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あの都市伝説の噂

「ねぇねぇ、聞いたことある? あの都市伝説」

「えー、何ですか?」

 目の前で同級生たちが雑談しているのをとてもつまらなそうな表情で、真琴まことは聞いていた。……といっても、そちらには目もくれず、実際は本を読むBGM程度にしか聞いていない。

 読んでいる本には黒いブックカバーがしてある。そのブックカバーはなかなかお洒落なデザインで、黒地に白い蔦のようなものが隅を彩っている。しかし、それは誰にも関係ない、という冷めた考え方を真琴はしていた。同級生の雑談も、耳に入ってくるから聞いているだけ。真琴は脳の情報処理速度が元より速いらしく、大量の情報を受け止めることができる。本の中に並んだ文字の羅列を見ながら、雑談の内容を目の前だけでなく、何だったら教室全体の分まで把握することができる。

 ここは一番後ろの窓際の席。だが、一番前の廊下側の席のやつがくちゃくちゃガムを噛んでいる音を五月蝿いと思うし、廊下できゃぴきゃぴしている女子の声は耳障りだ。けれど、今読んでいる本——祖父が自費出版した「この街の土地神について」というオカルトな内容の本の内容を面白く思う。

 祖父は昔からオカルト好きで有名で、学生の頃に自分でオカルトサイトを建設して、オカルト界では彼を知らぬ者はいない、というくらいの人物である。もはやそのレベルだとこの街的には偉人なのではないだろうか。

 そう祖父のことを真琴は誉に思っていた。

「えー、真琴ちゃーん? ちゃんと聞いてるー?」

「何、僕に話しかけていたの?」

 都市伝説云々を語っていた目の前の女子が名前を呼んできたので、仕方なく真琴は顔を上げる。見ると、ちゃらちゃらした雰囲気の女子が真琴にへらへら笑っていた。この女子を真琴はあまり好きではない。とはいえ、仮にもクラスメイトだ。名前くらいは覚えている。

 短い髪を項で二つに分けて結っている彼女は瑠依るいである。なんだかんだ、幼なじみをやっている。あまりいい性格とは言えない。その証拠に、彼女の後ろで話に相槌を打ってくれていた女子が置いてきぼりになっている。

 はあ、と溜め息を吐いて、真琴は注意する。

「ほら瑠依、悪癖が出てるよ。めぐみさんが相槌してるのに僕に振るなんて」

「ナツメグちゃんより真琴ちゃんの話が聞きたいの!」

 我が儘なやつである。ちなみにナツメグと芽は同一人物である。夏目なつめ芽という名前を略して、クラスのみんなはナツメグと呼んでいる。なんとなくではあるが、真琴は芽を冒涜しているように感じられるため、芽と名前で普通に呼んでいる。瑠依は「渾名で呼べるのも友達の特権だよ」などと言っているが。

 まあ、少なくとも瑠依に悪意がないのはわかっている。瑠依はいじめなんて陰湿なことをするようなちんちくりんではない。本当に天然で悪意にも取れる行動をしてしまうだけだ。幼なじみだ。それはわかっている。

 それに、真琴と瑠依は元々、祖父同士の繋がりで知り合ったのだ。瑠依の祖父は真琴の祖父より早逝しているが、二人は幼い頃からの親友だったらしい。お揃いの石榴石のブレスレットを見せられたときはぞっとしなかった。

 ちなみに瑠依は真琴を「真琴ちゃん」と呼ぶが、真琴は男だ。幼なじみだから許しているが、他の誰かが「真琴ちゃん」と呼ぼうものなら……無視するだろう。

 真琴はつまらない人間だと自負している。特に面白いことを考えるわけでも言えるわけでもない。ただただ頭がいいだけ。妬まれているが、気にしない。いじめの一つや二つ程度では眉一つ動かない。瞬きすらしない。そんな人間を誰が面白いと思うだろうか。例外的に瑠依は面白がっているようだが。

 丁寧に編まれたおさげをぶら下げている今時珍しい昭和女子の雰囲気を漂わせる芽は、はっきり言ってしまうと冴えない容姿だ。頭の出来は真琴に追随するほどなので、語るべくもないが。

