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第7話

 スズカが去った室内に、再び静寂が落ちた。しかし、静寂が落ちたのはほんの一瞬で、直後、扉からぞろぞろと全身黒ずくめの人物が複数人なだれ込んできた。

 呆然としていた男たちは、再び慌てて身を縮めた。

「ひっ……!?」

 上擦った声で尋ねる。

「だ、誰だお前ら……!?」

 黒ずくめの人物は、全員くるぶしの長さまである漆黒のロングパーカーをまとい、うさ耳付きのフードを目深に被っている。さらに、顔には目元を隠すウサギ型の仮面をつけていた。

 どの仮面の人物も小柄で、華奢だった。彼らは男なのだろうか。というか、大人なのかすら分からない。

「これより、速やかに臓器摘出の準備に入ります」

 妙に高い声――というか、子供の声だった。

 男たちはそのちぐはぐさに、余計に恐怖を抱いた。

「急げ急げ!」

「手分けしないと!」

「こっちはボクが、あっちはキミが」 

「ボクは文書の差し替えを」

「名簿はどこかな、こっちかな」

 手術室の中に大人か子供かも分からない、いや、性別すら不詳の仮面のウサギたちの声が、不気味に響く。

「だから……お、お前らは一体誰なんだって聞いてんだよ!」

 男は堪え切れなくなったのか、とうとう怒鳴った。すると、ウサギたちは動きを止め、一斉に男たちを凝視した。

「ひっ!」

 男たちは引き攣った声を上げる。

「ボクらは黒ウサギの親衛隊。お使いウサギだよ」

「これより、速やかに臓器摘出の準備に入るよ」

 再び動き出したウサギたちは、とことことカワイに群がっていく。

「一、二、三」

 あっという間に手術台にカワイが乗せられる。仮面の人物は慣れた手つきで留置針をカワイの静脈に打ち込み、ドレッシングテープで固定する。流れるような手つきだ。とても素人とは思えない。

