞くんだな」

 サナートは驚いてナーミを見た。彼女もにこやかに微笑んでサナートを見返した。

「サナート様。あなたは確か、ハフジャンの神殿の高官でしたね?あなたはわたくしの好みをよく覚えているはずです」

「はぁ、そうですか。でもなぜ、私がここにいると?」

わたくしは姫神子。もちろん、占いによって知ったのですよ」

 サナートの質問に彼女はほこらしげに答えた。ナーミは占いを知っているし、サナートの占星盤を使っていた。彼女の目からは、星の運行を知るものは何もかも知っていると思い込んでいる、占者の暗黒に飲まれた者の気配がした。

 占者の暗黒とは、占いが啓示けいじを示しても欲望に目が眩んでをまともに読み取れなくなることをいう。ナーミが自分を占った時にどんなが出たのだろうか、読み間違っている。けれどそれを指摘することはできなかった。

「しっかりつとめろ」

 モーブロスキは報告のためにナーミの前から下がった。

 サナートは残された使用人たちと顔を見合わせた。

「私はサナート。冒険者ぼうけんしゃです」

家令かれいのラムジだ。これはエミミとリココ。それで?」

「よく分からないです。私はただ、ギルド指名を受けただけ。姫神子の好みなんて知りませんよ」

「神殿には?」

「確かに勤めていましたが、子供の頃の話なので」

「わかった」

 ラムジは短く答えて、エミミとリココに指図した。

「エミミ、外からくる馬車に姫を乗せなさい。サナート、馬車は役場の脇につけてある、御者ぎょしゃ台に乗って行け。リココは旦那様のお世話をいつも通りに。私は姫と同行する」

 サナートはラムジと行動すればよかった。まだ自室に引き取っているギルド長オヴェストを置いて、役場外にある馬車置き場に向かい、馬車を出してゆっくりと役場前につけた。サナートが使者となってエミミの元に行く。

「準備できました」

「姫様、どうぞ」

 エミミはすっかりナーミを姫神子だと思い込んでいる口調と態度でいた。ナーミはこの微笑みでギルガドゥの王を手玉に取るつもりでいるようだった。

 サナートが知っている姫神子とは神と人の間の調和をとる者のことで、王の機嫌取りをすればいいだけではないことが脳裏でぐるぐると回っていた。

 サナートはハトヤの大通りを抜けた先にあるモーブロスキの別荘まで来た。そこで馬車を降り、使用人用の出入口から中に入った。掃除そうじをしている女がサナートの姿を見て大声をあげた。

「あんた、誰?」

「おたくの旦那だんな様が役場で仮雇かりやといした冒険者ぼうけんしゃのサナートだよ」

「はあ?冒険者ぼうけんしゃなんかが、どうしてこの別荘に?」

「文句はラムジさんとモーブロスキさんに言ってくれ」

 旦那だんな様よりラムジの名前を出す方がよほど女には効果的だった。玄関から客が来たと呼ぶベルが鳴らされて、女はサナートをじろじろと見てから仕事のために歩いて行った。「姫神子様だ!」と悲鳴のような声が玄関から聞こえる。

 とりあえず厨房ちゅうぼうに行って、姫神子用の水を頼んだ。

「こんにちは。客用の水ありますか」

「水だって?」

 厨房ちゅうぼうのコックはびっくりした顔でサナートを振り向いた。

「そう。神殿からの客は茶じゃなくて水か白湯で、お茶を欲しがったらあげてもいいけれど」

「けれど、何だ?」

「そういう奴は大抵が偽物だ」

 コックは笑い、客用の水を水差しに汲んだ。

「特別な客なら薬草の香料を振るんだが、特別か?」

「ああ、ハフジャン王国の姫神子だって」

「それを早く言え!」

 香料が振られた水差しとコップを持って、サナートは廊下に出た。すると丁度エミミがやってくる所だった。

「あら。水?どうしてお茶じゃないの」

 サナートを𠮟りつけるので、言い返した。

「神官以上が常飲するのは水か白湯だ。お茶は遠慮する」

「何で知ってるの?」

「昔、神殿で働いていて、そこを姫神子様に買われたんだよ。知ってるだろ」

 エミミが黙り込んで恐い顔をした。多分彼女はナーミの気に入る、権威に惚れる娘のほうが操りやすいのをサナートは知っていた。ナーミはこの貴族家からギルガドゥの王宮に乗り込む気でいるのがサナートには分かっていた。元がどこの出身の娘か知らないが、ナーミはとにかく大胆だった。

 やがてモーブロスキが呼ばれ、一時間ほど歓談かんだんした後でサナートが呼ばれた。姫神子のヴェールがソファーの上に乱れた形で置いてあった。ヴェールは神意を表わすものだから、姫神子として外に出る時は必須のもので、サナートはそれを気にした。ナーミはハフジャン神に興味のない態度を隠そうともしない。サナートを見て、この冒険者もあやつろうというのか、微笑みを浮かべていた。

