「あなたは私を神様だと思っているようですが」
アクジキジハンキは残酷だと思いながら、真実を告げた。
「私は今や神様ではなく、都市伝説に過ぎません。だから、そうほいほいと願いを叶えることはできないのですよ?」
「そんな……」
半分本当、半分嘘。
お賽銭として塞は二百円もくれた。だから、そのお賽銭分の仕事として、願いを叶えるくらいはしてもいいのだ。——神様としてのアクジキジハンキなら。
だが、今のアクジキジハンキは神様ではない。アクジキジハンキと球磨川に名付けられたその日から、彼女はアクジキジハンキという都市伝説になった。風鳴さんや手押し車のおばあさんに比べたら、年嵩は低いが、それでも都市伝説と神様とでは違う。
「私は、都市伝説になることによって、人々に呪いを振り撒く祟り神という存在にならずに済みました。その代わり、神様でもなくなったのです。
神様はちょっとした条件こそありますが、人間の概念という軛に縛られずに行動できます。けれど、都市伝説は違う。人間に語られていくことによって、その形を定め、規則性を与えられていく。人間が語り、決めた規則性に逆らうことはできないのですよ」
例えば、「メリーさんの電話」が徐々に自分に近づいてくるように。「口裂け女」がマスクをつけて「私、綺麗?」と訊ねるように。都市伝説は語る人間が知らず知らずに作ったルールに則って動いている。
アクジキジハンキにも、そんなルールがあった。
「私にお釣をくれた人間は食べない、という規則があるのですよ。昔ならお賽銭と言ったでしょうが、私は今、神様ではありません。捧げたお賽銭で願いを叶えてくれるような、お手頃で便利な存在ではないのです」
「そんな、そんな、嘘だ……だって、僕が中学生の頃は、お釣をくれた人から悪いものを喰っていたはず」
そういえば、そんなことがあった。蓮の悪縁を喰ったり、相楽の悪い未来の記憶を喰ったり。
けれど、あれは、まだ都市伝説としてアクジキジハンキが浸透していなかった頃の話だ。アクジキジハンキは今ほどルールに縛られていなかった。だから、お釣をくれた人にはお礼として悪いものを取り除いてあげていた。「
だが、今や都市伝説として固定化されている。
「アクジキジハンキは、お釣をくれない人間の手足を食べ、お釣をくれた人間には害をなさない。……それはあなたも知っているのではないですか? あなたからは微かに実の匂いがします」
「まこと……球磨川くんね。中学まで、同じクラスだったんだ」
小学校の頃から。十年近く教室を共にしていたら、匂いの一つくらいは染み着くかもしれない。
塞は諦めたように苦笑して、アクジキジハンキを見つめた。
「そういえば、貴女を『アクジキジハンキ』と名付けたのは、球磨川くんなんですっけ」
塞にとって、球磨川は掴み所のない同級生だった。敵ではないけれど、こちらが手を伸ばすとひらりひらりとかわすようなそんな存在だった。
塞は懐かしむように遠い目をする。
「球磨川くん、元気にしてるかな? 今でもあの調子なのかな?」
ふふ、と塞が笑うのを見て、アクジキジハンキは白黒空間をそっと解いた。
色の戻った塞の目は、毒々しさがなく、平穏な赤色になっていた。
塞がそっと、疑問を舌に乗せる。
「もしかして、球磨川くんは、いつか僕がアクジキジハンキを利用するのも見越していたのかな……」
アクジキジハンキを喧伝したのは他でもない、球磨川だ。名付け親なのだから当然、とあの色濃い隈のついた目で笑っていたのを、塞はありありと瞼の裏に思い出すことができる。
敵わないな、と一つ呟くと、塞は再び自販機に小銭を入れた。今度はジュースを買う。
「お釣、いただきますね」
そういう朗らかな女声に、塞はだんだん悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなってきて、いいですよ、と微笑んで返した。
買ったメロンコーラなるげてものの臭いがぷんぷんするペットボトルを開ける。ぷしゅっと小気味よく炭酸が抜けていく音がして、煙のように口からもくもくと白いものが立ち上る。
——確か、相楽くんがまずいと言っていた代物だ。
げてものと知りながらも、塞はその場でくいっと飲んだ。直後、当たり前だが、噎せる。メロンソーダとコーラを混ぜた、形容しがたい嫌味な甘さと炭酸のよくわからない弾け方。噂に違わず、まずいと形容するしかなかった。
だが、塞はそのまずさに何かが一周回って、笑いが込み上げてきた。夜中なので、声を殺したが、くつくつと腹を抱えて笑っていた。
ああ、なんて面白い自販機なんだろう。なんて僕の悩みはちっぽけなものだったんだろう、と塞は笑った。なんだか、どうでもよくなってきたのだ。目が赤いとか、いじめられるとか、悪魔だとか、何だとか。
自分は自分で、そんな周りからの見聞なんて付属品にすぎない。この自販機に、まずいと評判であるにも拘らず、ずっとメロンコーラが存在しているのと似たようなもんだ。
自分の悩みなんて、メロンコーラの味レベルにどうでもいいことだったのだ。
アクジキジハンキが何を思ったか声をかける。
「まずいと知っているのに、それを選んだんですか。あなたも大概、悪食ですね」
「ははっ」
アクジキジハンキに悪食と言われては堪らない。堪らなく、面白かった。機械的な女声であるため、冗談の一つも通らなさそうだと思ったのに、この都市伝説の自販機は存外人間臭い。
面白い都市伝説もあったものだ、と塞は次々にメロンコーラを買っていく。塞の家は両親が医者と看護師なので、小遣いはそこそこにあるのだ。
ただ、両腕にいっぱいのメロンコーラを買った塞にぎょっとする。思わず問いかけた。
「そんなにたくさん買ってどうするんですか? まさか自分で飲むんですか?」
「ううん。父さんと母さんと、あと、僕をいじめてくる同級生の分」
明るく答える塞にアクジキジハンキは言葉をなくした。
「明日、おすすめって言って渡して言い逃げするの。いい作戦でしょ?」
かなりやり口のひどい仕打ちだが、塞がこれまで受けてきたいじめから見れば、可愛らしいものなのだろう。
アクジキジハンキに目があったなら、きっと遠い目をしていただろう、とアクジキジハンキは思いつつ、アクジキジハンキはぽつり。
「……お主も悪よのう」
二度目のジョークに、塞の腹筋は保たなかった。