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 宵闇の中にぽつんと佇む自販機。

「わ、何この自販機、まじでヤバいんだけど」

 知能指数の低い女子高生のような語彙力でその自販機を評したのはお調子者っぽい青年。名前は佐藤さとう譲二じょうじという。

 それについてきた物静かそうな青年が、冷ややかな目を向ける。佐々木ささきなつめという。

「最近の若者は語彙力の低下が著しいというけれど、君はその中でも最たる者だね」

「棗はあれだな。毒舌が冴えてるな」

「それは褒め言葉じゃないよね」

 そんな馬鹿話をする二人は、保育園のときからの幼なじみで、悪友である。

 何が悪友かというと、彼らは小学生の頃、いじめっ子だったのだ。葉松隆治というガキ大将を筆頭にするいじめグループに所属していた。いつぞや自殺した佐藤嗣浩ともつるんでいた。

 彼らは未だに四十四物語の怪異に晒されながら、「自分は悪くない。悪かったのは暴力を振るっていた葉松」と思って、自殺まで至らない、ある意味強靭というか、怖いもの知らずな精神を持ち合わせている二人だった。

 アクジキジハンキはかつて神様だった。今は神様ではないが、神様であった頃に培われた目というのを持ち合わせていた。球磨川や塞から情報として、譲二と棗のことは聞いていたのである。

 アクジキジハンキは神様ではない。だが、まるで人間であるかのような良心を持ち合わせている。故に、未だ跡を絶たないという「いじめを苦にした自殺者」という人間の存在に心を痛めており、いじめに関わった人間に痛い目を見せてやろう、なんて思っているのである。

 いじめをはたらくようなやつは愚か者が多い。故に、アクジキジハンキのこともろくに知らずにアクジキジハンキという怪異に出会す。

 人間は少量の金で争い事を起こす浅はかな生き物だ。自販機に入れたお金のお釣が返ってこないことを唯々諾々として受け入れられる人間が、果たしてこの世に何人いるだろうか。

 聞けば、いつぞやアクジキジハンキが一万円という大喰らいをしたときの佐伯という令嬢も、いじめをはたらいていた一人なのだという。続いてアクジキジハンキに巡り遭った吉祥寺や茂木も。それを聞いて少し胸の透くような思いをした辺り、やはりアクジキジハンキは人間くさいらしい。

 故に、この二人も振る舞いによっては容赦するつもりはなかった。

「うっわメロンコーラなんてあるぜ。修学旅行のドリンクバー思い出すよな」

「ああ、君が嗣浩とメロンソーダをコーラを割って飲んでたやつ? あれは見るからにエグかったのになんでやったのさ、って思ったね。で、なんでそんなエグい飲み物売ってるんだろうね、この自販機。売り上げ下げたいのかな?」

「あはは、案外当たりだったりするかもだぜ? コーラのフレーバーって結構種類出てたはずだし」

「なんでそんな余計な知識ばっかり身につけてんの? その頭をもっと勉強に生かしたらと思うんですが、浪人生くん」

「うぐっ、それは言わない約束だろ……」

 どうやら譲二は頭の出来が良くないらしく、大学を浪人したらしい。ざまぁみろだ。

 何も知らないようで、浪人生・譲二は二百円を投入した。

「どれにすっかなー」

「え、あの話の中でメロンコーラ以外の選択肢があると思っているの?」

 引くわー、という顔をする棗。逆に引くわー、という顔をする譲二。見ていて滑稽だ。

 譲二が先に言っていた通り、棗の毒舌が冴え渡っている、とアクジキジハンキも感心してしまった。

「ほら、早く。僕も買いたいんだから」

「えー、メロンコーラ以外は」

「駄目に決まってるでしょ、耳悪くなった?」

「やっぱり毒舌冴えてる……」

 げっそりした顔でメロンコーラを選択する譲二。ごとん、と落ちてきた代物を取ろうとしたところで、すかさずアクジキジハンキが声をかける。

「お釣、いただきますね」

「へっ、はっ?」

 間抜けな声を譲二が出す。普段なら笑うところだが、棗もその台詞の意味を咀嚼して理解したため、何も言わない。ただただ唖然としている。

 譲二の投入した小銭がちゃりん、とアクジキジハンキに格納される。その音に譲二が焦る。

「おいおい嘘だろ、なんだよ? お釣、いただきますって」

「僕に言われてもわかるわけないだろ」

 頭の回る棗でさえ、アクジキジハンキという怪異に明らかに驚いていた。

「これ、まさか、昔に八月一日とかが言っていた、『アクジキジハンキ』……?」

 棗は昔球磨川や蓮などと同級生だっただけあって、夏休みの自由研究で提出された「アクジキジハンキ」を覚えていたらしい。

 譲二は動揺のままに、お釣出入口に手を突っ込む。棗が焦った声で「待って!?」というが、譲二はお構い無しだ。

 しかし、アクジキジハンキの悪夢の空間は始まらない。アクジキジハンキは自販機然として——お釣は一切落とさないものの、ただそこにあった。

「へ、え?」

 それに誰より戸惑ったのは棗である。アクジキジハンキはお釣を取ろうとすると、その手を喰う——そう伝わっていたはずなのに。

「なんで?」

「うっわ、まじでお釣落ちてこねぇんだけど。アクジキジハンキって、都市伝説のだよな」

 ようやく譲二がアクジキジハンキのことを思い出したらしい。ラグがあるのはやはり、頭の出来の問題だろうか。

 しかし、アクジキジハンキを見て、嘲る。

「都市伝説だ何だって、八月一日やら山川コンビやらが騒いでたけどさあ、実際はなんてことないただの自販機じゃん。怖がる必要なくね?」

 アクジキジハンキは聞いていてむっとする部分があったが、黙っていた。過去とはいえ、神様であったアクジキジハンキに対して不敬きわまりないのだが。

「そう、かな……」

 棗が恐る恐る、小銭を入れる。買うのは「二番茶」というよく意味がわからない代物である。ちなみに意味は、二番目に採れる茶葉のみを使っているという意味である。

 アクジキジハンキにとっての定型文を言う。

「お釣、いただきますね」

「えっ、あっ、えっ」

 本当にお釣が落ちてこないものなのか……? という知的好奇心から、棗はお釣の出口に手を入れる。

 すると。

 ぱくり

「痛い!?」

「うわああああっ」

 アクジキジハンキは瞬時に辺りを悪夢空間に変え、その正体を二人の前に現した。

 黒くてどろどろしたへどろのような塊。神様時代から惰性で変えず、この方が怪異っぽいという理由から、今はそこそこ好んでいる姿だ。

 そんなアクジキジハンキは、無数にある口の一つで棗の手を喰い、また別な一つで譲二の足を喰っていた。

 アクジキジハンキはこれを狙っていたのだ。

 賢い棗は、譲二の前でアクジキジハンキが正体を現したなら、警戒して飲み物を買わなかっただろう。けれど、譲二で油断させて、それから買わせるなら、ありだ。二人を一挙に懲らしめることができる。そして、アクジキジハンキは良質な悪意を二つも喰らうことができて、お腹いっぱいになるというメシウマな作戦だったのだ。元神様の奸計に二十歳手前の青二才は気づけなかった。まあ、生きている年数が違うのだ。

 二人を喰ったアクジキジハンキは、何事もなかったかのように、自販機の姿すらも消していた。これが神様なりの省エネであった。



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