秋も深まり、肌寒くなってきた今日この頃。
真琴はわからず屋の同級生に連れられて、アクジキジハンキがよく出るという中学校の近くの坂に来ていた。再来年にはこの道を通って登校するというのに、実感めいたものは一つも湧かない。まあ、まだ小学五年生だ。小学校を旅立つ実感なんて、再来年の三月まで抱くことはないだろう。
そんなアクジキジハンキとはまるで関係ないことを考えていると、どん、と後ろから突き出された。おっと、とたたらを踏むと、後ろからけらけら笑う声が聞こえた気がした。振り向くと、またどん、と突き飛ばされた。わりと強い力だったため、けほ、と空咳が零れる。真琴は胸をさすった。
「ほら、ここが出るって噂の場所だ。もっとも? お前なら知ってるんだろうけどなぁ?」
まあ、それは確かに知っている。祖父の資料にも載っていた場所だ。
悪ガキはニタァと笑って、お仲間に提案する。
「こいつ、アクジキジハンキに詳しいんなら呼び出し方とか知ってんじゃね?」
馬鹿だろうか、と口から出そうになってやめた。アクジキジハンキに安易に関わろうとしている時点で馬鹿なのは明白だった。
大体、幽霊ならまだわかるが、都市伝説に「呼び出し方」なんてあろうものか。瑠依が言っていた通り、アクジキジハンキは神出鬼没だ。そんなものを呼び出す方法があるのなら、教わりたいくらいだ。祖父なら泣いて喜んだところだろう。
「……まあ、考え方次第では呼び出せるか……」
そうぽつりと呟いてしまったのがいけなかった。
「ふぅん? こいつ、呼び出せるってよ」
「まじかよ。やってもらおうぜ」
「……うわー、馬鹿ばっかり……」
「あぁ?」
「……睨むしか能がないんだね。可哀想に」
ぼす、と殴られる。鳩尾に入った。乾いた息がかはっと出た。
それでも無表情な真琴の様子に悪ガキ共は苛立つ。こいつは、いくら殴っても効かない。そう悟った。
「おら、さっさと呼んでみろよ」
「えー……」
「文句あんのか?」
「いや、むしろこの状況で文句がない方が不思議だね」
「殴られてぇのか?」
「殴れば全部解決するって思ってるんだ、可哀想」
「このっ……」
「やめろ」
拳を振りかぶりかけた一人をもう一人が止めた。やっとまともな思考回路のやつか、と真琴は思ったが、甘かった。
「こいつが呼び出す気なくなったらどうするんだ?」
そもそも呼び出す気などないのだが、先程の手が早いやつより圧が強い人物だ。口先で真琴と渡り合えるタイプだったらまずい。
そいつが真琴を見る。
「なあ、呼び出してみろよ」
「嫌だと言ったら?」
「拒否権あると思うの? 可哀想」
「はあ?」
半ば溜め息のように返すと、そうだなぁ、とそいつは呟いた。
「真琴って、瑠依ちゃんとー、あと今日は芽ちゃんとも仲良くしてたよね。あの二人も呼ぼうかな」
「……」
真琴は肩を竦めた。瑠依は単に幼なじみの腐れ縁なだけだし、芽とは今日偶然喋ったに過ぎない。だが、二人をだしにされて黙っているほど真琴は人間をやめているつもりはない。
「トオツカミエミタマエ」
はっきりと紡いだ言葉はとても小学五年生の頭では理解できない代物だった。
一瞬だが、視界がぐらつく。他のガキ共もそうだったようで、なんだなんだとどよめいた。五月蝿いなぁ、と真琴はぼやいた。
「お望み通り、呼んであげたんだよ。ほら」
坂の中腹を指差す。それに釣られてガキ共がそちらを見やると、さっきまで何もなかったはずのところに、自販機が佇んでいた。
おお、と感嘆の声が上がる。これだけで喜べるとは、幸せな脳みそをしているな、とナチュラルに失礼なことを考えながら、真琴は若干自販機から離れた。
が、それを目敏い悪ガキが見逃すわけもなく、真琴は呆気なく引き戻された。首根っこを後ろから引っ張られたため、首が締まってぐえ、と蛙のような声が零れる。それをこれみよがしに悪ガキ共は笑い立てる。
