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「ちょっと待ったちょっと待った」

「ん? 何か問題でもあったかな」

 蓮は平然としている相楽に失礼とは思いつつ引いてしまった。普通、あれはないだろうと思う。

 まあ、自販機が「お釣、いただきますね」とか言っている時点で「普通」は瓦解するが。

 蓮は現状が理解できなかった。相楽がすんなり受け入れた超常現象。自販機が喋るのは百歩譲ってあるとして、「お釣、いただきますね」とは。相楽は何事もなかったようにキウイ豆乳ミルクを飲んでいる。通常釣銭が落ちるところには、何も落ちて来ず、代わりに自販機の奥でちゃりんと音がするだけだ。よく釣銭と間違われるその音だが、自販機が自販機内に投入されたお金を格納する音だという。

 そんな豆知識はさておき。

「い、今のよかったのか? 本当にお釣落ちてこないぞ」

「いいのいいの。僕のお金なんだから」

 それはそうだが。

「蓮くんは何か買う?」

 ぶんぶんと首を横に振った。なんとなく、その自販機が薄気味悪く感じられたのだ。障らぬ神に祟りなしという。蓮の家は仏教だが、げんを担ぐに越したことはない。

 しばらく町を歩いて、あの自販機以外、特に印象に残ることもなく、夕方を迎えた。パンザマストが鳴り響く。蓮は約束通り、相楽の自由研究の手伝いをすることになった。

「……といっても、今日の感想ってあの謎の自販機のことが頭から離れないんだけど……」

「あはは」

 相楽は笑うだけ。何も言わない。何か知っているのだろうか。

「それ以外は?」

「なんか、いつもの町って感じだったよ。いつもならたまぁに風鳴橋とかで怪奇現象があるんだけど」

「それ、五月七日さんも言ってた」

「やっぱ霊感ある人は違うのか……」

「よく金縛りに遭うって」

「それでよく普通の顔して生きてるねあの人!?」

 蓮が若干五月七日にも引いた瞬間であった。霊感所持者にとって、金縛りなど日常茶飯事なのだろうか……今度裕に聞いてみよう、と蓮は思うのだった。

 相楽は蓮の感想をメモしつつ、にっこり笑った。何度見ても思うが、相楽は笑顔が似合う。

「今日もいつも通りだったってことは、今日という日が平和に済んだってことだね! よしよし」

 いつも通りって……とあの自販機を思い出す。あれだけは絶対にいつも通りではない、と蓮は確信した。裕と一緒にたまに修行したりするから、蓮はそういう勘も一般人よりは強いはずだ。だが、あれはそんな勘を起こすものではなかった。まるで最初から当然のようにあそこにあったみたいに。

 まあ、蓮は正式な修験者ではないし、裕の真似をしているだけだから、裕が見たら違う見解なのだろうが……

 と思考を巡らせているうちに、メモを終わらせた相楽が、じゃあね、と手を挙げた。蓮もまたな、と応じ、相楽が背を向け、歩いていく。

 すると不意に相楽が振り向いて言った。

「今日平和に済んだのは、アクジキジハンキさまのおかげだからね」

 アクジキジハンキ。

 家に帰った蓮は、相楽の残したその謎の言葉について考え込んだ。パソコンを開いて、ネットサーフィンついでに「アクジキジハンキ」で検索してみたが、一件たりともヒットしなかった。

 アクジキジハンキ……悪食自販機、と書くのだろうか。お釣を食べる自販機? と疑問符をもたげる。「お釣、いただきますね」と言っていた「いただきます」は食べるという意味だったんだろうか。咀嚼音は聞こえてこなかったが……そういう問題ではないか。

 アクジキジハンキという相楽の言葉と、昼間のあの謎の自販機の存在をどうしても蓮は結びつけてしまう。というか、結びつけざるを得ない。

「アクジキジハンキ、ね……」

 山川コンビではないが、この怪奇現象が蓮はどうしても気になった。

 ん? 山川コンビ?

「そういえば、相楽はこないだ山川コンビに会ったって言ってた。一緒に町を回った、とも」

 もしかしたら、相楽は知っていたのかもしれない。あの自販機の形をした怪異を。教えたのは怪異怪奇の知識に事欠かないあの山川コンビにちがいない。山川コンビは他にも不気味な都市伝説にやたら詳しい。だが、ただ徒に知識を得るばかりでなく、ちゃんと正しい対処まで覚えているところが、山川コンビを悪とは言えない所以だ。

 つまり、あの自販機に「お釣、いただきますね」と言われた場合、そのままお釣を与えるのが正しい対処と相楽に教えたのだ。

 ……正しくない対処をしたらどうなるのか。想像して、少し怖くなった。

 ただ、相楽が「今日平和に済んだのは、アクジキジハンキさまのおかげだからね」と言っていたのが気にかかる。

 アクジキジハンキは都市伝説か何かにちがいないが、悪い都市伝説ではないのだろうか?