 もうひとりが麻酔用マスクをカワイに被せ、さらにもうひとりが点滴スタンドを準備する。 

 手術台の脇には、新たに清潔な器具台が運び込まれた。

「よし!」

「これにて準備完了」

「では」

 手術の準備が整うと、ウサギたちは最後にドローンカメラをセットした。

「これ、勝手にいじらない方がいいよ」

「どういうことだ……?」

「いじると、バーンってなっちゃうかも」

「そうそう。BAN! BAN!」

 男たちはドローンを見て、ごくりと唾を飲んだ。

「キャハハハハ」

「じゃあまたね」

 それだけ言い残すと、ウサギたちはさっさと消えていった。

 数時間にも思えるような数分だった。

「な……なんだったんだ……?」

「さぁ……」

 もはや男たちは、今の光景が果たして現実に起きた出来事だったのかすら、判断できなくなっていた。

 妙に冷静で怪力の女のことも、妙な仮面を被った大人か子供かも分からない黒子のような人物たちも。

 すべてが悪い夢だったのではないかと思えてしまう。

 不意に、誰かが口を開いた。 

「このまま……」

 逃げてしまえばいいのではないか、と、言おうとしたときだった。

 ドローンが機械音を上げて動き出す。ハッとして、男たちは互いを見つめ合う。

 お互い、顔面は脂汗でぎとぎとだ。手術台の上では、カワイが眠りこけている。

 ――ヴィィィイン……。

 ドローンのカメラがじっと自分たちを見ているからだろうか。男たちは、変なプレッシャーを感じていた。

 それぞれ声もなく立ち上がり、無言で何度か頷き合う。

 そして――男たちは、手術台に無防備に横たわったカワイの腹にメスを突き立てた。

 * * *

 スズカはエコライフのビルの地下駐車場にいた。車の後部座席の下に隠してあったいつものパーカーワンピースに着替えると、地べたで眠りこけているサツキの傍らに寄った。

「おーい、サツキくん。いつまで寝てるのー?」

 ぱちぱちとサツキの頬を叩く。

「ん……」

 数度頬を叩いたところでようやく、だらりと緩み切っていたサツキの表情筋が、ぴくりと反応する。

「んん……?」

 眉がひそめられ、うっすらと目が開いた。濡れた瞳がスズカを捉える。

「お。やっと起きたか、僕ちゃん」

 スズカがサツキから手を離すと、サツキの身体がずるりと地面に落ちた。

「あだっ!!」

 サツキは素っ裸のまま、古びたビルの地下駐車場に転がった。

「たた……って、もう! なにするんですか、スズカさん!」

 サツキが情けない声を上げる。そんなサツキをスズカは呆れ気味に見下ろした。

「いや、なにするんですかって……こっちのセリフなんだけど。サツキくんさぁ。そろそろクビにしてもいいかな? 君、今回もずっと素っ裸で伸びてただけでなんの役にも立ってないんだけど」