「サナートさん、話があるの。こっちに来てくれるかしら?」

「男と女の間に間違いがあっては困ります。ここでお願いします」

「そんなに離れていたら相談できないじゃない」

「相談とは?」

「あなたに教えて欲しいことがあるの」

 ナーミが嫣然えんぜんと微笑みかけるが、サナートは冷たい思いでその笑みを見ていた。姫神子時代に意識して微笑みかけた相手はハフジャン王ルネブルムだけだった。ナーミは姫神子を名乗りながら、格下である冒険者のサナートにしどけない態度をして見せた。

「ねえ、サナートさん、お願い」

「何がですか?」

「姫神子の秘密の話をしたいの」

「姫神子様に秘密なんてありませんよ」

「そんなことない。わたくし、知っているもの」

 吐息といきのようにささやいて、くすくす笑う。サナートは自分に秘密なんてあっただろうかと思いながら、仕方なくナーミの傍に行ってひざをついた。ソファーに座っている彼女はにこやかに屈んだ。

「姫神子の生年月日を教えなさい」

 いきなり様子が威圧的いあつてきなものに変わった。今までの媚態びたいがまるきり嘘だった。こんなに態度をころころ変えられると、道化どうけと話しているような気持になる。

 威圧いあつした後、ナーミは急に微笑ほほえんだ。

「姫神子様の、生年月日?」

「そう。それだけが手に入らないの。それさえわかれば、私は完璧にハフジャンの姫神子になれるのに、どうしてもわからないのよ。残念なことにね」

 その言葉は、ナーミが姫神子ではないと言っているのも同然だったが、彼女は少しも気にしていなかった。

「もちろんタダとは言わない、お金は払うから。このギルガドゥ貴族の家が払ってくれる」

「そんな機密きみつは王宮と一緒に灰になったんじゃないですか?」

「知らないの?ギルガドゥの王家はハフジャン王宮をそのまま手に入れてして、総督そうとくがそのまま使ってる。ハフジャンのクレニオス大公も、女をあてがわれてギルガドゥ王国の言うままよ」

 政治についてサナートはくわしくないが、クレニオス大公の名前は聞いた事があった。大物だ。サナートが話そうとしないのを見て、ナーミはまた微笑ほほえんだ。

「ねえ、姫神子はハトヤからどこに行ったの?」

「知らない」

「ネプティサル王国?それとも砂漠さばくをこえたランガード国?どこでもいいけれど、二度と戻ってこないで欲しいの。あなたならそれができる」

「……なぜ私にそれができると?」

「そうわたくしの占いに出るからよ。あなたの名前までは分からなかったけれど、姫神子の全ての秘密を知る者ってサナートのことでしょ?ねえ、お願い。姫神子の秘密を教えて?」

 ナーミがサナートの唇に金貨きんかを押し当ててきた。冷たい感触に、ぎらぎらした欲望が乗っているのが分かっていた。さきほど嘘だと見せた媚態びたいが生々しい。サナートを買えると思っている態度だった。

 サナートは唇に押し当てられた金貨きんかを一度受け取り、服で拭いてからナーミの手の平に押し戻した。

「金はいらないし、秘密も教えない。私はあのギルガドゥ貴族にやとわれているだけだ。あいつに逆らうと、後が恐ろしいからね」

「教えてくれないの?」

「知らないんだよ。そんな秘密」

うそ。知ってる」

「さあね。それより、ヴェールをくしゃくしゃにしたままでいいの?」

 ハフジャン神が恐くないのかと、サナートはナーミを驚きの目で見ていた。今まで会ってきた冒険者ぼうけんしゃたちは縁起えんぎかつぐ者が多く、神意しんいをないがしろにしなかった。だから、ナーミのように神をないがしろにする態度は初めてだった。彼女は全く気にしていない様子で、テーブルの葡萄ぶどうをつまんで食べながら香料入りの水で唇を濡らしていた。

「別によくない?仮装みたいで楽しかったけれど、この服動きにくくて苦手だし」

「神様のことは恐くないの?」

「だって会ったこともないし、助けて貰ったこともない。それよりお茶が欲しい」

「姫神子の戒律かいりつに、お茶は飲まないというのがある。知らない?」

「なによそんなこと……そんなのどうだっていいじゃない。重要な点は、モーブロスキがわたくし占星盤せんせいばん鑑定かんていに出しているところよ。あれが仮鑑定かんていを通れば、ハフジャンの旧王都フルージュの王宮で総督そうとくと会えるわけ」

「会ってどうするの?」

「その時決めるし、どうせあなたはわたくしと一緒にギルガドゥの本国まで行く」

「なぜわかる?」

「モーブロスキを裏切ると後が怖いんでしょ?わたくしなら、あなたがやめた後で乱暴されたって言いふらす。そしてモーブロスキがあなたを追うし、つかまったあなたがむちで打たれる所を見たいかも知れない。とてもね」

 ナーミは野心的やしんてき微笑ほほえみを、もう隠しもしていなかった。

「教えなさい。姫神子の秘密を」

「その話はまた今度、考えさせてくれ」

「そう?ゆっくりしてたらギルガドゥ本国に行くことになるけれど」

 ナーミは余裕たっぷりの態度で笑っていた。

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