――タクシーで家に帰ると、わたしは部屋へ戻ってすぐに貢へ電話をかけた。
「桐島さん、……パパが、今朝早くに亡くなりました。すごく穏やかな最期だった」
『そうですか……。わざわざご連絡ありがとうございます』
彼はわたしが強がっていたことに気づいていたと思う。そのうえで、あえてわたしにお礼だけを返してくれた。
「これからママが葬儀社の人に連絡して、葬儀の打ち合わせをするんだけど。多分、パパの遺志を尊重して社葬っていう形になると思うの。桐島さんも参列してくれる?」
『もちろんです。その時には、絢乃さんの秘書として参列させて頂きますね。まだ正式な辞令は下りていませんけど』
「うん、ありがと」
電話を切った後、今度は里歩にも電話で父の訃報を伝え、アメリカに住む井上の伯父にはメールで父の死を知らせた。
* * * *
父が亡くなった日が友引だったため、翌日の夜がお通夜となり、そこで父の遺言書が公開された。
父個人の財産だった数十億円の預貯金は、母とわたしとで半分ずつ相続することになった。ここまではよかったのだけれど、問題は〈篠沢グループ〉の経営に関する項目だった。
後継者としてわたしが会長に就任することが望ましい。そして、グループ企業全社の資産・株式・土地・建物の権利もすべてわたしに譲る。――当然、この内容に反発する人たちが出てきて、母だけでなくわたしまでその人たちに敵視される事態となってしまった。
「……絢乃、これで本当にいいの? あなたまであの人たちに恨まれることになるけど」
わたしのメンタルに受けるダメージを心配してこっそり耳打ちしてくれた母に、わたしは作り笑いを浮かべて「大丈夫」と頷いた。
この時から、わたしは悲しみや怒り、悔しさなどネガティブな感情を表に出さないようにしようと決めた。自分の心の中だけで消化してしまおう、と。
反対派の人たちとの争いは、翌日執り行われた父の社葬の後、振舞いの席に第二ラウンドを迎えることになった。
* * * *
――父の社葬は、篠沢商事本社ビルの大ホールで営まれた。お世辞にも〝しめやか〟とは言い
式を取り仕切っていたのは、貢も少し前まで在籍していた総務課。受付には黒のスーツ姿の女性社員が座っていて、司会進行は貢の同期だという男性が務めてくれることになっていた。
「――絢乃、おばさま。この度はご愁傷さまです」
大人っぽいダークグレーのワンピースの上に、同系色のコートを羽織った里歩が、ブラックフォーマルのスーツに身を包んだ母と黒のワンピース姿のわたしを見つけて駆け寄ってきた。
「里歩、来てくれてありがと。おじさまとおばさまは?」
「どうしても外せない用事があってさ、今日はあたしが
「そう。里歩ちゃん、ご苦労さま」
泣き笑いの表情で里歩に接していた母とは対照的に、わたしは上辺だけの笑顔を薄っすら浮かべていただけだった。父を失ってすぐに親族から負の感情を向けられたわたしは、防御策として心をフリーズさせることにしたのだ。
「……絢乃、アンタ大丈夫? 相当ムリしてるっぽいけど、
会場に流れていたピリピリした空気に、里歩も気づいていたらしい。
「アンタの一族、かなり荒れてるとは聞いてたけど、ここまでひどいとはねぇ」
彼女は慰めるようにわたしの肩を叩きながら、露骨に眉をひそめた。
「大丈夫だよ。あんなの放っとけば。わたしは別に何とも思ってないし」
「それならいいんだけどさ。あたし、式の間ずっとアンタの隣に座ってるから。何かあったら言いなよ?」
「うん、ありがと」
そんなわたしたちのところへ、黒のスーツに黒いネクタイを締めた貢もやってきた。
「――桐島さん、ご苦労さま」
「絢乃さん、この度はご愁傷さまです。――ああ、里歩さんも来て下さったんですね。ありがとうございます」
「ああ、いえいえ。ウチの両親も絢乃のお父さんにはお世話になってましたから。桐島さん、絢乃の秘書になったそうですね」
彼が秘書になったことは、前もって里歩にも伝えてあったのだけれど。
「はい。絢乃さんはこれから篠沢グループを背負って立つ人ですから、僕でお役に立てることがあればと思って」
「桐島さん、ちょっと厳しいこと言いますけど。絢乃の秘書になるってことは、この子に自分の生活全部をささげるってことだって分かったうえで決めたんですよね? あたし、あなたにいい加減な気持ちでそんなこと軽々しく言ってほしくないんです」
「里歩! それはちょっと言い過ぎだよ!」
「いえ、いいんです。もちろん、僕もそのつもりでいますよ。絢乃さんのことは僕が全身全霊お守りすると決めましたから」
困惑して親友をたしなめたわたしに、彼は本気の覚悟を見せてくれた。
「……それならいいんです。ごめんなさい、偉そうなこと言っちゃって。絢乃のこと、これからよろしくお願いします。――絢乃、ホントごめん」
「ううん、いいよ。ありがと」
わたしは貢に対しても、薄っぺらな笑顔で受け答えしていた。でも、二人とも、特に貢は気づいていたと思う。わたしのメンタルが、ギリギリのバランスを保って持ちこたえていただけだということに。
* * * *
――父の社葬は一般的な献花式で行われた。篠沢家が無宗教のためだ。
大ホールの壇上に父の遺影と
喪主である母に続いて父に花を手向けたわたしは、何も言わずに遺影を見つめていた。もう決意表明は済んでいたし、「さよなら」は言いたくなかったから。「何て冷たい娘だろうか」と、他の親族には思われたかもしれない。
式典の間ずっと、里歩が母と反対側のわたしの隣に、貢もすぐ後ろの席に座っていてくれたので、わたしも何とか落ち着いていられた。
全員の献花が終わり、いよいよ出棺という時になって、里歩が「あたしはここで帰るよ」と言った。
「絢乃、ごめん! あたし、今日はあくまで両親の代理だしさ。桐島さんがいてくれるなら大丈夫だよね?」
「うん……。里歩、ホントにありがとね。学校はしばらく忌引きになると思うから、三学期が始まったら先生によろしく言っておいて」
「分かった。――桐島さん、あたしはこれで失礼します。絢乃のことお願いしますね」
「はい、任せて下さい。お気をつけて」
コートを着込んでホールを後にした里歩を見送った後、貢が「それでは、そろそろ僕たちも参りましょうか」と着ていた黒いコートのポケットからクルマのキーレスリモコンを取り出した。社用車ではなく、彼の愛車のキーだ。
「斎場まで、僕のクルマで送迎致します」
「うん。桐島さん、よろしくお願いします」
「桐島くん、ありがとう。安全運転でよろしくね」
「はい。――では、お二人は後部座席へどうぞ」
彼はロックを外すと、うやうやしく後部座席のドアを開けてくれた。