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第8話

 無事、依頼を遂行したサツキは、駐車されている赤色の軽自動車に乗り込んだ。

「おつー。どうだった?」

 助手席から呑気な声が返ってくる。

 スズカは未だにスマホをいじっていた。サツキを見ようともしない。少しは褒めてくれるかと思ったのだが、甘かった。

「無事、依頼完了です。ちゃんとコノミさんに渡してきましたよ」

「そう」

 サツキはちらりとスズカを見た。

「……あの、スズカさん。さっきからその……なにしてるんですか?」

「んー?」

 さっきからずっとスマホをいじっているスズカのことが、サツキは気になって仕方がない。

 サツキはハザードを消してウインカーをつけた。雨上がりの空の下に、ちかちかとオレンジ色のライトが点滅する。

 アクセルを踏み込むと、車がすうっと滑り出す。

 ふたりを乗せた軽自動車は、ビルの明かりの隙間を縫うように薄闇の街に溶け込んでいく。

「スズカさん、夕飯フレンチ予約してあるんですけど食べていきません?」

「んー……そうねぇ」

 心ここに在らずの返事に、サツキはムッとしてスズカの手元を見た。

「いったい、さっきからスズカさんはなにを……ねえってば」

 サツキはスマホを覗いた。スマホ画面の中では、例のアバター、黒ウサギが狭い部屋の中でくつろいでいる。しかしそこにもう一体、サツキの知らない不気味な生き物がいた。

「……って、なんですか、そのピエロ。キモ!」

「さっきからうるさいなぁ……。残務処理済ませたら相手してあげるから、少し黙っててよ」

 スズカの言葉に、サツキはきょとんとした。

「残務処理って、それならさっき僕が……」

 すると、スズカの指先がぴたりと止まった。顔を上げ、サツキを見る。

「あ、もうひとつの依頼の方。というか、ぶっちゃけそっちが大元」

「……は?」

「あぁ、そういえば、サツキくんは途中参加だったっけね」

「ちょ、その大元の依頼って、誰からですか!?」

「シオン・ミカワ」

「シ、シオン・ミカワ……」

 どこかで聞いたはずのその名前。

「え、それって」

 サツキは視線を彷徨わせた。

「半年前、黒ウサギのアカウントに依頼メッセージが来たのよ。それがこの人。シオン・ミカワ」

 スズカはとんとん、と指先でスマホの液晶画面を叩いた。そこには、スズカのアバターである黒ウサギと、泣き顔のピエロがいる。ピエロの方がシオンのアバターなのだろう。

 スズカは話を続ける。

「コノミさんの異常な束縛から解放してほしいっていうのが、シオンさんからの依頼だった。コノミさんの今回の依頼、かなりぶっ飛んでたからお気付きでしょうけど、彼女、なかなかネジが飛んじゃってる人でね。妹を溺愛するあまり、平気で法に触れることもしてたらしいの」

「法に触れるって……?」

「たとえばそうね。シオンさんにうっかり惚れちゃった人を魚の餌にしちゃったり?」

 サツキは青ざめた。たった今、その当人と会ってきたばかりである。

「それ、殺人っていうんじゃ……?」

「彼女の依頼を完璧に遂行するには、シオンさんが死んだことにする必要があった。それで、前々から目を付けてたエコライフの違法臓器売買を利用させてもらったってわけ」

「そ、それってつまり……今回の臓器移植の被害者のひとりを、シオンさんと差し替えたってことですか?」

「簡単に言えばそういうこと。そしたら、今度はコノミさんからエコライフへの復讐の依頼が来たんだよ」

「な……なんという……」

 サツキは驚愕した。

 つまり、スズカの言うところによるとこういうことだ。

 半年前――サツキがスズカの正体を知る前の話だが――シオン・ミカワから、黒ウサギ宛に依頼が来た。

 依頼の内容は、束縛の強い姉・コノミからの解放。

 両親を早くに亡くしたコノミは、シオンを娘のように大切に育てたせいもあってか、昔からかなり束縛が強いらしかった。

 シオンがもし自分の元から逃げたとすると、しつこく追ってくるのは間違いないと言う。

「そ、そんなに……?」

 サツキが口を挟んだ。スズカは冷めたように笑った。

「そもそも妹を殺した人間の内臓を自分の患者に移植するっていう考え自体、結構ヤバくない?」

「まぁ、たしかに……」

 それについては、サツキもスズカの意見に同意する。

「ま、そういうことで今後の彼女の安全面を考えた結果、死の偽造が一番かなって」

 その際スズカが利用させてもらったのが、かねてより黒い噂のあったエコライフだった。

 これを機に調べてみると、エコライフはSNSで自殺志願者を募り、違法な臓器売買で荒稼ぎをしていた。

「ご丁寧に拉致した人間のリストを作っているようだったから、その中にシオン・ミカワの名前を入れて、代わりに適当な戸籍を入れ替えたってわけ」

 シオンをコノミの呪縛から救うというのが今回の真の案件である。

 今回スズカは、コノミから逃れたいというシオンをエコライフが殺したということにして、シオンの依頼を叶えた。そして、シオンをエコライフに殺されたと思い込んだコノミが、今度は彼らへの復讐を企ててスズカに依頼をしてきたのである。

