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 祟り神。

 予想していたより大物が出てきた。

「え、アクジキジハンキって、神様なの?」

「ああ。一目見たらわかったよ。ありゃ人間のせいで行き場をなくし、人間を呪うようになった神だ。……まあ、祟り神っつっても、完全に祟り神ってわけでもない。だから怪異っていう中途半端な有害になっているだけだ」

 そこまで言うと、裕は居間から台所へ向かった。音から察するに冷蔵庫を開けたらしい。

 裕は麦茶とコップを携えて戻ってきた。

「球磨川にアクジキジハンキだっけ? 怪異として名前をつけられたために、完全な祟り神にはならなかった……ならずに済んだ、が正しいかな」

「ええと、名前は一番短いしゅだから、かな」

「そ」

 頷くと、裕は蓮の空いたコップに麦茶をこぽこぽと注ぐ。それから新しく持ってきた自分のコップにも。それを一口飲み、一息吐いてから話を再開する。

「神っていうのは、人間が勝手に作り出した文化だ。よって人間の文化に縛られやすい」

「宗教信者がいたらぶっ倒れること言うね」

「俺が尊ぶべきは神じゃなくて仏だからな。まあ、そう言ったら、仏だって人間の作った文化だけどな」

 神と仏の違いは、神は人間が崇める偶像──つまり実在しない空想の産物だが、仏は元々人間だった、というところだろう。仏教の祖たる釈迦如来、仏陀の話がどこまで真実かはわからないが、事実、仏教徒は死んだ人間を「お仏様」と呼ぶ。

 となると神は本格的に空想の産物と言わざるを得なくなる。神教徒は死んだ人間が神の御許に送られた、と語るのだから。人間は神にはなれない。

「外国では違うとして、日本では昔から八百万の神という多神教の中でもぶっ飛びすぎなくらいの神がいるという思想がある。日本では仏教徒が多いから忘れられがちだが、日本は神とは切っても切れない縁深い場所だ」

 また一口、麦茶を飲んで裕は続ける。

「日本は世界一の神教徒の国でもあるんだ。証拠にこの狭い島国の中で、一体どれだけの神が奉られ、どれだけの神社があるか、なんて、考えたこともないだろう? 結構ポピュラーな神様である稲荷神だって、確か三万だったか……はあるはずだぜ」

「まじか」

 日本は四十七都道府県で構成されている。そんな中に三万というと、石を投げたらお稲荷様に当たるかもしれない。

「でも、稲荷神だって、全部が全部立派な鳥居のついた社に奉られているわけではない。たまに道路の脇とかで見ないか? 小さな社」

「そういえば、お地蔵さんじゃなくて、建物みたいなのがあるな」

「あれも神を奉る社なんだ。証拠に賽銭箱が設置してある場所だってある」

 お賽銭は神にあげるものだ。言われてみると、屋根のある小さな社の前には賽銭箱が置いていない場合、そのまま小銭が置いてあることがある。それでお賽銭をあげるという行為になっているのだろう。

「ああいう、ちゃんとした社……まあ小さいあれも社っちゃ社だが、神社を持たない神が、球磨川が言うところでのアクジキジハンキになったわけだ」

「なんで神様だって言えるの?」

「勘」

 すっぱりそう答えると、裕はぐびぐびと麦茶を飲み始める。蓮は裕の勘というのが大抵当たるのは知っていた。知っていたが、もう少しちゃんと根拠があると期待していたため、もどかしくもある。

 裕は飲み干した麦茶をたん、と机に置くと、続けた。

「冗談だ」

「なっ」

 まさか真面目一徹な裕の口から冗談が出てくるとは思っていなかった蓮は軽くずっこけてしまう。裕には悪気はないようだが。

「勘が作用しているのも確かだが、ちゃんと根拠はある。あいつはジュースを買った人間に何を要求する?」

 裕に訊ねられ、蓮はここ数日を振り返り、アクジキジハンキの女声を思い出す。


「お釣、いただきますね」

「お釣の代わりにいただきますね」


 そうだ。

「お釣」

「そう。平たく言うと、金だな。……あの自販機にとってのお釣は賽銭なんだよ」

「……なるほど」

 お釣をお賽銭と置き換えると、これまでのことの辻褄が合う。お賽銭を神にあげないで拝むのは常識はずれだ。お賽銭を取ろうとするなら、それはなんとも罰当たりなこと。制裁を受けて当然だ。

 お賽銭を入れずに拝むのも不敬だろう。

 それに、自販機が御神体だとするならば、それを足蹴にするなんてもっての外だ。

「神だとわかって接すれば、賽銭をあげることも何ら不自然ではないし、丁重に扱うのは当たり前だ。日本は仏教の国であるが、同時に神も重んじる国なんだからな」

「それにしたって、何故神様が自販機になってお賽銭を人間に要求するのさ?」

 そう、不自然なのはそこだ。いくらお賽銭をあげないのが罰当たりだからって、ああもあからさまに金銭を要求するような神様とはどうかと思う。

 さあな、と裕は短く応じ、再び麦茶を注ぎ始める。

「ただ、祟り神って言ったろ。その辺が関係あるんじゃないか。社があったときに賽銭もらえなかったのを根に持ってるとかな」

「うわあ」

 お金で物を言う神とは。あまり崇めたくない。だが、可能性としてあり得そうだ。蓮はちびちび麦茶を啜りながらメモを執る。

「それに、大抵祟り神ってのは、社を人間の都合で取り壊されたり、ぞんざいに扱われて生まれるもんだ。そういう根っこの問題もある」

「あの辺りに社があったかもしれない?」

「かもな。神は俺の領分じゃないからよくわからんが。こういうのは俺より、山川とか五月七日の方が詳しいんじゃないか?」

 それは確かに。山川コンビと五月七日にはやはり一度会っておくべきだろう。

「それにしたって、球磨川の名付けはファインプレーだと思うな。祟り神になりかけのところを名付けで昇華させるなんて」

「そういえば、名付けの話、まだしてなかったね。やっぱりすごいことなの?」

「ああ」

 名は一番短い呪。蓮が先に口にした言葉は日本では宗教問わずに常識であることだ。例えば、神の手を借り、この世に拔扈する魑魅魍魎を退治する陰陽師なんかは長い呪文を唱え、神に尽力を乞う。この呪文が呪というわけだ。有名どころだと「急急如律令」辺りが神に乞う呪の一つか。意味は「直ちに私に力を貸してください」というものだ。

 ただし、急急如律令はそれだけでは何の神に助力を乞うているのかわからない。ここで出てくるのが「名前」というわけである。

 人間も名前を呼ばれたら、返事をしなければならない。それは神も同様なのだ。故に名は一番短い呪、と言えるのだ。人間も神も、名前に縛られて存在しているということである。

「祟り神は神として捨てられたこともあって、神だった頃の名前しゅを失いかけているものだ。存在を固定する名前しゅがないから、人を祟ったりする……まあ、祟るっていうのは、人間で言うところの一種の錯乱状態みたいなもんなんだよ」

 それに、と裕は続けた。

「名は体を表すって言葉があるだろう? あの神は球磨川から『アクジキジハンキ』という名前かたちをもらったんだ。だから闇雲に人間を祟るわけでもなく、むやみやたらに人間を喰うこともなく、悪食な自販機としてあそこに存在している。……俺の見解はこんなところか」

 非常に参考になったため、蓮は懸命に裕の話をメモした。



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