とある夏の夜中。日本の夏は高温多湿。じめっとした嫌な暑さはいつの時代も変わらない。
一人の青年が、夜勤帰りなのか、ただの散歩か、夜中の道を歩いていた。半袖Tシャツにジャージと実に夏らしい格好だ。
軽装であるにも拘らず、彼は汗だくであった。ニュースで聞くところによると、ここ数日、「観測史上最高気温」を更新し続けているらしい。南無三である。
「はあ……ただ歩くだけでこれとか。参るわー……」
青年が額からだらだらと流れる汗を拭いながら、青年は呟いた。最近の気象状況は人間が生きるには少々手厳しい。だが、天候など人間が操作できるわけもなく。昔から言われていることだ。「それはお天道様が決めることだ」と。
とはいえ、こんなに汗ばむような夜では、寝苦しいことこの上ないだろう。青年の苦労が忍ばれる。
最近は省エネが推奨されているために、あまり安易にエアコンを使うのも気が引けるもので、夜の寝苦しさをどうにかできないものか、と青年は家から脱け出してきた次第である。
だが、省エネ設定とはいえ、エアコンがあるだけ家の方が遥かにましだった、ということを今、思い知っている真っ最中だ。
「はあ……帰ろ……」
そうして来た道を戻ろうとしたところで、ふとあるものが青年の目に留まる。
「あれ? こんなところに自販機なんてなかったはずだよな……?」
そこには現代の省エネ指向を無視するかのように煌々と輝く自販機。通ってきた道に自販機などなかったはずだが……と青年は記憶を辿ろうとして、やめた。今はそんなこと、どうでもいいくらいに暑い。そんなところに自販機が現れてくれたのだ。汗だくの彼にとっては救世主のようなものだ。
ちょうど、何かあったら、と思ってがま口を持ち歩いていた次第である。
「ラッキー、なんか買お」
にまにま笑っていた青年だが、何を買おうか、と自販機に目を向けたところで、青年は固まる。
「は? なんじゃこりゃ!?」
その自販機には普通のスポーツドリンクもあったが、その他の品揃えが異様だった。
げてものの臭いしかしない「メロンコーラ」、誰がこんなに飲むかわからない500mlボトルの「イチゴミルク」、豆乳なのかミルクなのかはっきりしない「キウイ豆乳ミルク」……等々。
なかなか自販機では見ないようなマニアックな品揃え。マニアには堪らない幻のオレンジジュースなどがあるが。青年は人を選びそうな品揃えに数秒暑さも忘れて固まるのだった。
「……え、えと」
ようやく意識が現実に戻ってきた青年は、無難にスポーツドリンクを選ぶことにした。金額は百五十円。ちょうどがま口に入っていた。
お金を投入して、ドリンクを買う。ふう、と一息吐いて、落ちてきたボトルを取ると、機械の奥でちゃりん、と小銭が格納される音がした。
その後、女声。
「お釣、くれないんですか?」
「へぇ、この自販機喋るんだ……って、は?」
言われた言葉を咀嚼し、意味を理解し、青年は目を丸くした。ドリンクを取る格好のまま、固まる。
自販機にお釣を要求されたのだ。唖然とするだろう。
「え? 嘘だろ、まさかこれって、ネットで流れてたアクジキジハ——」
ぱくん。
青年はその怪異の正体に気づいたようだが、時既に遅し。
——翌日の昼のニュースで、一人の青年が行方不明になったことが報道されることとなった。
夜中に散歩をしているところを目撃されたのが最後で、手掛かりは一切なし。
迷宮入りの事件となった。
また、とある街でのこと。
「ヤバい、暑い、ヤバい……」
汗と共に、語彙力が流れ出ているようにしか思えない発言をする女子高生とその友人が歩いていた。
「もうちょっと言葉あるでしょ?」
「じゃあ、
「高気圧が非常に増大しているようです」
「これだからインテリは……」
夏々と呼ばれた少女が淡々と返すのに、語彙力欠如女子高生が頭を抱えた。
「
「辛辣にも程がある……」
冬花と呼ばれた少女は、更に頭を抱えた。
「夏々め……夏向きの名前を持つが故か、その余裕は?」
「いや、名前関係ないでしょ」
冬花に呆れ、空に目をやる夏々。空は晴れ渡り、雲一つない青空。快晴である。
まあ、夏々も暑くないわけではない。夏期講習帰りの現在、インテリと言われる夏々とて、暑さにかまけて、制服を着崩している。もちろん、冬花も同様だ。最近の女子高生の制服というのは昔と違って、リボンタイは自分で結ぶものではなく、既に綺麗なリボン結びで整えられているタイをつける仕様になっているらしい。校外だからか、着崩した二人のタイは緩みきっていた。
「はあー、この暑さどうにかならないの?」
「冬花の意思一つでどうにかなるような天気なら、昔から人は苦労してないよ」
「さりげなく私を愚弄してない?」
隙のないコンビネーションプレイだが、それを称えるような余裕のある者は歩いていなかった。
「まあでも、家が森の近くでよかったよね。マイナスイオンで涼しい気分になれる」
「そればかりは同意」
二人が足を向けた先は、森というか、平均より低めの山であった。その入口で二人は気づく。
「ねぇ、夏々。こんなところに自販機なんてあったっけ?」
「……さあ?」
森の入口、二人の目の前に鎮座する自販機。それに二人共見覚えがなかった。
頬をひきつらせて冬花が言う。
「でも、こんなパンチの強い自販機があったら覚えてるよね、絶対」
夏々も無言で同意した。何がパンチが利いているかというと……
「夏はこれ! スポーツドリンク」、「フルーティな味わいを。浅煎りコーヒー」、「好きな人には堪らない! メロンコーラ」、「おすすめ商品、キウイ豆乳ミルク」……等々。
あまりお目にかからないようなラインナップを取り揃えた自販機だったのである。
「だってこのオレンジジュースなんか、何年も前に製造停止になったやつじゃない?」
「確かに、あれに似てる。でもなんで……」
「まあ、どうしてあるかはさておき、ここに自販機があるのは有難いね」
「楽天的だね、冬花……」
冬花は躊躇うことなく、自販機に小銭を投入した。幻と呼ばれるオレンジジュースを選択する。
「やったね! 幻のジュースゲット」
「本当に楽天的……」
「夏々もなんか買ったら?」
「奢ってはくれないんだ……」
「今投入したのが全財産」
「寂しいやつ」
「ひどい!」
「お釣、いただきますね」
「……へっ」
会話の中におかしな言葉が紛れ込み、冬花が目を丸くする。
「はいっ? お釣いただきますって……」
冬花がそれを理解する前に、ちゃりん、と小銭が自販機の中に格納される音がした。
冬花が焦る。お釣の出入口に手を突っ込み、嘆く。
「はあああっ!? まじ信じらんない! 本当にお釣落ちてこないんだけど。私の全財産〜!」
「ちょっと、待って、もしかして、冬花……」
だが、夏々の制止も虚しく、瞬く間に悪夢が現れる。
「きゃあああああっ!?」
少女たちの悲鳴が谺した。
その後、「冬花が怪物に手を喰われた」と夏々という少女は語ったというが、大人たちが件の自販機があったという場所に向かうと、自販機の姿はなかった。
夏が見せた幻か、と騒がれたが、それにしては冬花の手は不気味なまでに複雑骨折していたという。