 結果、スズカはその両方の依頼をきちんと叶えたのだ。

「で、でも、ずっと監禁されてた人がスズカさんに依頼を頼めるほどの大金を持ってるとは思えないんですけど……」

「あぁ。それはね、私がテストに合格したら依頼を受けるって言ったの」

「テスト……?」

 サツキは眉を寄せ、首をひねった。

「私のアカウントを乗っ取れるかどうか試してみたのよ。話してみたらなかなか切れ者だったし度胸もあるし、サイバー関係に強そうだったからね。結果……一瞬で私のスマホ乗っ取って合格。今回のドローン操作と国営放送のハッキングは私じゃなくて彼女。ついでに、裏で奴らの行動を見張って指示をくれてたのも彼女ね」

「なっ……」

 サツキは開いた口が塞がらなかった。

「ま、お利口さんなお使いウサギが一羽増えたってとこかしらね」

「な……なんでそんな重要なこと黙ってたんですか!?」

「あは。ごめん、言ったと思ってたよ」と、スズカは軽く笑った。

「いやいやいや。笑いごとじゃないんですけど!?」

 サツキは狐につままれた気分だった。

「まぁいいじゃない。結果全部上手くいったんだし」

「それはそうですけど……」

 納得がいかない。

「さて、そういうわけでこちら、依頼人の泣き顔ピエロさんでーす」 

 と、スズカは後部座席へ手をやった。

「は……?」

 サツキはバックミラーを見た。そして、ぎょっとした。

 後部座席には、見知らぬ女性がいた。

 ショートカットで切れ長の瞳の美しい人だ。

「だれ!?」

「はじめまして。シオン・ミカワ改めリコ・クラナです。これからよろしくね! サツキくん」

 リコは涼し気な笑みを浮かべてサツキに自己紹介をした。

「あなたがシオン!? イメージと違うんですけど!!」

 コノミが溺愛するなら、もっと幼くて、スズカのような可愛らしい外見かと思っていたのだ。シオンはどちらかというとボーイッシュで中性的な雰囲気をしていた。

 サツキはバックミラー越しにリコを見つめ、深いため息をついた。

「なんか騙された気分……」

「敵を騙すには味方からって言うからね」と、スズカ。サツキはすかさず反論した。

「いや、今回僕を騙す理由なかったですよね!?」

 後部座席では、リコが肩を揺らして笑っている。

「おふたりは仲良しなんですね」

「いやいや」

「ないない」

 スズカとサツキは即否定する。

「私も早くサツキさんみたいに一人前になれるよう、頑張ります!」

「リコさんは既にサツキくんより全然できるから安心して」

「なっ!」

「本当ですか!?」

 サツキはムッとした顔で、わざと大きなため息をついた。

「はぁ……午前中のスズカさんは可愛かったのになぁ」

「は? なによいきなり」

「スズカさんはちょっと外面が良過ぎですよ。僕、出会った頃からすっかり騙されてます」

「あのね、サツキくん。言わせてもらいますけど、騙されるって言う言葉ほど身勝手なものはないのよ。そもそも、サツキくんは私のなにを知ってたっていうの? なにも知らずに私に理想を抱いて、それと違ったら騙されたとかいって好き勝手騒ぐ。私からしたらたまったもんじゃないんだけど?」

「……た、たしかに」

 スズカの言葉はまさにその通りだった。

「それより私、お腹減った。このままフレンチ食べて帰ろ」

「行きます! やった! スズカさんとデート!」

「がーん。つまり私はお留守番ですか?」

「まさか。私とリコちゃんで行くんだよ」

「えっ!?」

 スズカは極上の笑顔を浮かべて、サツキを見つめた。

「当たり前でしょ? 新入りを置いてくつもりのひとは置いてくわ」

「……いや、あの本当にふたり分しか予約してないんですよ。意地悪とかでなく」

「どうにかしよう? せっかく依頼完了したお祝いなんだから」

「あ、それなら私、お店の予約改竄しましょうか?」

「おぉ! いいね、それ」

「いやダメでしょ!」

 さらっと賛同するスズカをサツキが止める。

「じゃあ別の店行こう。私の行きつけの会員制のバーとかどう?」

「スズカさんの行きつけ!?」

 サツキの瞳がきらりと輝く。

「三人でざっと二百万くらいいくと思うけど、もちろんサツキくんの奢りだよね?」

「すみません、今金欠なのでそれだけは勘弁してください」

 サツキは即座に真顔で謝った。

「あら、お金ないの? それならいいバイト教えてあげようか。単発で一千万稼げるらしいよ」

 一瞬きょとんとしたサツキだったが、すぐにスズカの言葉の意味を理解した。

「……いや、それ俺死ぬじゃないですか!」

「はは」

「まったくもう……分かりましたよ」

 サツキはぶつくさ文句を言いつつも、数日前に予約していたフレンチの店へ向かってハンドルを切る。

「惚れた弱みですね、ドンマイです」

 リコのひとことに、サツキは苦い顔をした。

 はてさて、半年がかりの大仕事を終えたラパンは、新たな仲間を迎えて、東京の夜景の海に消えていくのだった。

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