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 語る語るも悲しきかな。風鳴という家に生まれたが故の咲々というか弱き乙女の末路は。

 飴のように形を持った悪意が彼女をぐるぐるぐるぐる絡めとり、がんじがらめにしてしまった。恐ろしき、人の業。

 その日は雨だった。このところ、雨続きだった。大きな川はそろそろ許容量の限界を迎えそうである。そうなれば、今年はいくつの家が流されるか……

 私は見ているだけだった。神様というのは慈善事業ではない祈りという名のごはんがなければ、働くことはできないのである。無知な村人が祈るのは天。すぐここになんとかできる神様がいるのに、見えないから、知らないからって祈りはくれない。私は食べる神様だから、食欲が旺盛だ。ごはんがないと不服である。さっきも言ったが、神様は慈善事業ではないのだ。

 しかし、こんなに便利な私がいるというのに、事はあらぬ方向へと進んだ。無実の咲々を犠牲いけにえに。

「この川がいつ決壊するか知れぬ。人殺しの罪を犯した大罪人には、最後くらい役に立ってもらおうではないか」

 だから、その人殺しは咲々じゃないって、と思うのだが、未だ認識されていない私がああだこうだと人間に口を挟めるわけもなく。

 洪水を抑えるため、人間が昔からやってきたしきたりに、咲々は今巻き込まれるのだ。

 人柱。

 人柱を立てて土手を作り埋め立てる。人柱は大抵罪を犯した者がなった。

 毎年の水害にほとほと困り果てていた村人は、おぞましいその手段に手を伸ばしたのだ。

 柱に括りつけられ、身動きが取れなくなる咲々。しかし、その黒き瞳にはまだ、絶望の色はなかった。きっと、まだ若いからだろう。村八分でありながら、彼女は自分を蔑ろにし続けてきた村人を信じていたのである。

 自分の無実を知り、誰かが助けにきてくれるであろうことを彼女は祈っていた。それは残念ながら、天に捧げられた祈りだった。私が横取りしてもよかったのだけれど、咲々は私の存在を知らない。神というものがいるかどうかすら定かでない状態で、それでも尚、彼女は祈ったのだ。奇跡を。

 だが、天は無情だった。小さすぎる集落の小さすぎる存在に手を差し伸べるほど暇ではなかったのだろう。……人柱として彼女が死ぬまで、その祈りが聞き届けられることはなかった。天は天で祈りに溢れてあたふたしているのだろうから仕方ない。

 さて、先程私は「彼女が死ぬまで、その祈りが聞き届けられることはなかった」と言った。

 それは暗に、彼女が死んでから祈りを聞き届けられた、ということを示している。というのも、聞き届けたのは、私であったからだ。

 神様というのは霊に近い。……つまり、皮肉なことではあるが、咲々は死んで霊になってから、私の存在を認知し、私に祈ることが叶ったのだ。

 前述した全てでわかるだろうが、何もできなかった神様の私は咲々という存在に並々ならぬ肩入れをしていた。咲々は上質な悪意を集めるから、惹かれたというのは内緒だ。

 死んで、私を認識した咲々は私に何を願ったと思う?

「そうか、私、人柱になってそのまま死んだのか……ねぇ、神様、それならさ」

 無実を晴らしてくれる人を追い求めた彼女は当然、村人の悪意を喰らってもらうことを望むのだろう、と私は思っていた。

 だが、違った。

「もう洪水に村の人たちが困らないように、村に害成す水を食べてほしいの」

 私がもらった初めての祈りごはんだった。

 咲々は村八分という扱いを受けながら、村を信じ、愛していたのだ。

 その清らかな祈りは悪意とまた違った味がして、私は夢中で食べ……それから毎年水を食べている。

 以来、水害がなくなったことから村人たちは咲々の人柱が効いたのだ、と喜んだ。

 なんて愚かなんだろう。そして咲々はなんて憐れなんだろう。

 村のために文字通り身を捧げたというのに、村人は助けてくれなくて、村人は彼女を謗るばかり。本当のことも知らないくせに、と私は思った。そう、殺人犯はまだ生きているのである。咲々ではなかったのだから。

 そんな過ちに気づきもせず、のうのうと生きる村人に、私は怒りを覚えた。が、それでも私はここの土地神。むやみやたらに厄災を振り撒いていいわけではない。どちらかというと、厄災を退けるための存在なのだから、憎むとか恨むとかはいけない。それは神様のやることではなく、人間のやることだった。

 咲々は人間を憎みも恨みもしなかった。ただただ助けてほしいと願っていた。残念ながら、私は幽霊になってしまった人間を助けることはできない。できるとすれば、その霊を食べることくらいだ。悪霊になりかけの霊は美味し……こほんこほん。悪霊も悪いものであるから、祈られたら食べなくてはならない。

 地縛霊となった咲々に、一度、悪霊の話をした。もし、咲々に人間を恨んだり、憎んだりする心が生まれたなら、たちまちにして悪霊となってしまうだろう、と。

 そうしたら、咲々はこう答えた。

「私は待ち続けます。人間の誰かが私を助けてくれることを。だから、人間を憎むつもりも恨むつもりもありません。ここに居続けます。私は……人間を信じたいんです」

 変わった子だ、と思った。濡れ衣を着せられて殺されたというのに、恨み辛みがないという。人間にしてはよくできた子じゃないか、と私は思う。

 私は咲々の無実を人間に伝えたかったが、残念なことに私は無名の神様。神様としての力も弱いから、顕現することもままならない。

 誰かが見つけてくれればいいのだけれど……と思っていると。

 こつん。

 頭に何かがぶつかった。痛い。

 後ろを向くと、そこには一人の男の子が。……おやおや、これは確か殺された女人の息子さんではなかっただろうか。

 しかし、どうやらこちらに抱いている感情は良いものではなさそうだ。私を確かに見据える目は据わっており、睨み付けているという表現がよく似合う。

 やっと人間で私を見えるのがいた、と喜ぶ暇もなかった。どうやら男の子が私に向けているのは村人と質の違う悪意、敵意のようだった。ぎざぎざに尖った礫のような悪意が私の目に映る。飴みたいなものだろうか。まあ私は元々悪いものを食べるようにできているから、美味しくいただけるだろうが……何故に敵意なぞ向けられているのか。

「俺の母ちゃん殺した風鳴なんかと仲良くしやがって!」

 ああ、そういえば、この子の母親は咲々が殺したことになっているのだったか。しかもこの子は本当に母親を殺した犯人である父にあれから育てられているのだ。

 ちょっと厄介だなぁ、と思いつつ、私は首を傾げる。

「私はここの土地神なのだけれど、あなたは一体何を願うの?」


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