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彼のために、わたしができること ②

「――会長、急に押しかけてしまって申し訳ございません」


 山崎さんは応接スペースのソファーに腰を下ろすなり、わたしに深々と頭を下げた。


「専務、お茶をお持ち致しました。どうぞ。――あ、コーヒーの方がよかったですか?」


「いやいや。ありがとう、桐島君。いただくよ」


 貢は専務が湯呑みを引き寄せたのを確かめてから、デスクに戻ろうとしたけれど。


「桐島さん、ここにいて。貴方にも一緒に聞いてほしい話だから」


 わたしはそんな彼を引き留めた。この話は彼にも関係のあること、いやむしろ彼こそがいちばんの当事者だったのだから。

 彼がわたしの隣に腰を下ろすと、山崎さんが口を開いた。


「――会長、報告が遅くなってしまい申し訳ございません。先日会長からご依頼のありました、総務課のハラスメントに関する調査についてですが」


「いえ。お忙しい中無理なお願いをしてしまったのはこちらですから、どうぞお気になさらず。――それで、どうでした?」


「私どもの調査の結果、総務課のハラスメント問題は現在も続いていることが判明致しました。それも、課に在籍している社員の実に九割が被害に遭っている、と」


「そんなに被害者が……。でも、どうやってそこまで調べたんですか?」


 山崎さんがローテーブルの上に置いた資料を手に取ってパラパラめくりながら、わたしは愕然がくぜんとした気持ちで訊ねた。


「何とアナログな方法だろうかと思われるでしょうが、総務課の社員一人一人に聞き取りを行いました。わたしは昔人間ですので、地道にコツコツしかできませんもので」


「それは大変でしたね。ご苦労さまでした。ありがとうございます」


「それで、山崎専務。僕からも質問なんですが……、そのハラスメントを行っていたのはもしかして、島谷しまたに課長ではありませんか?」


 貢の口から、初めて具体的な人物名が飛び出した。もしかして、彼を苦しめていたのもその人だったの? 

 そう思いながら山崎さんの顔を見れば、彼の眉がピクリと動いた。


「当たりだよ、桐島君。君の口からその名前が出てくれてよかった。――島谷てる課長はいわゆる〝ワンマン管理職〟でしてね、もう二年ほど前から部下にパワハラやモラハラ、女性社員にはセクハラ行為も行っていたようです。その被害内容は、今お持ちの資料にまとめてありますが」


「これは……、ひどいですね。体を壊したり、メンタルをやられて会社を辞めたり休職している人も大勢いるみたいだし」


 わたしは資料をめくりながら眉をひそめた。こんな重大な問題が、本当に、しかも現在進行形でこの会社に潜んでいたなんて。


「……あれ? ちょっと待って。山崎さん、さっき問題が起きたのは二年くらい前から、っておっしゃってましたよね? 桐島さんは確か、入社して三年目だったっけ」


「はい、もうすぐ四年目に入りますけど。島谷課長は僕が入社二年目の年から課長になったんで、パワハラに遭い始めたのもその頃からだったんです」


「……なるほど、分かった。ありがとう」


 貢の説明で納得がいった。島谷さんという人は、管理職に昇進したことで「自分が権力を持った」と勘違いして部下に偉そうな振舞いをするようになったということか。


「――あの、私からの報告は以上になりますが。これで、この問題を公表する材料は揃いましたでしょうか?」


 おずおずと、山崎さんがボスであるわたしの顔色を窺うようにして訊ねた。


「う~ん……。わたしとしては、退職されたり休職している人たちからも話を聞きたいなぁと思ってるんですけど。それはこちらで引き受けますから大丈夫ですよ。山崎さん、この資料頂いてもいいですか?」


「ええ、もちろんです。それは会長に差し上げますので、お好きなようにご活用下さい」


「ありがとうございます。今回はわたしの無理なお願いを聞き入れて下さって、本当にありがとうございました。じゃあわたしも、さっそく明日から動いてみます。聞き取り調査が終わったら会議を開いて、島谷さんの処分などを相談しましょう」


「かしこまりました。後のことは、会長に一任致します。では、私はこれで」


 貢に「君が淹れてくれたお茶、美味しかったよ。ありがとう」とお礼を言って、山崎さんは会長室を出て行かれた。


「――ここからは、わたしの仕事だね」


 わたしはマグカップと資料を持ってデスクに戻り、改めて資料の内容を確認しながら言った。


「明日からここに載ってる人たちに聞き取りして、証言が集まったら重役会議。その後は……最悪、本部の監査室に動いてもらうことになるかなぁ」


 ハラスメント問題はグループ内のコンプライアンスにも関わってくる。本部の監査室はその調査を行う専門部署なのだ。

「そして島谷課長の処分を決めて、記者会見、と。――ですが明日からというのは? 会長、学校を休まれるおつもりですか? ……明日は土曜日なので、来週からになりますか」


「違う違う! 明日は卒業式だから、午前中に終わるの。わたし二年生だから、在校生代表で出席するんだ」


「ああ、なるほど。そういうことですか」


「で、来週からは新入生のための説明会とかがあるから、終業式までは短縮授業に入るの。というわけで、わたしは明日からまた早めに出社できます。以上」


「分かりました、了解です。――ですが、会長はどうしてそこまで……?」


 彼は首を傾げた。わたしがどうしてそこまで、社員のみなさんのために必死になれるのか、不思議で仕方がないらしい。

 でも、それは父だってそうだったはず。わたしも貢たち社員のみなさんのことを、〝家族〟だと思っているから。それに、この件はわたしが言い出したことだったので、全部人任せにしたくなかったというのもあった。

 でも……、いちばんの理由は。


「貴方と、貴方の同僚だった人たちを早く助けてあげたいから。つまり、大好きな貴方のためだよ」


「会長……」


「まぁ、愛されてるって分かったら、その愛にむくいなきゃね」


 ハッとした彼に、わたしはとどめのウィンクをした。それを見た彼は、何だか嬉しそうにニヤニヤと笑った。


「……なに?」


「…………いえ。先ほどの会長が、ものすごく可愛いなぁと思って」


「え?」


「いえいえ。会長はどんな表情をされていても可愛くて魅力的なんですけど。というか、その表情豊かなところが会長のいちばんの魅力だと僕は思ってます」


「……あ、そう。ありがと」


 わたしは嬉しいやら照れくさいやらで、俯いてボソリと呟いた。何だか調子が狂う。


 彼はわたしと交際を始める前と後で、わたしへの態度というか接し方が分かりやすく変わった。特に、二人きりでいる時の愛情表現がかなり豊かというか。わたしが「要らない」と言ったホワイトデーのお返しがそのさいたるものだろう。

 でも、それはあくまでのことで、会社ではあくまで秘書として、わたしの支えになってくれていた。


「――とりあえず、ここに載ってる人たち全員の連絡先、わたしのスマホに登録しとこう。アポ電なしで突撃訪問したって、会えないんじゃ意味ないからね」


 わたしは制服のポケットからマナーモードにしていたスマホを取り出し、着信や受信メールなどを確認するついでに連絡先の登録を始めた。個人情報の扱いに厳しいこのご時世に、わざわざ個人の連絡先まで名簿に載せてくれた山崎さん(もしくは秘書の上村さんかな?)は本当に仕事熱心だなぁと思った。

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