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 私は神様。

 名前はつけられていない。地域に根差した神様。土地神というのだったか。

 土地神というのは大きく分けて二種類。天から遣わされた神様。元々その土地で生まれた神様。私は後者にあたる。

 大抵神様には名前があるものだけれど、私はあまりにも小さい田舎に生まれた土地神であり、この土地には神様を慕うしきたりより、村で人間が決めた人間の決まり事の方が重んじられた。謂わば、人間の人間による人間のためのしきたりというやつである。

 私は気づかれないまま、その土地のことをだんだんと知っていく。この土地には大きな川が流れており、田んぼを作るのに適した土地であるけれど、川が大きすぎるために、水害が時折起こるのだとか。

 水田に問題はないのだけれど、人の住まう家が流されることも多いという。

 そこで人々は神に祈る。水害よ止まれ、と。

 けれど、私の役目はそれではない。人々の祈りは天に向いており、私には向いていない。そもそも、私のことに気づいていないのだから。

 私の役目というのが「食べること」である。食神はむかみ……というのだろうか。人間の文化はよくわからない。

 私に課された役目は私は生まれた瞬間から直感的に理解していた。私はこの土地に住む人の害になるものを「食べること」で解消するのだ。もちろん、「飲む」も可である。

 つまり、この人たちの水害も私が川の水を飲んでしまえば、解決なのだが……神様というのは人間の祈りに応じて働くものなのである。例えば、人間がごはんを食べ、水を飲んで農業に励むように、神様は人間から祈りを受け取り、食べることでやっと働く——祈りを聞き届けることができるのだ。

 だがしかし、先に言った通り、私はこの土地の者に神様だと認識されていない。だから、あの人たちの祈りという名のごはんは私に与えられていないのだ。

 天の神様がちゃんと祈りを聞き届けてくれればいいのだけれど……天の神様は土地を問わずに様々な願いを聞いているため、大忙しなのだ。こんな田舎の集落の祈りなんて聞き届けてくれるかどうか。

 そんな兼ね合いもあって、土地神というのが存在する。

 土地神が天の代わりにその土地の祈りを守る、というのが土地神の慣わしである。決して土地を守ることが土地神の役割じゃない。土地神だって神様なのだから、祈りごはんがないと働けない。

 残念なことに、この土地の住民が祈りごはんを捧げているのは私ではなく、天。私に村の誰かが気づいてくれればいいのだけれど、この村の人は世間知らずというか。天に祈るやり方も全然なっていないことから察するに、あまりに周囲との交流がなく、集落全体が物を知らないという状態に陥っている。

 子どもも、物を知らない大人に育てられ、ちょっと偏屈に育っている。子どもの一人にでも私の姿が見えたら大助かりなのだが、まだ存在の薄い土地神である私を察知するには相当純真無垢な心が必要だ。それか、かなりの信仰心。どちらもこの集落には欠如している。

 不足した神の情報と人間のしきたりから、この集落には淀んだ空気まで生まれていた。淀んだ空気の中では淀んだしきたりが行使され、更に淀んだ空気を生むという悪循環なのだが……気づかれていない神様である私にはやはり何もできない。

 やがて、集落の中で騒ぎが起こる。お社もないため、ふらついて見ていたら、なんと物騒なことに人間が死んでいた。しかも恐らく殺されて。

 私は神様であるからにして神様らしく、神様の目を持っている。私は悪いものを食べる神様であるから、事悪いものに関しては敏感な目を持っている。

例えば……殺されたのは、この集落の夫婦めおとの片割れ。妻の方だ。確か、勤勉で、自分にも他人にも厳しいいい人であったはずだが……

 包丁で刺されたような傷口から、黒い靄のようなものが、私に漂って見える。人間は殺意とか呼ぶのだったか。その残像が私の目には黒いものとして映るのだ。殺意は「悪」意が発展したものだからね。