「うわ、聞いたかよ今の声」
「蛙よりきたねー声」
「そんなことよりアクジキジハンキ、こいつに何か奢らせようぜ」
「うえ」
こんなことをさせられた上にたかられるとはたまったものではない。
「やだよ。お金持ってないし。自分で買いなよ」
「はあ?」
「それとも貧乏なの? ああごめん、そこまで考慮してなかった。可哀想に」
案の定、挑発された一名が飛びかかろうとするが、何名かが止める。
「見え透いた挑発に乗るなんてオコサマ過ぎるぞ」
「ってか金持ってねえとかしけてんな」
しけているとは、発言がもはや悪ガキではなく不良だ。笑えてくる。が、堪えた。
代わりに忠告する。
「あの自販機で飲み物を買うのはあまりおすすめしないな」
肩を竦めてみせるが、誰一人として聞いていなかった。もう自販機の方へ向かっている。——アクジキジハンキの方へ。
「あーあ」
最初の一人がちゃりん、と小銭を入れる。こうなったらもう知らない、と帰ろうか考えていると。
「お釣、いただきますね」
やけに澄んだ女性の声がした。
直後。
「はあっ!? お釣が出ねぇ!? 今月の小遣いピンチなのに」
小遣いピンチは自己責任として、そいつが取った行動がよくなかった。釣り銭口に手を突っ込んだのだ。
真琴は見過ごせなかった。
「何馬鹿なことしてんだ!! そんなところに手を入れんな!!」
普段寡黙な真琴が空気がびりびりと震えるほどに怒鳴ったことに、悪ガキ共が驚く。
が、時既に遅し。
「うがああっ、手がぁ、手をかじるなぁっ!」
釣り銭口に入れたはずの悪ガキの手は見るもおぞましい口ばかりついた化け物の口の一つに咥えられていた。しゃぶるような音がする。生々しい唾液混じりの音に真琴に対して威勢のよかった悪ガキ共も立ち竦む。
「ひ、引き剥がそう」
ようやくそれを口にできたのはさっきの口が達者そうなやつだ。だが、真琴はすぐに言い返した。
「やめろ! 残酷なことに」
べりぃっ!!
……そもそも、この悪ガキ共が真琴の言葉に耳を傾けるはずもなかった。
自販機からようやく解放された悪ガキの一人は冷や汗を流しながらも安堵の表情を浮かべ、手を確認し——一気に青ざめた。
「手が、ない!?」
そう、そいつの手首から先はまるで最初からなかったかのようにすっぱり消えていた。
「う、うそ……何が……」
「はやく! 早く逃げるんだ!!」
真琴が声を張るが、悪ガキ共は現実とは程遠い現象に脳の処理が追いついていないようで、動けない。
そのとき。
「手首だけですか?」
澄んだ女性の声がやけに冴え渡って響いた。
ひぃ、と悲鳴を上げたのはもはや誰かはわからない。真琴以外の全員が、先程まで自販機だったそれに怯えきっていた。
そこにいるのは自販機の形など跡形も残していない。黒くてどろどろした何かだ。手も足も顔もないが、それ以上にそこかしこに口がある、そんな化け物。得体の知れないものの登場と、不満とも取れる澄んだ女性の発言。ミスマッチなそれらが、ミスマッチであるが故に、不気味さをより際立たせていた。
「手首だけですか? 八十円程度の端金を惜しむような心の狭い人間はもっと思い切り食ってやりたいんですが」
声だけが濁りないだけに、余計に恐ろしい。
「手が、手が」
「いいから逃げろ、食われるぞ」
「駄目だ、腰が抜けた」
「足が動かねえよ」
「息が上手く、できない」
真琴は渋面を浮かべる。自分たちで招いたことだろうに、向き合う覚悟が誰一人ないとは情けない。
「今日はお腹が減っているんです。いっぱい食べたいんです」
澄んだ女性の声と共ににじり寄ってくる口の塊。非情ではあるが、真琴は食われてやる気はない。見捨てて逃げることにした。