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次のステップって……? ①

 ――わたしが公表した篠沢商事のハラスメント問題は、しばらくの間世の中の注目を集めた。当日には株価も下がり、SNSでも騒然となっていたけれど、公表に踏み切ったわたしのいさぎよさが評価されてすぐに落ち着いた。



 その後は株価も安定して新年度を迎え、新入社員の挨拶もひととおり終えた四月三日。わたしの誕生日は平日、水曜日だった。


「――桐島さん、今日は夕飯どうしようか?」


 夕方六時ごろ、一日の仕事を終えてOAチェアーの大きな背もたれに体を預けて伸びをしながら、わたしは貢に訊ねた。


 父の代まで行われていた「会長のお誕生日を祝う会」はわたしの代で廃止することが決まっていたけれど、社員のみなさんからは「会長、お誕生日おめでとうございます」というお祝いの言葉をもらえたし、貢なんかは朝一番に「おめでとう」を言ってくれた。

 でも、彼からのプレゼントはまだもらえていなかったし、誕生日くらいはどこか特別スペシャル感のあるお店で食事をして、二人でお祝いしたいなぁと思っていた。


「それでしたら、僕の方で決めて、すでに予約してある店があるのでそこでディナーにしませんか? 僕からのお祝いということで」


「……えっ? それって支払いも貴方がしてくれるってこと?」


 本当にいいのかな……とわたしは胸が痛んだ。「ディナー」という言葉を使ったということは、それなりに高級なお店のような気がしたのだ。


「もちろんです。たまにはいいでしょう? 僕に花を持たせると思って」


 彼は笑顔で頷いた。もちろん彼にもけんというものはあるだろうし、「彼女にカッコいいところを見せたい」という男性ならではの気持ちもあっただろう。そこは素直に甘えるのが〝できた彼女〟というものなんだろうなとわたしは考えた。


「うん、そうだね。ありがと。……じゃあ、お言葉に甘えて」


「ああ、そうだ。ちゃんとプレゼントも用意してありますからね。その時にお渡しします。楽しみにしていて下さい」


「やったぁ♪」


 明らかな恋人同士の甘いやり取りをしながらも、わたしは小さな不安に駆られていた。それは、わたしと貢の関係――恋愛関係にあるということが、すでに周りから知られていたということだ。


「――話変わるけど。わたしたちの関係って、社内のどれくらいの人たちにバレてるの?」


「はい? ……ええと、少なくとも秘書室のみなさんと、社長はお気づきになっているかと」


「やっぱり……」


 想定の範囲内だったとはいえ、そんなに知られていたのか、とわたしは愕然となった。


「ああ、ですが小川先輩はだいぶ前からご存じですよ」


「えっ、なんで!?」


「僕が個人的に、恋愛相談に乗って頂いていたので……」


「……ああ、そっか。彼女とは大学の先輩後輩だって言ってたよね」


 彼が個人的に誰と話そうと、それは自由だ。プライベートにまで口を出す権利はわたしにもないから。でも、秘書としてその口の軽さはどうなのよ、と思ってしまう。……まぁ、職務上の守秘義務を破っているわけじゃないからよしとするか。



   * * * *



 ――彼が予約してくれたお店は、オシャレな洋食屋さんだった。それでいてお財布にも優しい低価格で、これなら彼も支払いに困らないだろうなとわたしもホッとした。


「――食事の途中ですが、これを。絢乃さん、改めてお誕生日おめでとうございます」


 そう言って彼がビジネスバッグから取り出したのは、パールピンクの包装紙でキレイにラッピングされた細長い箱だった。大きさは十五センチくらいだろうか。光沢のあるワインレッドのリボンがかけられていた。


「ありがとう! これ開けていい?」


「ええ、どうぞ」


 待ってました、とばかりにわたしは丁寧にリボンの結び目を解き、包装紙をはがしていった。すると、そこから出てきたのは上品なピンク色のベルベット地のケースで、フタを開けると……。