 それから騒いだ村の衆を見ると──おっとこれはびっくり。夫婦のもう片割れが同じ黒い靄を纏っているではないか。人間関係というのはよくわからないものだが、どうやら旦那が犯人らしい。

 ごはんを与えられたわけではないが、神様としての仕事に関係ないため、私は黒い靄をぱくりと食べた。この悪いものを食べても、既に取り返しがつかないため、関係はない。

 ふむふむ、もぐもぐと黒い靄を味わってみると、人間——殺意を抱いた旦那の感情が伝わってきた。どうやら、何事もそつなくこなす奥さんが妬ましく、自分にも厳しいため憎く思ったらしい。それで殺すとはなんと浅はかな。確か、二人には一人の息子さんがいたはず。奥さんは良妻賢母になれたはずなのに、勿体ないことをしたな、と旦那を憐れむ。

 とそちらに目を向けると、事は意外な方向に進んでいた。人間のわめく声はちょいと五月蝿いが、方々から放たれる悪意が漂ってきて、やはり悪いものを食べる神として食欲がそそられたのである。

 その悪いもの……悪意を生み出していたのは旦那はもちろん、惨状を見た村の衆全員からであった。

「なんてことだ! この米俵に穴が空けられている。これは村八分の風鳴が、盗みに入ったにちがいない」

「米はどのくらいなくなっている?」

「五合ほどであろうか」

 ほうほう、五合の米で殺人が起きる。人間は小さいものだ、と思った。だが、米が五合もあれば神様に祈りを届けられるのではないか? さてはこの村の衆、神様への捧げ物をけちっているな。

 今度は飴を固めた板のような悪いものが現れる。これは悪意の中でも強固だ。人間とは不思議なもので、一致団結するとより強固になったりするのである。つまりこの飴の悪意はここにいる者たちの一致した意識あくいなのだ。

 そういえば先程、村八分の風鳴、という者のせいにしていたな。

 村八分とは、火事と葬式のとき以外は村から仲間外れにされる人間のことを言う。私的な表現をすれば、悪意の的だ。風鳴のところには何度か行ったことがある。あそこは上質な悪意を蓄えているのだ。本人は不本意のようだが。

 風鳴の家には女人が一人慎ましやかに住んでいるだけだ。風鳴のご先祖が村で悪さをしたらしく、以来、風鳴の家は村八分として疎まれるようになったのだとか。人間とは存外根に持つ生き物なのだ、と風鳴の話で思い知った。

 現在風鳴を名乗るのは風鳴の家に住まう女人一人のみ。風鳴の……咲々ささといったか。齢十つ半ばの彼女はとても淑やかで大人しい生活をしている。虫の一匹や二匹は殺したことがあるだろうが、咲々自身から悪意が放たれているのは見たことがないし、ましてや人を殺すなどという気概がこの少女にあるものか、と疑わしくすらあった。

 悪いものを食べる神として、悪意を最も向けられる村八分の咲々はより上質な悪意を生み出す人間と思っていたのだが。

 咲々は悪意を受け止めるばかりで少しも仕返そうとかそんな気には至らないのである。

 米を盗んだという作り話もお粗末で、彼女はもし食料が絶えたなら、次の作物が芽吹くまで絶食、なんて仏教みたいな心を持っていたのだ。米の五合のために人殺しという大罪なぞ犯すようにはとても私には見えなかった。

 だが、私には見えた。咲々に向けられる大量の上質な悪意が。

「人を殺したな、村八分め! 放っておけばとんでもないことをしよってからに!」

「ひ、人殺し? 何のことです?」

「惚けるでねぇ! ヤスのとこの女房やったのはお前でなくて誰なんだ。しかも米泥棒をしよってからに!」

「えっ、ヤスさんのお嫁さん……」

 嗚呼嗚呼、なんと悲しきかな。人間は無情にも、一方的に罪無き少女を捕らえた。ただ村八分である、それだけで……



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