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第5話

 部屋に戻り、ベッドの上で仔猫とじゃれる花乃を見ながら、僕は尋ねた。

「そいつ、名前どうするの?」

「んー?」

「その猫、名前付けてあげなよ」

「名前……わたしが付けていいの?」

「だって、花乃が拾ったんだから」

 そう言うと、花乃は嬉しそうに僕を見た。そして、その顔のまましばらく考え込んで、言った。

「じゃあ……リュック!」

 がくっとひじが崩れ落ちた。安直にも程があるだろう。

「……もう少し可愛い名前にしたら?」

「え、リュック、可愛くない?」

 花乃にとっては、渾身の命名だったらしい。僕はてっきり、ウケ狙いかと思っていた。

「いや、うん。気に入ってるならいいけどさ……」

 なんでもいいや、もう。

 * * *

 翌朝になって、僕たちはまた自転車でメロディランドを目指した。

 一日中自転車を漕ぎ続けて、目的のメロディランドに到着したのは完全に陽が落ちた夜だった。

 僕はくたくたでとても遊ぶ気力は残っていなかったけれど、花乃がメリーゴーランドや観覧車、大きな船の形の乗り物を見てあまりにも目を輝かせるので、少し遊ぶ? というほかなかった。

「……あ、いや、でも」

 僕を気遣う瞳を感じ、首を振る。

「少しだけ。少し遊んだら、また明日遊ぼう」

「……うん!」

 明日が、くる保証なんてどこにもないけれど。

 馬やユニコーンやペガサス、南瓜かぼちゃの馬車が繋がれたメリーゴーランド。それらはぴくりとも動かないけれど、それでも花乃は手前のユニコーンにまたがって、きゃらきゃらと楽しそうに笑った。