 疑問がぐるぐると渦巻いて止まらない。そうしているうちに、いつの間にか蓮は自由研究のレポート用紙に「アクジキジハンキ」と走り書きしていた。

「……あ」

 シャーペンだから、消せばいい。だが、なんだか蓮の頭の中で何かが吹っ切れた。

 書いてしまったのだから、これを題材にしてしまえ、と。

 蓮は謎多き「アクジキジハンキ」について調べることにした。

 そのためにはまず、山川コンビと接触を謀らなければならない。あいつらは何かを知っている。

 そして、八年も一緒に過ごせば、嫌でもクラスメイトの好む行動傾向もわかった。

「香久山でも球磨川でもないけど」

 蓮は明日の予定を「都市伝説巡り」に定めた。

 その計画まではよかった。よかったのだが。

「くぅ……何故わたくしがこんなに走らなければならないんですの!?」

 朝早くに出たのが災いしたのか、蓮はあまり会いたくない人物に遭遇した。蓮に限らず、クラスメイトならほとんどは遭遇したくないであろう人物だ。目の前の彼女の金魚のフンと呼ばれる吉祥寺きちじょうじ玲奈れなを除いて、だが。

「あら、八月一日くんじゃないの」

「おはようございます、佐伯さえきさん」

 お付きの者——従者のごとき吉祥寺はいないようだが、声をかけられたのに挨拶を返さなかったら、バツが悪い。眼前の佐伯瑠璃花るりかというお嬢様はいいとこのお嬢様で、ガキ大将のいなくなったクラスでクラスカーストのトップに立つ女子だ。その実は陰湿ないじめっ子で、何か喧嘩を吹っ掛けようものなら、お父様に言い付けるというのが彼女の常套手段である。

 そんな佐伯が何故朝から町を走っているのか気になった。

「何してるんです?」

 吉祥寺がどこかから見ているように感じられたが、蓮の不躾な質問をたしなめる声はなかった。

 蓮がどこか安心する傍ら、佐伯は憂いを帯びた溜め息を吐いた。

「わたくしとて、好きで朝の町を走っているのではありませんわ……そうです、話しかけてきたのだから、わたくしの愚痴に付き合いなさい」

 高圧的な物言いに少しいらっとしたが、まあ佐伯はいつものことだ。なんとか苛立ちを飲み下す。

 佐伯は蓮の様子にお構い無しに話し始めた。

「わたくしがどこの部活に所属しているかは存じてまして?」

「確か、吹奏楽部ですっけ」

 狭いクラスだ。大体クラスメイトの情報は入ってくる。

 もちろんお付きの者たる吉祥寺も佐伯と同じ部活だ。先程から姿を見ないが。

「そうでしてよ。……何をきょろきょろしているんですの」

 苛立ちの滲んだ佐伯の言葉に、しまった、と思いながら、蓮は素直に白状する。

「吉祥寺がいないな、と。いつもご一緒ですよね」

「玲奈も来たがったんですけど……あの禿げ頭……!」

 怨嗟を含んだその罵倒は、はて、誰に向けられているのか……考えたところで、学校の男性教師がほとんど禿げ頭であることを思い出し、噴きそうになるのをこらえた。

 佐伯は嘆くように続ける。

「部活の顧問が、わたくしの部活動への態度がなっていないとか言いがかりをつけてきたのですわ。わたくしがそんなことはないと反論しますと、顧問は他の者たちが地道に努力していることを滔々と語ってきましたのよ。腹筋やら背筋やらランニングやら……わたくしはそんな努力しなくても優秀なのはご存知でしょう? だからわたくしに努力など必要ないと申しましたのそうしたら、何と言ったと思います?」

 蓮は少し考えたが、女子とは話に結論を求めない生き物だ、とテレビか何かで言っていたのを思い出し、「さあ?」と首を傾げた。

 それを見ると佐伯は得意げに胸を張り、腕組みしてこう言った。

「お前は素晴らしくなぞない。町を一周ランニングして少し頭を冷やして来い、終わるまで楽器に触らせん、ですってよ。たかが教師の分際でわたくしに無礼な口を聞いたばかりか、命令までしたんですのよ? 理不尽にわたくしは走らされているのですわ」

 どちらかというと、佐伯の方が理不尽というか、傍若無人の塊のような気がするが、それは言わないお約束だ。蓮は興味なさげに「へぇ」とだけ呟いた。

 佐伯は話したために苛立ちが蘇ったのか、ぷんすかとしながら歩いた。それでも楽器に触らせてもらえないのは不服なのだろう、きちんと町の中にいる。今は歩いているが。

 ふと、蓮は辺りを見回す。十三年も暮らした町だから、見覚えがあるのは当たり前のことなのだが、それよりずうっと最近の「見覚え」というのが刺激された。

 二人は坂を下っていた。——昨日、蓮が相楽と歩いた坂だ。

「あら、こんなところに自販機なんてあったんですのね。ちょうどいいですわ。わたくし、喉が渇いていたんですの」

「あっ……」

 その自販機は昨日と変わらずそこにあった。蓮が何か言う前に、佐伯はお金を投入してしまっていた。——通常の自販機では通らないはずのを。

 機械はそれを吐き出すことなく飲み込んだ。当然のようにドリンクのランプが全て点く。

 蓮は混乱した。昨日だけでも充分混乱したというのに、更に混乱することとなった。自販機が一万円札を飲み込んだということは、あの一万円は返ってこない。

 さて、佐伯のお嬢様はどう対処するのか、と見ていると、佐伯は「これがいいですわ!」と喜ばしげな弾んだ声でとあるボタンを押した。そのボタンは蓮にとって信じられないものであったため、直前までの思考が吹っ飛んだ。

 佐伯が笑顔満面に取り出したのは、前日誰が飲むのだろうと考えていたイチゴミルクの五〇〇ミリリットルボトルだった。

「うふふ、疲れたときは甘味に限りましてよ」

「は、はぁ……」

 女子ってわからない、と思った蓮の思考を遮断したのは、例によって、あの言葉だった。

「お釣、いただきますね」

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