戦争が終わると、この国は負けたらしく、ひもじい生活が更に待っていた。
食料はいくらあっても足りない、死人を弔うのにやっぱりお金が足りない、負けたから国がお金を賠償金として支払わなくてはならない。
とにかくお金に飢えていた。おまけに神様信仰というのが駄々下がりし始めた。
戦争があった以上、戦死者は多く出た。あれだけ神様に祈ったのに家族が帰って来なかったという人は少なくない。
人間が人間同士で勝手に起こした戦争なのだから、責任を押し付けないでほしい。人間はやはり利己的な者が多い。ともすると、人間は神様を無償で助けてくれる慈善事業と勘違いしているのかもしれない。神様は全知全能だとか勘違いしているのかもしれない。
神様にだって、できないことはある。この国は八百万もの神を奉る国。八百万も神様がいるということは、八百万も神様がいないと補えないということだ。全知全能なわけがない。むしろ欠落の方が圧倒的に多い。
自分たちでそう作った思想のくせに、ご都合主義だなぁ、と思う。街を守ってくれたお礼、と百円なんて大金を持ってきてくれた花がなんと善良なことか。よくよく歪まずに育ったものだと思う。
「でも、百円なんて大金剥き出しで置いといたら、盗まれちゃうよね」
「お賽銭泥棒って? そんな罰当たりなことをする輩は喰ってやります」
私は食べる神様なので、不可能ではない。ただ、やや祟り気味な行動になるので、差し控えたい所存である。
百円というのは大金だ。よく持っていたと思って、と思ったら、「土地神様にいつかお賽銭をって思って貯めてたんだ」という愛らしい答え。なんていい子なんだろう。うだうだ五月蝿い国民に花の爪の垢を煎じて飲ませたい。
「ただお賽銭箱もないので、確かに泥棒されるのは勿体ないですね」
そう紡ぐと、私は前よりどす黒くなった体から口を一つ伸ばしてぱくり、とお金を食べた。百円という大金が惜しいが、せっかくもらったお賽銭だ。泥棒に盗られるのも癪である。
花はびっくりしたようだが、すぐに「土地神様ってすごいんだね」と笑ってくれた。願わくは、花にこのままでいてほしい。
ちなみにだが、花の父と兄は大怪我こそしたものの、生きて帰ってきたらしい。
「やっぱり土地神様ってすごいんだね!」
「そうですかね」
やはり素直に褒められるとこそばゆい。
国は戦後は散々だったが、すぐに目まぐるしく経済成長を始めた。それはだんだん国を豊かに便利にしていく。
自動車という、人力車とは全く違う形式のものが発展し、街中そこかしこで見かけるようになった。馬のような速さが出る乗り物だ。
それに伴い、道路というのが整備され始めた。といっても、こんな片田舎はそんなに代わり映えはしなかった。砂利道だったのが、コンクリートとかいうどろっとした液体で固められ、舗装されたというくらい。コンクリートはわりと固い。
咲々のいる橋もコンクリートや煉瓦でできたような立派な橋になっていた。見慣れないものに咲々は「なんだか落ち着きませんね」とこぼしていたが、数年するとあら不思議。なんだか慣れてしまっている自分がいる。
咲々も慣れたようで、時々橋の上から街を見下ろしたりしている。もうそこにはこじんまりとした集落だった形跡は見当たらない。
その上なんと自動車の他に、電車というものまでできた。駅には「風鳴」の文字。咲々はびっくりしていたが、どうやらかつての人々が、風鳴の加護がこの地に宿っていると信じ、ここら一帯を「風鳴」と呼ぶようになったらしい。風鳴の加護、という部分に私たちが微妙な顔をしたのは言うまでもないことだろう。
だが、景色が変わろうと、この地が田舎であることに変わりはなかった。昔ながらの田園風景はそのまま残っている。変わったといえば、子どもに学ばせるための「学校」という場所ができたことだろうか。
「花も、もう少し遅く生まれていれば、学校に行けたでしょうにね」
子どもたちの楽しそうな様子を見ながら、今日も私にお詣りに来た花に言う。大人になったばかりの花は、子どもの頃と同じ澄んだ眼差しで私を見ていた。
「わたしは……戦争が終わっただけでもう充分です」
「そうかい。今日は何か祈るのですか?」
「この先の幸せを」
花の幸せなら、大歓迎だ。花は咲々の次に好きだから。
「そうだねぇ……花もお年頃だから、良縁に巡り会えるといいねぇ」
「まあ」
そう頬を赤らめる花に私は良縁を与えてやることはできない。そこは花に自分で見つけてもらうしかないだろう。代わりに、これから先に出会うであろう悪縁を食べた。
私は戦争を経てから、皮肉にもあらゆるものを食べるのが上手くなった。器用になった、とも言えるだろう。ある程度先の未来の不幸なり何なりを見抜いて食べられるようになってきた。
悪いものを食べるしか能のない私であるが、この能力も使いようだ。未来に起こる悪いことを食べてしまって、良いことを残すことで幸せな未来に導くことができる。それに気づいたのだ。
潜在的にその能力はあり、少しずつ開花していたのかもしれない。例えば、戦場から帰ってきた花の父兄。私は彼らの死相を食べたつもりだったが、死相以外にも、二人に降りかかる災難も少し食べていたのかもしれない。これはあくまで可能性に過ぎないが。
戦争はひどい世の中だったが、私の新しい能力を開花させてくれたという点においては、感謝してもいいかもしれない。
数年が経ち、花が結婚したという。一度覗きに行ったが、表情も気性も穏やかないい人のようだった。どうやら、悪縁絶ちは上手くいったらしく、夫婦仲良く手を取り合って生きているようだ。
二人共この街の出身だから、尚のこと気が合い、この街と互いを愛しながら生きていくという。
一度、私のところに花は旦那を連れてきた。旦那は私の姿は見えないようだが、丁寧に拝んでいってくれた。いい人だと思った。
ほどなくして、二人は子宝にたくさん恵まれ、目まぐるしいながらも、幸せに生活していったという。花をずっと見守ってきた身としては嬉しい限りだ。
そんな家庭を築きながらも、花は毎日欠かさず、私のところにお詣りに来てくれた。何年経っても、何年経っても。