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「話は聞かせてもらったわ」

 なんだかテンプレートっぽい台詞を吐き、吉祥寺はびしりと蓮に指差した。

「私をその『アクジキジハンキ』とやらのところへ連れていきなさい!!」

 高圧的というか、上から目線なところは佐伯とそう変わらないのだな、とうんざりしながら、蓮は無難に頷いた。きっとはいかイエスしか答えは求められていないだろう。

「にしても、部活や佐伯さんのことはよかったの?」

 蓮は昇降口から伸びる坂を下りながら、吉祥寺に聞く。おそらくだが、どんがらがっしゃんという音楽室からした物凄い音は、握力を失った佐伯が楽器を取り落とすか何かをしたからだろう。楽器に傷がつこうものなら、音楽教師から大目玉を食らうのは間違いない。それをてっきり吉祥寺がフォローするものだと思っていたのだが。

「瑠璃花さまの尋常でないご様子はあの節穴教師の目でもさすがにわかったようでしたわ。お父様がお迎えに来ることになって、私が保健室までお運びしましたの。その途中であなたたちが話していたアクジキジハンキというのが耳に入ったんです」

「吉祥寺さん自身の部活は?」

「瑠璃花さまのいらっしゃらない部活なんている価値もありませんわ。そんなことより、瑠璃花さまを陥れたそのアクジキジハンキとやらに仕返しをしてやらないと、私の腹の虫が収まりません」

 どうやら、アクジキジハンキを相当嫌っているらしい。ただ事では済まない予感しかしない。

 じりじりと暑さが正午に向かって増していく中、吉祥寺と共に、蓮は件の場所まで辿り着いた。人通りの少ない坂道の真ん中にぽつんと置かれた自販機。ラインナップは相変わらず奇抜だ。昨日相楽が飲んでいたキウイ豆乳ミルクのところにいつの間にか「おすすめ」と貼られている。

「で、ここで瑠璃花さまと何があったんですの?」

 じとっとした目で見上げてくる吉祥寺に、後ろめたいことは何もないのに、気圧された。

 仕方なく、非現実じみた現象を吉祥寺に説明する。すると意外なことに、吉祥寺はすんなりその怪奇現象を受け入れた。

 おそらく、毎年七月の最終日に行っている怪奇の宴のために怪奇現象の感覚が擦りきれているのかもしれない。そもそも同級生にオカルト好きが四人もいて、霊感持ちが三人いて、修験者見習いが二人もいるのだ。怪奇現象と切っても離せないクラスであるのかもしれない。

「なるほど……そのアクジキジハンキとやらは瑠璃花さまのお金のみならず、瑠璃花さまの生命力まで奪ったのですわね……」

 憎悪の色が吉祥寺に宿る。蓮は嫌な予感がした。しかし、吉祥寺の次の行動を止めることはしなかった。

 今の蓮にとって、吉祥寺も実験対象にしか映らなかったのだ。怪奇に詳しいオカルト部ですらまだ詳細を掴めていない最新の怪奇、アクジキジハンキを、自分で暴いてみたい……そんな好奇心が、蓮を傍観者にさせたのだ。

 ここまでの経過でわかるだろうが、蓮は吉祥寺を好ましく思っていない。蓮は佐伯と同じく、吉祥寺も四年前に死んだあの子の仇のように思えてならなかったのだ。何故なら彼女は佐伯と一緒にあの子をいじめていたのだから……

 蓮は冷たい眼差しで吉祥寺の一挙手一投足に目を見張っていた。

「瑠璃花さまに無礼をはたらく物なんて必要ない!」

 そう叫んで吉祥寺はがん、と思い切り自販機を蹴る。がん、がん、と不快な音が鼓膜を揺さぶる。

 炎天下、いつまで続くのか——と思った一方的な暴力は唐突に止む。

「ひにゃっ?」

 吉祥寺の奇妙な悲鳴によって。

 吉祥寺の足が、自販機に刺さっていた。金属でできている自販機を貫いているかのように。だが、自販機はみるみるうちに色をなくし——蓮が佐伯のときに見たのと同じく、黒いどろどろした塊になっていた。辺りの景色もモノクロになり、蓮はまた悪夢が始まったことを察した。

 吉祥寺の足が刺さった先は、そのどろどろした塊が幾つも持つ口の一つ。別の口から舌が伸び、味見でもしているのか、べろんべろんと吉祥寺の足を舐める。四方八方から舐められるたびに、吉祥寺はひっ、とひきつった声を出していた。

