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第7話

 いつから、サイレンが鳴っていたのだろう。まったく気づかなかった。ふと顔を上げると、目の前は真っ赤に染まっていて、けたたましいサイレンの音が響いていた。

 武装した性別すら分からない大人たちが、岬に立つ僕たちを大人気なく崖っぷちへ追い立てるように行き場を塞いでいた。

 あぁ、と、息を吐く。

 とうとう、見つかってしまった。全身の力が抜けていきそうになる。

「えぇ。見つけました。実験体と、少年ひとり。感染の有無は不明ですが、おそらく……」

 武装集団のひとりが、なにやら誰かに電話している。サイレンやプロペラ音で周囲は波音も聞こえないくらいなのに、なぜかその声ははっきりと聞こえた。

「えぇ。少年は保護します。実験体は、拘束して確実に焼却処分を」

 今、目の前の大人が放ったひどく違和感を抱く言葉に、僕は少しづつ状況を呑み込んでいく。

「焼却……?」

 僕は混乱する。

 焼却って、なんだ? 焼くってこと?

 いや、そんなことあるわけない。

 だって花乃は、ひとだ。生きている人間だ。生きている人間を焼くなんて、有り得ない。そんなことをしたら、死んでしまう。花乃が死んでしまう。

「少年、もう大丈夫だ。こちらへおいで」

「少女を下ろして、速やかに」

 大人たちの不気味な、歪んだ声が頭に直接響く。

「花乃は……」

「少女はそのまま、そこへ置いておいて」

「置いておいて? 置く、ってなに? 僕を助けてくれるなら、花乃も助けてよ」

「…………」

「ねぇ」

「とにかくきみだけこちらに」

 大人の声音に、花乃の話が事実であるということを確信する。

 こんなの、普通じゃない。おかしい。

 目の前にいる大人たちは、政府の人間だ。正しいはずの大人たちであるはずなのに、僕はまったく、なにを言っているのか理解できない。

 足が竦む。

 花乃はもう、動かない。ぴくりともしない。僕たちが囲まれていることにも、気づいていないかもしれない。

 歯を食いしばった。怒りで、全身の血管がぶち切れそうだった。

「花乃は、実験体じゃない! 花乃には、花乃って名前があるんだ!」

「少年、落ち着きなさい。きみが背負っているそれは、不治の感染症に冒されている。このままじゃきみも危ない。すぐに降ろして、こちらにきなさい」

 拡声器を使って、男性が言う。

 ヘリのサーチライトが、僕と花乃を舞台の主役のように照らし出した。

「きみは騙されているんだ。大丈夫。今ならまだ間に合うからこちらへおいで」

 なだめるような、諭すような声。その裏で、別の男性が拡声器の男性に囁く。

「もし、素直に投降しないようなら、ふたりまとめて処分するようにと……」

 身勝手な、残酷な言葉に、涙が溢れ出した。

「なんで……こんなことするんだよ。大人なのに!」

 武装集団は銃を構えて、僕を注視している。

「僕たちは、あんたらの道具じゃない! 僕たちは、ただ必死に生きてるだけなのに……なんで邪魔するんだよ! 放っておいてくれよ!」

 親を失って、家族を失って、僕は絶望して生きることを放棄した。そんなときに出会ったのが、生命力に満ち満ちた花乃だった。

「お前らが悪いんだろ! お前らがこの国を、僕たちの世界を壊したんだ! それなのに、なんで花乃が殺されなくちゃならないんだよ!」

 花乃の笑顔に、声に、手のぬくもりにどれだけ救われたか分からない。

 だから絶対、僕はこの子を手放さない。絶対に。

 ――神様。

 僕はもうなにも望まないから、ただ、ふたりでいさせてよ。最後の最後に、本気でそう思えるひとと出会えたのに――神様はどうして、それすら叶えてくれないんだ。

「花乃は渡さない。僕たちは、お前らになんて負けない!」 

 神様なんて、もううんざりだ。こんな世界、僕の方から棄ててやる。

 歯ぎしりをして武装集団を睨みつけると、奴らは一瞬怯んだように息を呑んだ――ような気がした。

 しかし、それは僕の気迫にやられたわけではなかった。

「――春太」

 背後から、甘い甘い声が響いた。 

 ハッとして、ゆっくりと首を後ろに向ける。

 花乃が、目を開けていた。 

「花乃……?」

「春太。ちょっと、降ろして」

 青白い顔で、花乃は僕を見上げ微笑んでいた。ゆっくりと背中から花乃を降ろし、振り返る。

「花乃、僕……ごめん。研究所に、間に合わなくて……」

 しゃくりあげながら、ぐちゃぐちゃの顔で花乃を見つめる。

「うん」

 花乃は困ったように笑って、僕の頬につたった涙を拭った。

「大丈夫だから、泣かないで、春太」 

 花乃は、わめく僕をそっと抱き締めた。まるで慰めるように、泣き喚く僕の頭を優しく。 

「ありがとう、春太。最後に素敵な思い出を、本当にありがとう」

「花乃……?」

 花乃の体がすっと離れていく。

「今度はわたしが、春太を守るから」

 花乃は僕にリュックを渡し、中から瓶を取り出した。そして、その瓶を両手に大切そうに抱き締めると、ゆっくり、ゆっくりと後退っていった。

 僕は呆然としながらも、待って、と小さく手を伸ばす。

「待ってよ、花乃。そっちは……」 

 崖だ。

 ざぶん、と今さらになって荒々しい波の音がした。

「止まりなさい!」 

 拡声器から大きな声が響く。

 武装集団も、花乃の行動に狼狽うろたえているようだった。

「ねぇ、春太。わたし、海に還れるかな?」

「え……?」

 心臓が、直に引き裂かれるような心地だった。

「わたし、科学的に生まれた人間のなり損ないだから。こんなわたしでも、ちゃんと海に還れるかな?」

「花乃……」

 叫びたくなる。

 花乃にこんな残酷な運命を与えたのは、一体誰なのだろう。

 違う。海に還る必要なんてない。花乃は、ずっと僕と一緒にいるんだ。これからもふたりで、穏やかに暮らしていこうよ。僕が守るから。

 想いと涙は比例してとめどなく溢れてくるのに、喉の辺りがきゅっと絞られるように苦しくて、言葉だけが出てこない。

「わたし、祈ってる。春太の大切な家族が、ちゃんとまた生まれ変われますように。できることなら、わたしも生まれ変わって、今度は春太と一緒に生きたい。だからそれまで、春太は精一杯生きて」

 花乃は目を閉じ、すっと重心を後方へ傾ける。桃色のワンピースが、風を含んでふわりと綿毛のように膨らんだ。

 景色に溶けていく儚い妖精のように、花乃の姿がぼやけて、滲んでいく。

「花乃。やだ、待って……花乃!」

 必死に叫ぶけれど、僕の手はあと一歩のところですっと空を掴んだ。

 花乃には届かなかった。

「――バイバイ、春太」

 花乃は最後まで、涙ひとつ見せなかった。

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