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 悪縁はアクジキジハンキに喰ってもらったはずだよな、と昇降口を出たところで思う。

 その原因たる人物は悪びれた様子もなく、蓮の前に立っていて、親しげによっと手を上げている。まあ、蓮に対して何か悪いことをしたわけではないのだから、その人物は悪びれる必要はないのだけれど。

「学校にいるなんて珍しいな、蓮。まさか補習か?」

「まさか。嗣浩つぎひろくんじゃあるまいし」

「ぐう」

 皮肉を返された人物——佐藤コンビの片割れ、佐藤嗣浩は、サッカーボールを小脇に抱え、蓮に話しかけてきた。クラスの中でもお喋りな方の嗣浩は、接点が特になくても、こうして気さくに話しかけてくる。蓮たちが敵視しているにも拘らず。

 嗣浩自身にいじめの自覚がないのかただ無神経なのか……なんとも言えないところである。

「嗣浩くんは? サッカー?」

「そうそう、部活」

「補習は?」

「受けてねぇよ!」

 素早い否定が返ってくるが嗣浩の成績は芳しくない。同じクラスを何年もやっていると、成績でわかってくるのだ。

 だがまあ、夏の補習は夏休み前に部活返上であったはずだ。蓮のは冗談である。

「何? 今から帰りなの? 蓮」

「まあ。嗣浩くんはこんなところで油売ってていいの?」

「部活なら終わったぜ。練習試合でな。負けた!」

 すごい明るく言われても反応に困る。こっちのグラウンドでやったなら、グラウンド整備とかあるのではないだろうか。蓮は帰宅部だから詳しいことはわからないが。

 だが、どうやら嗣浩の言は正しいらしく、フェンス越しのグラウンドの人はまばらで、いても、帰り支度をしてスポーツバッグを肩にかけている。

「何、うちの学校強いって話も聞かないけど、弱いの?」

「ぐっ……なんか蓮辛辣じゃね?」

「いつもでしょ」

 あっけらかんと言って、どうなの? と更に問う。嗣浩は不承不承に頷いた。

「強くはない」

「ふぅん」

「さては興味ないな?」

「興味ないよ」

「冷たい」

「興味ないもん」

 不毛なやりとりを無視して蝉がジリジリとその命を燃やすように鳴く。そんなのは余所に蓮と嗣浩の間に流れる空気は冷たい。

 それを認めたくないのか、嗣浩が「あーあー」と無意味な声を出す。

「帰らね? 一緒に」

「なんで?」

「途中まで道一緒じゃん」

「本当は?」

「なんとなく!」

「適当だな。いいよ」

「え? いいの!?」

 逆に駄目という理由もないのだが。まあ、こんなに素っ気ないと不安にもなるのか。

 スポーツバッグをぶら下げた嗣浩と並んで歩き出す。

「そういえば何の用だったんだ? 蓮」

「君に用はないよ」

「知ってるって」

 蓮の冷たい返事に嗣浩が苦笑いする。

「オカルト部に用があって」

「とうとう四月一日の推しに負けたのか」

「どうしてそうなる」

 四月一日が蓮をオカルト部に誘っているのはクラスでもよく見る光景であるため、そこそこに有名だ。解せぬ。

 やはり五月七日も含めて「日付三人衆」などと呼ばれているからだろう。日付三人衆というのがいい渾名だとは蓮は思わないが。

 そんなことを嗣浩にぶつけようにも嗣浩は「佐藤コンビ」と呼ばれる一人だ。

「そういえば、佐藤って日本で一番多い苗字らしいけど、うちのクラスじゃ二人なんだね」

「おう、俺と譲二じょうじな」

「佐藤ってあれじゃん、日本で一番多い苗字で、約二百五万件? だっけ? あるんだよね」

「まじかよ。じゃあなんでうちのクラス二人しかいねぇんだよ」

「田舎だからじゃない」

「なぁるほど」