「い、いやっ……な、に、これ……」

 吉祥寺が涙を浮かべ、蓮を見る。蓮は理解が及ばず、動けない。吉祥寺はプライドが邪魔して助けてと言えない。なんとも言えない膠着状態が続く。

 そこに、どろどろしたものの口の一つが声をかける。

わたしを足蹴にするとは随分礼儀が成っていないですね。そんな足なんかいらないでしょう。いらないでしょう」

「ひっ」

 自販機と同じ女声がそう唱えると、吉祥寺の足を飲み込んでいた口が吉祥寺の足に歯を立てる。

 ゴキバキメリィッ

 体からしてはいけない音がした。さすがの蓮も顔を青ざめさせ、黒い塊から吉祥寺を引き剥がす。吉祥寺は声もなく悲鳴を上げていた。大きく開いた口からは掠れた声しか出ない。見開かれた目から涙がぼろぼろと零れていた。

 しかし、吉祥寺を黒い塊から引き剥がしても、夢は覚めない。辺りはモノクロのままだ。黒い塊の口の一つが言う。

「またも妾を阻むのですか」

 その声が自分に向けられていると知り、蓮は金縛りにあったように動けなくなった。

「まあ、あなたは妾に何も悪さはしていないからいいですが……」

 その声を最後に、世界に色が戻る。悪夢は終わったが、それが現実であったとでも言うかのように、蓮の腕の中にはぐったりとした吉祥寺がいた。

 吉祥寺が喰われたのは足。確か、右足だったな、と見やり、蓮は目を剥く。

 吉祥寺の右足はあらぬ方向にふにゃふにゃと曲がっていた。まるで骨がなくなってしまったかのように。

 さすがの蓮も異常事態に携帯電話を取り出す。一一九を押した。これが医者で治るかどうかはわからないが……

 それから、学校にも連絡をし、吉祥寺が大怪我をしたと伝える。近くに大きな病院があるからそこに運ばれるであろうことを伝えて、電話を切った。

 不意に、可笑しくなる。

 こんな異常現象を前にして、何故、自分はこんなにも冷静なのだろう、と。

 アクジキジハンキという怪奇に振り回されている実感はある。だから何だ。……ふと、気づく。

 自分は、薄情な人間だ。嫌っている人間が相手だからといって、こんな恐ろしいことの実験台に使うだなんて。

 救急車が来るまで、蓮はアクジキジハンキを見つめていた。自分から関与しようとしない蓮に、アクジキジハンキは何も答えることはない。ただ、炎天下、じぃっと見つめ合っていた。

 しばらくして、救急車がやってくる。倒れた吉祥寺を担架に乗せて運ぶ。救急隊員が何か声をかけてきたが、蓮は反応できなかった。

「おい!」

 怒鳴るように声をかけられ、ようやく蓮は反応した。その顔は恐怖で彩られていた。それを見た救急隊員は自分が怖がらせたと思ったらしく、謝ってきた。事情聴取も別にいいよ、と優しく言ってくれた。

「君は毎回毎回、辛い目に遭うね。四年前の事故の目撃者も、確か君じゃなかったっけ?」

 そう言われ、胸にひそめていた傷がじくりと痛み出す。

 四年前の事故──目の前で、同級生が電車に飲み込まれていくシーンがありありと蘇る。

「う、う、うあ……」

 蓮の眦から雨滴が零れる。フラッシュバックする、届かなかった腕、きっと自分の受けた理不尽を呪いながら死んでいった同級生。忘れたい。でも、忘れられない。忘れちゃいけない。

 幾重もの鎖が蓮の心を絡め取って、茨のように生えた棘で傷つけていく。

「僕は、僕は、僕はっ」

 蓮がアクジキジハンキに頼ってしようとした、小さな復讐。ホームの向こうに消えたあの子への復讐と名付けて、とんでもないことをした。

 一人から手を奪い、

 一人から足を奪った。

「うああああああっ」

 後悔に慟哭した。何故、後悔しなければならないのか。切って捨てた二人は憎んでもいい相手だけれど、だからといって、こんなの、許されるわけない。

 混乱した蓮は自販機へ足を向けようとして固まる。

 自販機が、そこにない。あるのはコンクリートの塀だけだ。

「あれ、自販機は……?」

 すると、蓮を宥めようとして傍に来ていた救急隊員が首を傾げる。

「自販機? そんなのここにはないよ」

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