――会見を行う前日の三月二十九日のうちに、広報課を通して新聞やTV局、ニュースサイトなどのマスコミ各社に通達してもらい、何についての会見なのかは当日まで伏せておいた。そのため、SNSやネット上の掲示板などでは色々な憶測が飛び交っていたらしいと里歩から聞いたけれど(春休み中だったので、聞いたのは電話でだった)、わたしはSNSをやっていなかったので詳しいことは分からなかった。ちなみに、わたしがSNSを始めたのはその半年ほど後のことだ。
――そして迎えた、記者会見当日の朝。
「会長、おはようございます。今日は制服姿じゃないんですね」
助手席に乗り込んだわたしの服装に、貢はすぐに気づいてくれた。
「おはよう、桐島さん。――今日は大事な会見の日だからね、マスコミの人たちへの印象が大事だと思って、誠実そうに見えるスーツ姿にしてみたの。春休み中だってこともあってね」
この日のわたしは淡いブルーの襟付きブラウスに、濃紺のタイトなスーツと黒のフラットパンプスでビシッと決めていた。ちゃんとビジネスメイクもして、長い髪は焦げ茶色のヘアゴムで一つにまとめて、気分的には就職活動中の大学生、という感じ。
「そうなんですね……。今日の会長は少し大人っぽく見えますよ」
「へへっ、ありがと。就任会見の時は制服だったから、どっちでもよかったんだけどね。ちなみにこのスーツは、三学期も成績がよかったごほうびに、ってママが買ってくれたの♪」
母が選んでくれたこのスーツは、量産品と同じように見えて実はけっこう高価だった。のはおいておいて。わたしは緩んでいた表情をピリッと引き締めた。
「こういう、企業の評判を左右する会見の時って、会見するトップの服装も批判の対象になるんだって。ヘタな格好をして会見に臨んだら、『世間をなめてるのか!』って言われそうじゃない?」
「そうですよね。謝罪会見なのに、真っ赤な服を着ていて『謝る気があるのか』って非難されていた女性議員の方もいらっしゃいましたからねぇ。紺色のスーツを選ばれた会長の判断は賢明だと僕も思います」
「あー、そういえばそんな人もいたねぇ」
わたしはいつぞやのニュースを思い出して頷いた。まだ肌寒さが残るので、羽織っていたスプリングコートを脱いで膝にかける。
「いっそのこと、春休みの間はずっとスーツ姿で出社されるというのは? 気分も変わってよろしいのではないかと。……実は僕、会長のスーツ姿も拝見してみたいとかねがね思っておりまして」
「…………」
最後のセリフ、絶対彼の本心だなとわたしも確信した。初めて披露したスーツ姿を褒められて気をよくしたわたしは、それもいいかもしれないなぁと思った。ポリシーなんて関係なく、大好きな彼のために、彼の願望を叶えてあげるのもいいのかな、と。
「……前向きに検討します」
こう言った時、その意味は二つに分かれる。「本当に前向きに考える」という意味と、「本当はイヤだけど、まぁ一応選択肢には入れておく」というおざなりな意味。この時のわたしの場合は前者の意味だった。
「ありがとうございます」
それを汲み取ってか、彼は嬉しそうにペコリと頭を下げ、クルマを発進させた。
「――ところで絢乃さん、お誕生日に何かほしいものはありますか?」
彼は唐突に口調を変え、わたしにプレゼントのリクエストをしてきた。「会長」ではなく「絢乃さん」と名前で呼ぶ時、それは貢が〝彼氏モード〟に入った時だ。
「ほしいもの、かぁ。わたし、昔からあんまり物欲ないんだよね……。小さい頃から色んなものに囲まれて生きてきたからかも」
そう答えながらも、頭をフル回転させた。「ほしいもの」はなかなか思い浮かばなかったけれど、「これは別にほしくないな」と思うものは浮かんでいたので、それをとりあえず言葉にして言ってみた。彼のことを名前で呼びながら。
「あーでも、ブランド品は別にほしくないかな。っていうか、貢にそんな大金使わせたくないし。お財布事情も知ってるからね」
「コスメはどうですか? クリスマスプレゼントに、里歩さんから頂いてましたよね」
「……貴方、女子ばっかりのコスメ売り場に男ひとりで乗り込む勇気ある?」
「…………いえ、あまり。学生時代にそれで失敗したイヤな思い出があるもので」
ジト目で訊ねたわたしに、彼は肩をすくめながらそんな暴露をした。初めて聞く彼の過去話の続きが気になって、わたしは目だけで続きを促した。
何でも大学時代に交際していた彼女から誕生日プレゼントに『口紅がほしい』と言われたらしく、彼が真っ赤な口紅を贈ったらドン引きされてしまったそうだ。『こんなどキツい色を選ぶなんてどんなセンスしてるんだ』と。
そのオチを聞いた途端、わたしは思わず吹き出した。何でもそつなくこなしていそうな彼の失敗談は、ものすごく親近感があった。
「……うん、なるほどね。やっぱりコスメはやめた方がいいと思う。多分、里歩がまたプレゼントしてくれると思うし、自分でも買えるし」
「…………そうですね。じゃあ、何か別のもので考えます」
彼は神妙に頷き、この話題は打ち切りとなった。
* * * *
――記者会見にはわたしだけでなく、篠沢商事の実質的トップである村上社長も一緒に臨んで下さったので、すごく心強かった。ちなみに司会進行は久保さんで、それもまた頼もしかった。
質疑応答の内容は全部を憶えているわけじゃないけれど、島谷さんへの処遇についてはかなり厳しい質問を受けたと記憶している。解雇処分ではなく退職扱いにしたのは甘かったのではないか、と。
わたしはその質問に対しても、自分の考えを
罪を憎んで人を憎まず、それが父の
* * * *
「――村上さん、会見お疲れさまでした。一緒にいて下さって心強かったです」
会見場である大会議室から重役フロアーに戻る時、わたしは一緒になった村上さんにお礼を言った。わたしが返答に困っていた時、彼はさりげなく助け船を出して下さっていたのだ。
「お疲れでした、会長。桐島君は?」
「会長室で待ってくれています。彼もきっと、会見をネット配信で観てくれていたはずです。この会見は彼のために行ったようなものですから」
「やっぱりそうだったんですね。……いえ、これは失礼。では」
「…………? はい」
村上さんと別れてから、わたしは首を傾げた。――「やっぱり」ってどういうこと?
会長室へ戻ると、応接スペースのテーブルの上にコーヒーの入ったマグカップを用意して彼が待っていた。
「――ただいま、桐島さん」
「会長、おかえりなさい。会見の様子、僕もPCで拝見しておりました。僕のために世間の
「そんな……、やめてよ。わたしはただ、自分にできることをやっただけなんだから。そんなにかしこまることないよ」
深々と頭を下げて感謝の意を述べた彼に、わたしは苦笑いした。
「ですが、あんなに厳しく詰め寄られて大変だったでしょう」
彼はそう言うとわたしの隣に腰を下ろし、優しく頭をポンポンとなでてくれた。
「よく頑張りましたね、会長」
「……うん。ありがと」
彼の大きな手は、いつもわたしを安心させてくれる。この時もそうだった。わたしはいつもこの手で守られているんだと思うと、愛おしさが増してきた。
「――それはそうとですね、会長」
「うん? なに?」
「僕と会長の関係、もう周りにバレてるみたいですよ」
「…………ええええっ!?」
彼がボソッとした暴露に、わたしは思わずのけぞった。村上さんがおっしゃっていた「やっぱり」って、まさかまさか……!?