「で、都市伝説の話?」

「なんだ、ちゃんと聞いてるじゃん。さっすが真琴ちゃーん。話そ話そ」

「芽さんも興味あるみたいだから混ぜてあげようね」

「えー」

「文句があるなら聞き流すけど」

「冗談だって。ほらナツメグちゃん、こっちおいで」

「わーい」

 仲間に入れてもらえた芽は嬉しそうだ。

 都市伝説——真琴は祖父の影響を存分に受け、オカルトが好きだ。今土地神の話を読んでいるのだって関係している。

「でね、ほら、今や全国レベルで有名な神出鬼没の都市伝説あるでしょ」

「都市伝説は大抵神出鬼没だよ」

「ああ言えばこういう。真琴ちゃんモテないよ」

「マセガキじゃないから結構」

 ぷくぅ、と頬を膨らませる瑠依にお構い無しで、真琴は本を再び開く。大体ページが合っていたので、恙無く読み進める。

 それを瑠依が覗き込んできて、ページに影がかかる。真琴は若干鬱陶しく思った。

「何?」

「いやぁ、真琴ちゃん、また難しい本読んでるなぁって」

「じいちゃんの本だよ」

「えっ、真琴くんのおじいちゃんって作家さまなんですか?」

 芽が食いついてきたのを一顧だにせず、真琴は答える。

「作家っていうか、これ自費出版だからね。作家って言っていいのかな」

 小説とかではないし、真琴は祖父をすごい人だと思うが、作家だと思ったことがない。出した本もこれ一冊であるし……

「まあ、真琴ちゃんのおじいさんはすごい人だよ。死ぬ寸前までオカルトサイト経営してたもんね」

「辞世の句が『怪奇は世の宝、滅ぶことなし』だから。ただの変人だよ」

「自分のおじいさん捕まえて随分な言い様だね」

「事実だし」

「真琴くんって、クールっていうより、冷めてるんですね」

「うん」

「ここで素直に『うん』って答える真琴ちゃんも真琴ちゃんだけどね」

 そんなことは置いといて、とさくさく話題を変えてしまう辺り、瑠依も瑠依だ。そんなこと扱いされた真琴は爪の先ほどの反応も見せず、続く言葉を待った。

「その都市伝説とはなんと……アクジキジハンキです!! ひゃっほーい!!」

 一人でかなり盛り上がる瑠依。そこに真琴は冷めた視線を向ける。芽だけがわかっていない。きょどきょどしている。

「アクジキジハンキって?」

「ナツメグちゃん、よくぞ聞いてくれた!」

 そこから瑠依は拳を握りしめて語り始める。

「かくも恐ろしき都市伝説があろうか……それは遡ること六十年前……」

「……わりと最近だね」

「ちょっと真琴ちゃーん、いいところに水射さないでよー」

 それっぽく語り始めたところにけちをつけられたため、再びむくれる瑠依。真琴はお構い無しで、本のページをめくる。

「怪奇譚で六十年なんてまだまだ若造だよ」

「それはそうだけどさー」

 瑠依がぴん、と指を一本立てる。

「地元発の都市伝説なんて、なかなかあるものじゃないでしょー」

「えっ、そのアクジキジハンキって、ここ発祥なんですか?」

「そだよー」

 とても軽く告げる瑠依だが、これはとんでもない事実だ。

「学校の怪談とかも変わってるからね、この辺は。だからこそじいちゃんもオカルトにはまったって言ってたよ」

「ほえー。確かに、『トイレの手』とか『カンペン』とか『ずるずるさん』とか、メジャーな学校の怪談から離れたところがありますもんね」

 そう、トイレの花子さんとか、音楽室のベートーベンとか、学校の怪談でもメジャーどころがない。地元の都市伝説も事故が多発する「風鳴駅」といった感じで、全国に出て回るような有名なものは少ない。