 電気がつけばいいのにな、なんて思いながら、ふと視線を流すと、大きな金属製の変電設備へんでんせつびらしき箱が見えた。

「あれって……」

 花乃の様子を見つつその箱に駆け寄り、中を開けた。しかし、どれが電源なのか分からない。さすがに無理か、なんて思いながら、適当にいじってみる。

 すると、右上のランプが突然点灯した。

 がしゃん、となにかが落ちたような、上がったような不思議な機械音がして、僕は咄嗟に花乃に目を向けた。

 メリーゴーランドが、カラフルに色付いていた。他の観覧車や、アトラクションも。

 ゆっくりと音を立て、メロディを奏でながら動き出す。

「わあっ!! 春太ー!! 動いたー!」

 動き出したアトラクションに、花乃がはしゃぐ。

「いつまで持つか分からないけど!」

 言いながら、僕も花乃の方へ駆け出して、花乃の隣のペガサスにまたがった。

 それから観覧車に乗って、廻るティーカップにも乗った。お土産コーナーのお菓子をふたりでこっそり食べて、疲れていることすら忘れてはしゃいだ。

「はぁーっ! 楽しかった! 遠足込みの修学旅行!」

「うん! 僕も」

 楽しかった。今まで生きてきた中でのどのイベントよりも。

 その後僕たちは、メロディランドの中にあるホテルへ向かった。とりあえず今日はここまでにして、遊ぶのは明日にしようということにして。

 花乃は、部屋に入るとここへ来たときには背負ってなかった黒のリュックを下ろして口を開けた。

 大きい口がパカッと開いていて、そこから青色のくりりとした瞳がふたつ、覗く。

「みゃあ」

「リュックー! おまたせ! いい子にしてまちたね!」

「みう」

 リュックインリュックである。

「リュックにもごはん、あるよ」と、僕はリュックの前に猫用の缶詰を差し出した。メロディランドへ来る途中、コンビニで拝借はいしゃくしてきた高級猫缶である。

「みゃう」

 リュックは嬉しそうにそれを食べ始めた。まったく、僕たちは菓子パンだというのに、なんとも贅沢ぜいたくなお猫様である。

「お風呂、沸かしてくるね! 今日は春太が先に入って!」

「え、いいよ。花乃先で」

「ううん。今日はほとんど休みなしで漕いでくれたんだもん。ゆっくり休んでよ」

「……そう? じゃあ、お言葉に甘えて」

 僕は先にお風呂に入ることにした。扉を閉めかけて、ハッとする。

「花乃」

「ん?」

「僕がお風呂入ってる間に、どこにも行くなよ」

 釘を刺すと、花乃は小さく笑って、

「もう行かないよ、疲れててそんな体力ないもん」と言った。

 その声は少しだけ、嬉しそうだった。

 * * *

 お風呂から上がると、花乃はベッドですやすやと寝息を立てていた。そういえば、眠いって言っていたもんな、と思いながら、お風呂に入れなきゃ、とその肩を叩く。

「花乃。花乃、起きて。お風呂入らないと」

「う……んん」

 花乃は少しだけ眉を寄せ、また眠りの中へ落ちていく。

 まったく、参ったな。このまま寝かせてやりたいが――まぁ、朝お風呂に入ればいいのか、と思いながら、僕は花乃にシーツをかけてやった。

 急に眠りこけられると、ちょっと困る。

 * * *

 時計が、十二の針を指した頃。小さな音が聞こえた。

 ぱらぱらぱら。

 なんだろう、と微睡みから覚めた僕は、落ちそうになる眼を擦ってカーテンの隙間から外を覗く。

 ぱらぱらぱら。音がだんだん大きくなってきた。

 ひやっと全身の体温が急激に冷めた気がした。

 窓の外に、ヘリコプターが見えた。それも、一機じゃない。何機もある。追っ手が来たのだ。ここまで。僕たちを――花乃を、殺しに。

「花乃っ!」

 弾かれたように振り返り、隣で寝ていた花乃を起こそうと手を伸ばした。

「か、の……?」

 花乃は荒い呼吸をしていた。額には、玉のような汗がいくつも浮かんでいる。

「花乃? どうしたの、花乃!」

 肩を揺する。花乃が小さく呻いた。

「……春、太……」

 荒い息の中、花乃はうっすらと目を開けて、僕を見た。

「ちょっと、だるいかも」

「ちょっとって……」

 すごい汗だ。

「熱あるよ。花乃……どうしよう、どうしたら……」

「大丈夫だよ、このくらい……」

「大丈夫じゃないよ!」

 様子がおかしい。明らかに。

 でも、今はここで寝かせてやることが最善だとも思えない。一刻も早く、ここから出ないと捕まってしまう。

「花乃。追っ手が来た。とりあえず今すぐ逃げよう」

「…………ごめん、わたし、もう無理、かなぁ……」

 息を吐くように、か細い声で花乃が言う。花乃らしくない弱々しい声に、僕は不安がいっぱいになって、泣きそうになる。

「無理って、なんだよ……。ここまできて諦めるのか? 大丈夫。僕がいる。少し辛いかもしれないけど、とにかく逃げよう」 

「……うん……」

 花乃がゆっくりと身を起こす。

 しかし、踏ん張っていた腕が、不意にかくんとなった。慌てて僕が支えるけれど、花乃はずっしりと僕に体重を預けてくる。

「花乃……?」

「……毒が……」

「毒?」

「……毒が……回ってきたみたい」

 花乃は苦しげに眉を寄せて、荒い息の中で呟いた。

「え……?」 

 僕はわけが分からなくて、傍らで丸くなって眠るリュックを見た。

「花乃……」

 意を決し、黒いリュックの中にそっとリュックを入れる。それをそっと前向きに抱え、起き上がる力を失った花乃を背中に背負った。

「春太……もう、いいよ。わたしのことは置いていって」

「ダメだ。このままここにいたら、みんなおしまいだ。僕はまだ、花乃と一緒にいたい」

 そう言葉を放って、ようやく気づいた。僕は花乃とリュックと、明日も生きたいのだと。

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