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 それから蓮はのんびりした。昨日は散々、今朝も散々だったのだから、少しくらいのんびりしてもいいだろう。

「お賽銭を要求する祟り神、ねぇ」

 疑問点を箇条書きに増やしていく。


・祟り神だったとして、元々はどういう神だったのか?

・何故お賽銭に執念を持つのか?


 二つ共、謎だ。アクジキジハンキの元となった神のことがわかったなら、きっと二つの謎は解明されるだろう。

 会うべき人物は三人。

 霊感のためにある程度この街の都市伝説に精通している五月七日。

 アクジキジハンキの名付け親たる球磨川。

 都市伝説と言ったらこの人、香久山。

 この三人に会いたいところだが、今日は疲れた。裕の家で勝手知ったるとばかりに、蓮はテレビのリモコンを操作し、ザッピングする。ニュースか刑事ドラマかといったところだ。刑事ドラマは以前に見たものであったため、スルーし、ニュースを見るともなしに見る。

 すると、ローカルニュースにとんでもない情報が舞っていた。

「大企業CEO佐伯氏の夫人が突如として、佐伯氏との離婚に踏み切るというニュースが入ってきました」

 アナウンサーがつらつらと述べていく内容に開いた口が塞がらない。この辺で大企業の佐伯氏と言ったら、佐伯の父親をおいて他にないだろう。それが、離婚? しかも夫人からの申し出?

「夫人は訴訟を起こす考えもある、と報道陣に語りました。VTRをどうぞ」

 切り替わった画面に映るすっぴんの佐伯夫人。その声が朗々と語る。

「今回の離婚の原因は子育ての見解の相違です。あの人はいつもいつも娘を甘やかして、娘が何をやっているかには目もくれず、もはややること成すこと、娘のためなら全部悪行でもこなしました。今社会で問題になっているモンスターペアレント。恥ずかしながら、わたくしも一時はそうなっていましたが、これからは心機一転、モンスターペアレントへの抗議の声を高めていきたいと思います。子どもは親が育てる範囲と子ども自身で育っていく範囲とがあると思うのです。親が全て助けることが愛ではない。わたくしは今、そのことを猛烈に世間に投げかけたいと思っております」

 まじか、と蓮は思わず呟いた。佐伯夫人といえば、モンスターペアレントの首魁とも言えよう人物だ。それが改心とは。ただ事ではあるまい。

 それに話の流れからすると、離婚調停のための裁判もそうだが、親権を巡る争いも複雑化しそうだ。一体どうなっているのやら。

 ……と考えたところで思い至る。

「アクジキジハンキか」

 そういえば、アクジキジハンキの女声は佐伯夫人も食べていた。本当に悪食だと思う。怪異というのは腹を壊したりしないのだろうか、と呑気なことを考えていると、蓮の言葉を耳聡く聞きつけたらしい裕が、何の感動もなく、問いかける。

「何、お前あの怪異であのおばさんと一緒だったの」

「まあ、ね」

 天下御免の佐伯夫人をおばさん呼ばわりとは、裕も豪胆である。だがまあ、中学生からしてみれば、他の家のお母さんなんて皆一様におばさんだろう。

 さて、あの怪異が喰ったのは何だろうか、と考える。性格というのも考えられるだろうが……性格がノーマライズになったというには、佐伯夫人の様子はおかしい。人間、悪い性格が取り除かれたくらいで、ここまで正義感が強くなるだろうか。

 まるで百八十度違う人だ。別人といっても過言ではないだろう。

「喰われたのは性格? でもあの人、アクジキジハンキにちゃんとお釣あげてたんだよな……」

「なのに喰われたって?」

「うん。まあアクジキジハンキが若干きれてたからとも言えるけどな」

 大富豪あるあるなお言葉の数々にアクジキジハンキは怒っていたように思う。お金にがめついからだろうか。

「しかし、神様も怒るんだな」

「不動明王は怒りの化身だぞ」

「それ神道じゃなくて仏教でしょ」

「ヘラはゼウスの浮気にきれてただろ」

「現実味が強すぎてびっくりだわ」

 ゼウスとはかの有名なギリシア神話の全知全能の最高神である。ヘラはその正妻で結婚を司る女神だ。正妻……のはずだが、旦那のゼウスは気が多く、浮気などざらだったため、ゼウスの浮気のせいでヘラの嫉妬の餌食となった犠牲者は数知れない。

