――そして、父と過ごす最後のクリスマスイブ当日。
「ふぅーーっ……。絢乃、飾りつけはこんなカンジでいい?」
学校はすでに冬休みに入っていて、午後イチで来てくれた里歩はパーティー会場となったリビングダイニングの装飾やケーキ作りなどを張り切って手伝ってくれた(とはいっても彼女は料理があまり得意ではないので、ケーキに関してはイチゴのトッピングを手伝ってもらっただけだった)。
彼女はもう十年以上前から篠沢邸に遊びに来ていたため、我が家でも「勝手知ったる」という感じだった。
「うん、いいんじゃない? ツリーも飾ったし、このサンタ帽もクリスマスらしくていいと思う。ありがとね、里歩」
里歩の長身は、高いところにガーランドを飾るのに大いに役立った。わたしや母では身長が足りなくて届かないのだ。
「桐島さん、そろそろ来るかなぁ」
「そうだね。夕方六時スタートって伝えてあるから、もう来る頃かな」
わたしは腕時計を見ながら、里歩に答えた。
――あの夜、「クリスマスイブの夕方から我が家でパーティーをやるんだけど、来ない?」と彼を電話で誘ったところ、最初は「僕が行ったら場違いなんじゃないですか」と遠慮していたけれど、父が招待したいんだと伝えると、かしこまったように「参加させて頂きます」と言ってくれた。
後から知ったことだけれど、彼はウチに来ることを「敷居が高い」と思っていたらしい。何の負い目もないはずなのに。それとも、わたしに好意を持っていることを父に後ろめたかったんだろうか。
――ピーンポーン……、ピーンポーン……。
六時少し前、リビングにインターフォンの音が響いた。……来た来た!
カメラ付きインターフォンのモニターを確認すると、「ちょっとおめかししました」という感じの私服姿の彼が映っていた。
「――はい」
『あ、桐島です。今日はお世話になります。――クルマ、カーポートに勝手に停めさせて頂きましたけど』
「いらっしゃい、桐島さん! 全然オッケー☆ 門のロック開いてるからどうぞ入って」
モニターを切ると、史子さんがポカンとした顔で後ろに立っているのに気がついた。
「……あ、ゴメンね!? 史子さんの仕事取っちゃって」
「いいえ、よろしゅうございます。お嬢さまのお知り合いの方でございましょう?」
「うん。パパの会社の人だよ。今日のメインゲスト」
その言い方は少しオーバーだったかもしれないけれど、父が招待した相手なのだからあながち間違ってはいないはずだ。
「分かりました」とニコニコ顔で頷き、史子さんはやりかけだった他の仕事に戻った。
「――じゃあわたし、桐島さんを出迎えに行ってくるね」
里歩にそう言ってリビングを出ようとすると、「絢乃、ちょっと待ちな」と引き留められた。
「なに?」
「アンタ、鼻のアタマにホイップクリーム付いてるよ。その顔で彼を迎えるつもり?」
「えっ、ウソ⁉」
彼女はさりげなく、デニムのミニスカートのポケットから手鏡とポケットティッシュを取り出し、わたしの鼻に付いた汚れを拭き取ってくれた。
「……はい、取れた。まったくこの子はもう、手がかかるんだから」
やれやれ、と呆れたように肩をすくめた里歩は、同い年だけれどわたしのもう一人の〝お母さん〟みたいだった。
「ありがと。じゃあ、今度こそ行ってくるね」
「――絢乃さん、今日はご招待、ありがとうございます。おジャマします」
「いらっしゃい! 来てくれてありがとう。どうぞ、これに履き替えて。会場はリビングダイニングなの」
わたしは玄関にいる貢をとびっきりの笑顔で迎え、来客用に用意された紺色のモコモコスリッパを勧めた。ちなみに、里歩もそれの色違いであるピンクのスリッパを履いていた。
「……あの、玄関に女性もののウェスタンブーツがあったんですけど。あれはどなたのですか?」
「わたしの親友だよ。中川里歩っていう子で、今日も午後イチで来て準備を手伝ってくれたの。後で紹介するね」
「……そうですか」
廊下でのわたしとの会話中も、彼はソワソワと落ち着かない様子だった。やっぱり、わたしのカンは当たっているんだろうかと思い、先手を打ってみた。
「――ねえ桐島さん。わたしとちょくちょく会ってること、パパに後ろめたいと思ってるなら大丈夫だよ? パパも知ってるもん」
「え…………、そう……なんですか?」
「うん」
わたしは頷いてから、「それはどうして」と理由を掘り下げられたらどうしようかと思った。ここは告白するタイミングではなかったし、うまく言い逃れる自信もなかったから。
「ああ、そうだったんですか。よかった……」
ようやくホッとした様子の彼を見て、わたしのカンは当たっていたんだと確信した。まだ、彼がわたしに対して抱いている好意が恋心かどうかまでは分からなかったけれど。
「――ところで今日、お父さまの具合は……? もう会場にいらっしゃるんですか?」
「まだ部屋にいるみたい。具合は相変わらずかな。気分がよければ顔出してくれるって言ってたけど」
「そうですか」
その頃の父は、後藤先生も言っていたとおり体力はほぼ残っていなくて、気力だけで生きているような状態だった。体重もかなり落ちてはいたけれど、最近の抗ガン剤は副作用が少ないらしい。髪が抜け落ちるようなこともなく、痩せた以外は病気になる前の父とほとんど変わっていなかった。
「……もう、わたしもママも覚悟はできてるの。パパは十分頑張ったんだから、旅立った時は『お疲れさま』って見送ってあげようね、ってママと話してて」
彼が気を遣わないように、わたしは努めて明るい口調を心掛けた。
父の余命宣告をされた日に泣いて以来、彼の前では一度も涙を見せないようにしていた。彼は優しい人だから、わたしが泣いていたらきっと自分のことのように心を痛めてしまうだろうと思ったのだ。
「……って、なんかゴメンね! 今日はこんな湿っぽい日じゃないよね」
「絢乃さん……、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫! ――あ、ここがリビングダイニングね。どうぞ」
わたしが無理をしているんじゃないかと心配してくれていた彼に、わたしはカラ元気で答えた。
「里歩、桐島さんが来てくれたよー。……って、パパ! 今日は気分いいみたいだね。よかった」
貢を連れてリビングダイニングに戻ると、車イスに乗った父が里歩にサンタ帽を被らされていた。
「会長、今日はお招き頂いてありがとうございます。お邪魔させて頂きます」
「桐島君、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。よく来てくれたね、ありがとう。楽しんでいきなさい」
「はい」
勤務先のボスに対しての接し方で挨拶した彼を、父は穏やかな笑顔で迎えた。「社員はみんな家族」という考え方がここでも表れていて、父らしいなと思った。
「――それで、こちらが絢乃さんのお友だちの」
「中川里歩です。初めまして、桐島さん。絢乃がいつもお世話になってます」
「ああ、いえ。初めまして、里歩さん。桐島貢と申します。よろしく」
彼はわたしと同じく八歳年下の里歩に対しても態度が固く、わたしも里歩も苦笑いした。
「桐島さん、もっと肩の力抜いて。里歩はわたしと同い年だよ」
「そうですよー。ほら、リラーックスして」
「……はあ」
わたしと里歩が貢の肩や背中をポンポン叩くと、彼は困ったような笑顔を浮かべた。
ちなみに、あれから一年半が経った今でも、彼の里歩に対する態度は相変わらず堅苦しい。この後、彼とわたしとの関係性が変わったせいもあるのかもしれないけれど。