夏にしては珍しく、涼しい日のこと。
暑かろうが寒かろうが変わらないアクジキジハンキはいつものように平常運転である。ちなみになのだが、最近は進化して、夏の冷たい飲み物しか売れなかったのが、冬になると温かい飲み物を導入できるようになった。
とはいえ、ほとんど気づかれていない。冬はあまり変わった飲み物を出さないから。
そこへ一人の女性がやってくる。長い髪のこめかみを少し編んで、後ろでハーフアップのようにしている。服は群青やペールブルーなど青系を基調としており、清楚で大人っぽい印象を与える。
アクジキジハンキはふわりと香水ではないが、感覚的に読み取れる匂いを嗅ぎ、懐かしさを覚える。
「……花……」
「違いますけれど、大体合っていますよ」
女性はアクジキジハンキが昔交流していた花という人物の面影を纏っていたが、顔は違う。ただ、微笑みはとても似ていた。
「私の名前は
「曾祖母、が、花……」
「そういうことです」
「じゃあ、交通事故のことも……」
「あのとき私はまだ生まれていませんよ」
尚架の年は二十歳と少し。「手押し車のおばあさん」の怪異が生まれたのは、それよりもっと前である。
「私が曾祖母のことを知ったのは、つい最近です。久しぶりにこの間、球磨川と会ったので」
球磨川は球磨川で、手押し車のおばあさんと切っても切れない関係がある。
先日、といっても、一年ほど前だが、成人式の後、会う機会があった。集まったのは、尚架、球磨川、香久山、蓮、裕、四月一日、美濃、といったところだっただろうか。そのときに、中学生の頃の夏休みの自由研究についての話が出た。
球磨川が調べた「手押し車のおばあさん」の話を聞いていて、尚架は思ったのだ。アクジキジハンキという元神様の語る手押し車のおばあさん——花は尚架の曾祖母と共通点があると。
名前は勿論のこと、幽霊などの人でないものが見えていたということ、食べる神様のことを語っていたこと、戦前と戦後を知っていること——
「あなたが、おばあさまの言っていたという、神様なんですね。……ずっと、お会いしたかった」
「えっ……?」
アクジキジハンキは自然に神様だったときの姿を取っていた。普通、人間の目には映らないはずの姿を。黒く、どろどろした塊。けれど、久しく、この姿をアクジキジハンキの仕事以外で出すことはなかった。
アクジキジハンキは尚架の目を覗き込む。澄んだ黒色の目は、確かにはっきりと、アクジキジハンキを映していた。「大人」と呼ばれる年齢であるのに澄み渡るその瞳にアクジキジハンキは驚いた。
尚架が垂れてきた髪を耳にかけて言う。
「うちの家には何代かに一人、神霊を見る力を持つ人が生まれるんだそうです。曾祖母の花がそうであったように。
ただ、曾祖母までの時代はそれに理解がなくて、苦労したそうですが。……まあ、私もちょっと、浮いてます」
どうやら、人間は自分にはない能力を持つ者を警戒する傾向があるらしい。
「それで苦労して、この街から出ていっちゃった子とかもいるんですけどね。私の同級生は特に特殊で」
尚架は球磨川、蓮、塞などの同級生である。今挙げた三人だけでも充分に濃い面子だ。
聞く話によれば、尚架の同級生には尚架以外にも神霊の類が見られる人物が二人ほどいたのだという。そのうちの一人は、いじめの玩具にされることを恐れて隠していたようだが、見えるものだから、挙動不審になりがちで、それを苦にしたのか、高校入学を期にこの街を出ていったらしい。もう一人は、双子の妹と同じ学校に通っているという。
尚架は、大学生で、この街に大学はないから、外の都市に通っているのだという。行き来が大変なのだが、今日は特別な日だから、とここに来たらしい。
人間の自業自得と言われる地球温暖化現象により、年を越すごとに、夏は暑くなっている。だが、今日は誰かが仕組んでくれたかのように涼しくて、過ごしやすい、と尚架は笑った。
「きっと、度会くんですね。今日は七月三十一日だから」
度会の名前はアクジキジハンキも聞いたことがあった。アクジキジハンキはついぞ会うことはなかったが、見たことだけならある。もう十年ほど前の出来事になるのか……。手押し車のおばあさんという怪異として、花が幼い命を奪いそうになったあの日、手押し車のおばあさんに遭っていた球磨川を助けていたのが度会らしい。度会もオカルトに精通しており、球磨川と仲がよかったのだとか。ただ、度会は小学四年生になってから転校してきた余所者だった。
昔から、周囲と隔絶している印象のあるこの街の者は、どうやらものの考え方まで閉鎖的になってきているらしく、子どもたちの全員が全員、その余所者を受け入れたわけではなかった。
元よりいじめのあったクラスだ。余所者を玩具にするのは目に見えていたといっても過言ではない。……度会は、見事に玩具にされた。
それが度会夏彦という子どもの死に繋がったというのは、アクジキジハンキも球磨川や蓮から聞いていた。いじめをしてきた連中と助けてくれなかった同級生を恨む度会の気持ちは強く、そんな彼を救いたい、と一風変わった百物語を始めたのが、球磨川たちだった。
霊の恨みを晴らすことは、いいことか悪いことかと言われれば、悪霊になるのを防ぐためならば、いいことと言えるだろう。……だが、その百物語でもたらしたクラスメイトへの残酷な仕打ちに気づいたときは、複雑な心境になった、と尚架は語る。
「私たちがしていることは、あの子たちがしていたいじめや、見て見ぬふりと同じことなんじゃないかって、毎年毎年、この七月三十一日を迎えるたびに思い悩んでいました。たぶん、他の何人かも、そうだったと思います」
夢でも、やっていることは大虐殺の見て見ぬふり。いじめられっ子の味方をするような清い心の持ち主たちが心を痛めないなんてこと、あるわけがない。
けれど、と尚架は続け、アクジキジハンキを見つめた。
「それももう、終わりを告げました。あなたのおかげです。アクジキジハンキさま」