 真琴の祖父に言わせると、この街は「怪奇の宝庫」だという。

 瑠依の祖父は「ずれている」と語ったらしいが、祖父同士は否定し合うことはなく、個々の意見として受け入れていたらしい。

「でさ、アクジキジハンキなんだけど、最近は春夏秋冬季節を問わずに現れるんだよね」

「……へぇ」

「反応うっす!!」

 真琴からすれば、そんな情報は祖父の残したホームページからネタが割れることである。

「さては知っていたな!?」

「むしろどうして知らないと思ったの?」

 とても不思議である。祖父が残した本を読んでいる時点で真琴が「そういうもの」に興味があるのは明らかだ。まあ、瑠依が鈍いのかもしれない。

 問題は話題の発展性が失われてしまった、ということだ。せいぜい芽が「真琴くんは知っていたんですね」というくらいだろう。

 ところが、真琴が予想していた以上に瑠依は手を持っていた。

「だからさ、アクジキジハンキに会いに行こうと思うんだよね」

「はっ?」

 あり得ない。何を言っているんだ、こいつは。そんな感じの表情になっていただろう、真琴の顔は。

 芽が冷や汗を滲ませ、瑠依の肩を叩く。

「る、瑠依ちゃん、いくらなんでもそれは無茶なんじゃないかな? だって、アクジキジハンキは人を食べちゃうんですよね?」

 そう、そうなのである。

 アクジキジハンキは人を食う。だからこその「アクジキ」である。それのせいで全国各地で原因不明の行方不明者が増えている。ニュースになるくらい。「アクジキジハンキ注意報」なんて馬鹿げた報道が日常的になるくらい。

 真琴はオカルトは好きだが、命を懸けるほどではない。

「瑠依が馬鹿なのは知ってたけど、そこまで馬鹿だとは知らなかった」

「ちょっとー、いくら真琴ちゃんでもそれは言い過ぎだと思うなー」

 真琴は言葉を返さない。代わりにじっと瑠依の目を真っ直ぐ見つめる。

 まじまじと見つめられて照れたのか、瑠依が頬を赤らめ、目を逸らす。

 いや、いじけたのだ。

「……そんなジト目で見ることないじゃん」

「瑠依を止めるにはこれしかない」

「ぐぬぬ」

 真琴は口数が多いわけではない。相手を論破できないわけではないが、それを好まない。相手が自分の意思で良い方を選ぶように誘導する方がいい。後腐れがないから。

 その場合の瑠依への説得材料は、真琴の目線だった。瑠依には真琴の目力が通用する。通用しなかった試しがない。

「……もーっ、真琴ちゃんはいつもずるいんだから。わかったよ。行かない行かない」

 ちぇー、と言いながらも、瑠依は話題を変えていった。

 ほっとしたのも束の間、真琴の耳は教室の片隅の会話を拾った。

「わー、真琴のやつ、根性ねえんだな」

「じゃあ、今度俺たちで行こうぜ、アクジキジハンキ」

 目を見開き、そちらを見た。

 男子がにやりと口角を吊り上げた。

 それを真琴は聞いてしまったからには止めないわけにはいかなかった。

「ちょっと、今の話聞いてた? そこの男子」

「あぁ?」

 簡単にガンを飛ばしてくる男子たちだが、その程度で真琴に効くわけもない。真琴はわからず屋に溜め息を吐いた。

「アクジキジハンキは危険なものなんだよ。簡単に関わっていいものじゃない」

「何の根拠があって言ってんだよ。所詮都市伝説じゃんか」

 再び深々と息を吐き出し、処置なし、といったように首を横に振った。

「わかってないな……俗物が関わっていいものじゃない……」

 真琴はわりと普通のことを言ったつもりだが、普通の男子たちには、かなり油を注いでしまった。真琴が襟首を捕まえられる。真琴は真顔だが、脇で瑠依があちゃー、とこぼしていた。

「誰が俗物だって? 妙ちくりんなのはじじい譲りか?」

「人の尊敬する人物を妙ちくりんなじじい呼ばわりとは失礼だね。事実だけど。そういうところだよ」

「あぁん?」

 びきびきとこめかみに青筋が立つ。もはやこいつらを止める術はないだろう。

「……こいつを肝試しに連れて行ってやろう。こんなやつ、アクジキジハンキに食われちまえばいいんだ」

「そうだそうだ」

 調子に乗るガキ共に真琴はうんざりした表情を浮かべていた。

「肝試しって、今十月だよ?」

「いやそこ?」

 瑠依はずれた真琴の一言にすかさずツッコミを入れたが、真琴は有無を言わせずドナドナされた。



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