「わぁ……、ネックレスだ。可愛い! 貢、ありがとう!」


 わたしはキラキラした銀色のネックレスを手に取り、目の前にかざしてみた。チェーンもチャームもシルバーではなく、輝きからしてプラチナ。チャームのデザインはシンプルだけれど可愛いオープンハートで、高級ブランドではないにしてもそこそこ値の張るものだと分かった。


「喜んで頂けてよかったです。……本当は指輪にしようかと思ったんですけど、まだ付き合い始めたばかりなのでちょっと重いかな……と。何と言いますか、束縛しているような気がして」


「指輪ねぇ……。確かにちょっと早いかな。――あ、ねぇねぇ。ちょっと貢にお願いがあるんだけど」


「はぁ、何ですか?」


「これ、今ここで、貴方に着けてもらいたいの。いい……かな?」


 わたしは上目づかいになり(計算でも媚びているわけでもない)、彼にお願いしてみた。もちろんその意味は、わたしの首からかけてほしいという方の意味だ。


「え、僕にですか? こういう頼まれごとは初めてなので、うまくできるかどうか……」


「うん、大丈夫。じゃあお願いします」


 わたしはもう一度彼に小さく頭を下げて、邪魔になりそうなロングヘアーを右肩から前に流して手で押さえた。


「……分りました。では、絢乃さんの後ろへ行きますね」


 背後へ回った彼はわたしからネックレスを受け取り、細いチェーンと格闘し始めた。中でも留め具に苦戦していたらしく、彼の指先が何度もうなじに当たってくすぐったかった。


「……はい、できました。こんな感じでどうですか?」


「ありがとう! どれどれ……、うん。いいじゃん!」


 バッグから取り出したコンパクトを開いて出来映えを確かめると、スーツ姿のシンプルなVネックのインナー、その胸元に銀色のチャームがすっきり収まっていた。


「わたし、このネックレス、一生の宝物にするね」


「そんな大げさな……」


 彼は呆れぎみに笑ったけれど、わたしは至って大真面目だった。



「――貢、今日はごちそうさま。いい誕生日になったよ。ホントにありがとね」


 彼はこの時の夕食を、本当におごってくれた。わたしが「割り勘にしよう」と言っても譲らなかったので、最終的に折れたのだ。


「今度お礼しないとね。――あ、そうだ。貢の誕生日って確か来月だったよね?」


「ええ、十日です」


「十日は……えっと、平日か。じゃあ大型連休の間にお祝いしようよ。貴方の部屋で、わたしがお料理作って。どうせなら一緒にプレゼントとケーキも買いに行く? わたし、それまでに自分名義のクレジットカード作っとくから」


「ええっ!? ぼ、僕の部屋で……ですか!?」


 わたしの何気ない提案に、彼は激しく取り乱した。


「うん、そう言ったけど。……どうしたの?」


「……そろそろ次のステップか」


「ん? 何か言った?」


「いえ、何でもないです」


「じゃあ、欲しいもの、考えておいてね。値段は気にしなくていいから」


「分かりました。絢乃さんの財力があれば、何でも気前よく買って頂けそうなのでちょっと怖いですが。そうか、クレジットカードって満十八歳から申請できるんでしたよね」


「……まあねぇ♪」


 彼はわたしの経済力に舌を巻いた。何せわたしの役員報酬は、月に五千万円(そのうち二千万円は母に渡しているけれど)。それプラス、何十億円という父の遺産もあるのだから。


「あと、お料理なんだけど。何食べたい?」


「そうだなぁ……、カレーですかね。色気ないかもしれませんけど」


「ううん、そんなことないよ。じゃあカレーね。お肉ゴロゴロのビーフカレーにしよう♪」


 その後も車内では彼の誕生日についての話題で盛り上がったけれど、わたしは彼がポツリと漏らした「次のステップ」という言葉が気になって仕方がなかった。

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