裕の寺で行われた葬儀が終わると、子どもたちは蜘蛛の子を散らしたように帰り始める。
そんな中、外よりは涼しい寺の中で、蓮は思い悩んでいた。アクジキジハンキについて書いたあのレポート用紙をどうするべきか……
考えていると、とんとん、と肩を叩かれた、振り向くと、そこには目の下に色濃い隈をこさえた不気味な形相の人物が薄ら笑いを浮かべていた。
他の人物だったら驚くところだが、見た目が幽霊のようなこの人物は残念ながら蓮の同級生、球磨川実であった。
「やっほ」
クラスメイトの葬式にしては朗らかに、球磨川は声をかけてきた。その笑みは何を考えているのかさっぱりわからない。
だが、ここ数日、ずっと探していた人物でもあったため、蓮もこんにちは、と返す。
「球磨川くんも来てたんだね」
「そりゃね。佐伯さんのお葬式だよ。お父さんにもお母さんにも見送ってもらえない葬式なんて、さぞかし無念なことだろう。そんな無念な佐伯さんの幽霊でも現れないかと思ってね」
不謹慎きわまりない発言であるが、球磨川は球磨川で佐伯のことは相当憎んでいたはずだから、彼女の死には相当胸の透くものがあっただろう。
今日は佐伯瑠璃花の葬式だった。しかし、喪主は血縁でもない佐伯社長の秘書で、父親は入院中、母親は仕事に没頭という異例の葬式になったことは確かだ。
佐伯家がどんな家だったか、なんてことは知らないし、知ろうとも思わない。だが、両親に見送られない最後というのはさぞかし無念であろうという部分には蓮も同意だった。
「まあ、佐伯さんは成仏しただろうさ。八坂家の力は確かなものだよ」
「ちぇー」
「ちぇーって」
球磨川の反応に蓮は苦笑する。佐伯の幽霊をそんなに見たかったのだろうか。
「佐伯さんが幽霊になって地縛霊にでもなっていたら、からかってやろうと思っていたのになあ」
……恐ろしいことを考えるものだ。幽霊をからかうとは。
怖いもの知らずで香久山と一緒に佐伯をからかっていた球磨川はいじめの抑止力であったことは確かだ。
ただ、山川コンビは山川コンビでいじめっ子とは違う意味で恐ろしい。裕が頭を抱えるところなのだが、もしかしたらまた邪法とかを使って佐伯の霊を召喚して遊び相手にするのかもしれない。……神をも恐れぬ所業というか。
「そういえば八月一日くん、僕を探していたそうだね」
「えっ……誰からそれを?」
「色んな人からだよ。オカルト部とか、相楽くんとか、塞くんとか」
確かにその辺りなら、蓮が球磨川を探していることを知っていそうだ。
球磨川は黒洞のような目で蓮を真っ直ぐ見つめてくる。蓮も不思議と目を逸らせなくなった。
「アクジキジハンキについて、調べているそうだね?」
「……ああ、うん」
それで、球磨川に聞きたいことが色々あったのだが……
「夏休みの自由研究で調べていたんだ。でも……」
「蓮、球磨川」
裕が声をかけにやってくる。気づけば寺の中は二人だけになっていた。
「片付けがあるんだ。話が長くなるんなら、俺の部屋で適当にしていてくれてかまわないから」
「わかった」
「へぇ、八坂くん家か。前から興味はあったんだよね」
一体どういう興味なのやら。
裕の言葉に従い、勝手知ったる裕の部屋へと向かった。後ろからついてくる球磨川はいちいち興味深そうに裕の家を見ていた。少し広いくらいで変わったところはないと思うが。
「へぇ、案外普通だね」
「どんなだと思ってたのさ」
裕の部屋に着き、球磨川が呟いた一言に蓮は呆れる。裕は寺の息子で修験者見習いをしているが、それ以外は普通の男子中学生だ。
「四月一日くん家みたいに、呪術大全とか、降霊術の本の本格的なやつとかそんなのが置いてあるのかなと思ってた」
「君らと一緒にしないでよ。大体、降霊術なんか習ったって結局後始末するの自分なんだから、裕はそんな面倒くさいことしないよ」
「だと思った」
「どっちだよ」
球磨川の適当さに呆れていると、球磨川がふと笑って、「やっといつもの調子になってきたね」と言った。