 くだらない戯け話を繰り広げながら歩いているといつの間にか、蓮の視界には例のあれが映った。

「あ、こんなとこに自販機あんじゃん!」

 嗣浩の無邪気な喜びの声に蓮は頭を抱えたくなった。

 緩やかに下っていく坂道の中にぽつんと立つ自販機。嗣浩は知らないだろうが、俗称をアクジキジハンキという。

 そんなことも知らない嗣浩は自販機のラインナップを覗き込む。

「あっ、スポドリあるー。ラッキー」

「待って待って、嗣浩くん部活の帰りで練習試合だったんだよね? スポドリ持ってるでしょ」

「この暑さだぜ? もうすっからかん」

 無闇にこの自販機の犠牲者を増やしたくない蓮は頭を抱えた。確かに今日は陽炎が揺らめくほどの暑さだった。その中で運動なんてするのなら、脱水を防ぐためにスポーツドリンクなんかすっからかんになるだろう。

 せめてお釣の出るように入れてくれればいいんだが……

 じゃらじゃらと財布を弄る嗣浩を横目で窺う。

「お、二百円見っけ」

 蓮がほっとする。が、嗣浩はまだ財布をじゃらじゃら弄っている。

「最近釣り銭ばっか出してたから十円大量増殖中なんだよな。そろそろ処理しないと」

 そう呟いて、十円玉を一つ二つとつまみ上げる嗣浩を蓮は止めようと思い──どう説明したものか、と悩んだ。

 嗣浩は煽り癖があるが、その割に怖い話などを信じていない。香久山たちの語る都市伝説も、遭ったことがないから「どうせデマだろデマ」と言っていたくらいだ。そんな人物にアクジキジハンキの説明をして何になるのか。

 ……いざというときは追加十円を投入してやろう。

 そう思う頃には嗣浩はもうお金を投入して、スポーツドリンクを選択していた。

 嗣浩がスポーツドリンクを取ると同時、件の女声が聞こえた。


「お釣、くれないんですか?」


「……は?」

 嗣浩がわけがわからないという表情になるのも仕方ないことだ。どこにお釣を要求する自販機があるというのか。……ここにあるが。

 蓮は慌てて、嗣浩に告げる。

「ほら、急いで追加の十円入れて!」

「は? なんでだよ」

「いいから早く!」

 悪夢空間が生まれるのを恐れて説明を省いたのがいけなかったのだろう。嗣浩は当然、追加の釣り銭など入れない。

 蓮が口早に説明する。

「釣り銭を要求されているんだから釣り銭をあげないといけないんだよ」

「どうせ幻聴だろ? 今日こんなに暑いしよ……って勝手に財布開けるなよ」

 実力行使で、と最終手段に嗣浩の財布に手を突っ込んだのだが、嗣浩と取り合いになる。仕方ないことといえばその通りなのだが……

 蓮と嗣浩が揉み合いになり、やがて二人が互いを引き離し合った結果——二人は熱いアスファルトの上に倒れて、財布から小銭がぱぁんと散らばった。

 瞬間、景色が白黒になる。ヤバいと思ったときにはもう遅い。アクジキジハンキの悪夢空間が展開されていた。

 自販機だった影など跡形もない黒いへどろのような塊は、いくつもの口を持つ化け物へと変化した。傍らに倒れた嗣浩からひぃっと悲鳴が上がる。初めてでない蓮でさえ、いつもこの光景には鳥肌が立つのだ。仕方のないことだろう。

 アクジキジハンキのいくつもの口は個々に伸縮し、ぱくりぱくりと散らばった小銭を食べていく。やはり、お釣を食べる自販機なのか、と緊張する反面で蓮は思った。

 一通り小銭を食べ終えると、口の一つがこちらに伸びてきて、蓮も嗣浩も身を固くする。

 その口が開かれたとき、蓮は喰われると思って思わず目を瞑った。が、聞こえたのは隣からの咀嚼音。

「えっ……」

 蓮が恐る恐る、目を開けると、眼前で嗣浩が頭をすっぽり喰われていた。



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