 裕がアイスキャンディを渡してくるのを受け取りながら、蓮は軽く笑う。

「まさか裕の口からギリシア神話の話が出るとはね」

「これでも一応勉強してるんだ。色々とな」

「そのようだね」

「夏休みの自由研究を修行の日記にするか神話調べにするか悩んだくらいだ」

 なんというか、修験者見習いである裕が仏教以外の宗教知識を身につけていることを意外に思う。

「他を知ることで見えることもある」

「なんかそれめっちゃ仏教っぽい。あ、当たりだ」

「もう一本?」

「は、後日でいいかな」

 あまり一気に冷たいものを食べるとアイスクリーム頭痛が起こるのもそうだが、それこそ腹を壊しかねない。暑くても節度は大事だ。

「しかし、アクジキジハンキはお釣を払っても喰うのか……」

 少しずつ崩壊の前触れである結露が目立ってきたアイスキャンディをぱくりと食べて、裕は呟く。それは蓮も疑問だった。

「相楽はお釣を払っても何も食べられなかったのに」

「俺はお釣を払っても何も食べられなかったのに」

 二人の声が同時に零れる。共に似たようなことを言ったことにきょとんと目を丸くし、それから顔を見合わせる。

「裕は……アクジキジハンキに遭っているんだよな?」

 そこで蓮はようやく、裕にぶつけたかった疑問の一つを思い出す。裕が昨日、蓮のために買ってくれたスポーツドリンク。あれは間違いなく、アクジキジハンキのラインナップのものだった。

 値段は百五十円とあの自販機にしてはお高めだが、小銭を持っていればぴったり払えそうな金額である。

 ぴったりでお釣が出なかった場合、というのは蓮は昨日見て知っている。

「裕は二百円で買ったの? 昨日のスポーツドリンク」

「いや、百六十円」

「えっ」

 百六十円というと……スポーツドリンク+十円という計算になる。

「わざと十円多く入れたの?」

「いや。昨日遭うまでそういう自販機だって知らなかったからな。最初は普通に百五十円入れたよ」

 だが、ぴったりだとお釣が発生しないため、件の自販機はこういうはずだ。


「お釣、くれないんですか?」


 茂木のときに体験済みである。

「で、スポーツドリンク買ったら、自販機が『お釣、くれないんですか?』と言ってきてな。そこで俺はなんとなく、あの自販機がお釣を求める怪異なんだと知った。それに一目見たとき、僅かながらに神格が残っているのがわかったからな。すぐに賽銭っていう発想が出てきた。で、小銭搬入口に十円入れた」

「賽銭って、五円とかじゃないの?」

「それだとけちくさいし、そもそも、自販機に五円玉入れる発想もないよ」

 確かに。自販機は十円玉以上のものでないと入らない。ただ、佐伯のときに一万円札が入っているから、五円くらい食べてしまいそうだ。お金にがめつそうだし。

「それに五円玉は穴が空いてるから縁起が悪いとされるんだ。だから神社のお詣りの際は少々面倒だが、一円玉五枚を入れた方がいいとげんかつぎでは言われている」

「げんかつぎって色々細かいね」

 それと、今の話で一つ収穫があった。

 ぴったりのお金でジュースを買っても、後から小銭を追加投入すれば、アクジキジハンキに喰われないで済む。これがわかったのは大きい。そのときの持ち金にもよるが、被害金額を最小限で済ませられる可能性があるのだ。

 いい情報を手に入れられた、と思う傍ら、テレビのアナウンサーが無機質に「これに対する佐伯社長はコメントを差し控えるということでした」と流してくる。

 それを聞いて裕がふと鼻で笑った。珍しく、冗談のときに浮かべる笑みを口元に滲ませ、蓮に言う。

「もしかしたら、佐伯の親父さんも、お前にいちゃもんつけてくるかもしれないぞ?」

「そんな、勘弁してくれよ……」

 洒落になりそうもないため、蓮は苦り切った表情を浮かべた。



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