どうやら、蓮は思い詰めて険しい表情になっていたらしい。それをリラックスさせるための一連の会話だったようだが……なんとも、乗せられてしまった感が拭えない。
こういう球磨川の策士なところが実は少し苦手だったりする。そういう差別をしてはいけないことはわかっているのだが、こんな感じで搦め手を使う人はちょっと遠ざけたくなる。
「さて、じゃあ、情報交換といこうか」
アクジキジハンキのことだろう。だが、蓮は首を横に振った。
「いいよ。いいんだ、もう……あのレポート用紙は、捨てる」
蓮は今回の一連のローカルニュースで参っていた。ローカルニュースを賑わせているのが、アクジキジハンキの影響にあるからと蓮だけが知っていた。何故なら、彼ら彼女らをアクジキジハンキに引き合わせたのは蓮自身だったのだから。
こんなことになるなんて……わかっていたら、アクジキジハンキを調べようなんてしなかった。そんなアクジキジハンキをこれ以上調べるのは不謹慎に思えた。
球磨川には目を合わせられない。球磨川がどんな表情をしているのか、怖かったから。蓮がアクジキジハンキについて調べていると知って、何度も遭っていると知っていたなら、今回の一連の事件と結びつけずにはいられないだろう。球磨川は頭がいいから、すぐわかったはずだ。
「……八月一日くん」
球磨川がこちらを向かない蓮に声をかける。蓮が返事をすることはなかったが、球磨川は淡々と続けた。
「薄情な話とは思うけどね、今回の件は仕方のないことであったと同時、あの人たちの自業自得であって、八月一日くんのせいじゃない。そこは履き違えちゃいけないよ?」
「僕があの四人とアクジキジハンキを引き合わせていたとしても?」
「ああ、そうとも。悪いのはアクジキジハンキではない。悪いことをしていたあいつらなんだから。
僕がどうしてあの自販機の怪異に『アクジキジハンキ』と名前をつけたかわかるかい?」
蓮は首を横に振った。言われてみると、悪食な自販機という球磨川のネーミングは一つの疑問になった。
「じゃあ、この街に都市伝説が多い理由を考えたことは?」
蓮は再び頭を振る。確かに、この街には都市伝説が多い。けれどそれに原因があるなんて、考えてもみなかった。
球磨川は一つ指を立てて説明を始める。
「都市伝説っていうのは、人間の生み出す淀んだ空気が形を成したものだ。そしてこの街はそんな淀んだ空気をたくさん孕んでいる街なんだよ」
例えば「手押し車のおばあさん」。あのおばあさんの幽霊は、轢き逃げされたおばあさんの幽霊である。犯人は今も見つかっていない。その無念が今もおばあさんをあの場所に縛りつけて、都市伝説となった。
例えば「風鳴駅」や「風鳴橋」の「風鳴さん」。彼か彼女かわからない風鳴さんは大昔、実在した人物で、冤罪を認めてもらえないまま、橋を立てる人柱にされてしまった幽霊だ。誰にも信じてもらえなかった風鳴さんが、今も助けを求めて怪奇現象を起こしている。
「この土地の人間は、往々にして無情なんだよ。だから悲しい都市伝説ばかり生まれる。アクジキジハンキが元々神様だったことはもう知っているかな」
こくりと頷く。
球磨川は続けた。
「十年近く前にはまだあの辺りに小さいながらお社があったんだ。だけど、あの辺りはここ数年で人が住みやすいように改築された。一柱の神様のお社を蔑ろにしてね。
そんな蔑ろにされたお社の神様が今のアクジキジハンキさ」
これも淀んでるだろ、と球磨川は薄ら笑う。
人間が人間の都合で蔑ろにした……それでは確かに祟り神も生まれるというものだ。
「この街の人間は淀んでいて薄情で自分の都合ばっかりだ。……そういう悪いところをなくすための都市伝説があったっていいじゃないか。
悪いものを食べて昇華させる。かつて神様だったなら、できるかもしれないだろう?
だから僕は彼女をアクジキジハンキと名付けたんだ」