「はっ! そうでした!? って、きゃあ!?」

 ぼんやりしていたサツキはようやく自分の置かれた状況を思い出した。そして、自分が布一枚もまとっていないことに気付き、慌てて手で大事なところを隠す。

 サツキは瞳に涙を溜めて、スズカを睨んだ。

「すっ……スズカさん!! 見た!? 僕のその……見た!?」

「ないない」

 スズカは真顔で手を振った。あからさまにホッと息を吐くサツキに、スズカはぴしゃりと言った。

「そもそも使えない後輩には興味がない」

「がーん! そんなぁ」

「バイトのお使いウサギたちの方がよっぽど使えるよ」

「はは。まぁそう言わないでくださいよ、スズカさん」

 スズカの辛辣な言葉に、サツキは苦笑を漏らした。

「それにしても無事でよかったです。そういえば、タカミは……アイツら、どうなりました?」

「まったく、起きたら起きたできゃんきゃんうるさいなぁ……」

 スズカはサツキを無視して軽自動車に乗り込むと、グローブボックスの中に隠しておいたもう一台のスマホを取り出し、いじり出した。

 タカミの前で使用したスマホは、彼に拉致されたときに奪われたままである。あれはダミーで、スズカの情報はなにひとつ入ってないからいいのだが。

 ほどなくして、液晶画面にドローンの映像が映し出された。

「おっ、もう臓器摘出始まってる」

「えぇっ!? 嘘、なに!? 誰の臓器!? え、僕生きてる?」

 パニックになっているサツキを冷ややかに一瞥し、スズカはスマホに視線を戻す。

 サツキはスズカの背後からスマホを覗き見た。

「うわぁ……マジか。これマジもんの臓器……うぇぇ、グロ」

 サツキは眉を寄せ、スズカに抱きつきながらスマホ画面を凝視している。

「……サツキくん、苦しいってば」

「あ、ごめん」

 スズカは絡みついてくるサツキをひと睨みしつつ、まだ伸びているタカミへ視線を移した。

 まだ、仕事は終わっていない。

 スズカはフードを被った。

「とにかく今はそいつをミカワさんとこに届けにいくよ。サツキくん、ぼさっとしてないで早く着替えて。タカミを拘束したら車に乗せて」

「了解です!」

 元気よく返事をして、サツキは速やかに黒のロングパーカーに着替えた。スズカと同じデザインのものである。

 続けてタカミの手足を拘束して荷台に詰め込むと、サツキは運転席に乗り込む。

 シートベルトをしっかり締め、エンジンをかけながらサツキはちらりとスズカを見た。

「なに?」

 サツキの視線に気付いたスズカが、スマホから顔を上げずに聞く。

「……いえ、あの……すみませんでした。僕、また役に立てなくて」

「……べつに。サツキくんにはハナから期待なんてしてないし」

「はは……そうですか……」

 サツキはぽりぽりと頬をかいた。

「……でもまぁ、演技自体は上手かったよ。タカミ、全然疑ってなかったし」

 スズカはスマホを操作しながら、淡々と言った。

 不意に褒められたサツキは、嬉しさに頬を緩ませる。

「本当ですか!?」

 スズカはちらりとサツキを見て、ため息を漏らした。

「……いや、なににやけてんのよ。演技以外はダメダメだったんだから喜ばない」

「はぁい」

 サツキはにやけながら車を走らせる。

「まったく、単純ね」

「だって今日は運転するスズカさんも見られたし、デートできたし」

 バカなのだろうか。スズカは呑気なサツキを殴りたくなった。スズカはスマホの画面を消し、車窓に肘をついてサツキを見た。その視線は冷凍ビームのごとく冷たい。

「へぇ……? 君、ちゃっかり擬似デート楽しんでたんだ? 随分余裕があったのねぇ? まあそうよね。君、私がカワイたちと対峙してる間、麻酔用マスク付けてぐーすか寝てたんだもんね」

 恐ろしく低い声に、サツキは身震いした。車内の空気が五度くらい下がった気がする。

「……いや、あの……ハイ、すみませんでした」

 サツキは内心しょんぼりとしながら、ハンドルを握り直した。二人を乗せた赤色の軽自動車は、すっかり薄闇に染まった街を滑っていく。

 スズカは再びスマホをいじり出した。

 運転しながらちらりと画面を覗くと、スズカはSNSアプリを開いているようだった。黒ウサギのアカウントがある『HAKONIWA』だ。

「もしかして、また新たな依頼ですか?」

「いや」と、スズカは首を横に振る。サツキは首を傾げた。

「それよりサツキくん、ラジオつけて」

 スズカは、スマホから目を離さずにサツキに指示した。

「あ、はい」

 サツキは言われるまま、ラジオをつける。ジリジリというノイズ音の隙間から、かすかに女性パーソナリティーの声が聞こえてきた。

『――えー、ここで速報です。たった今、国営放送チャンネルが黒ウサギを名乗るアカウントに電波ジャックされました』

「えっ!」

 サツキは思わずラジオの音量を上げ、耳をすませる。

『電波ジャックの影響により放送は中止、突然手術中の映像に切り替わったとのことです。同時刻、黒ウサギを名乗る人物から通報を受けた警察が、現場と思われる都内のビルに向かったところ、映像にあった手術は実際に行われており、映像内で執刀されていたエコライフ代表のケンタ・カワイと思われる男性はその後死亡が確認されたとのことです。なお、ケンタ・カワイ氏は臓器摘出術をされていたとみられ、隣室でケンタ・カワイ氏からの臓器移植を受けたと思われる二十代男性が発見されました。男性は近くの病院に救急搬送されましたが、搬送後、命に別状はないとのことです。同ビルには複数人の若い男女が鎖で拘束されていたとの情報もあり、詳しい状況は未だ分かっていないとのことですが、警察は未成年監禁、殺人、及び違法臓器売買の疑いがあるとみて捜査を進めて……』

 あまりにも早いスズカの仕事に、サツキは文字通り目を丸くした。

「嘘! もうこんな進んでんの!? スズカさんすご! 手回し早!」

 まだ車が動き出して一時間も経っていない。いくら警察に先に根回ししていたとしても、あまりにも仕事が早い。

 サツキは関心を通り越して感動した。

「もともとやることは決まってたし、予定通りに進めただけだよ」

「はぁ……」

 サツキはちらりとスズカの横顔を見た。

 スズカは現在、大学七年生である。対してサツキは四年生だ。

 清楚で可憐なスズカに一目惚れして同じゼミに入り、少しでもスズカに近付くべく身辺調査という名のストーカー行為をしていたところ、スズカ本人にバレたのである。もちろん、スズカがストーカー男を許すはずもなく、問答無用で殺されかけたのだが、まだ死にたくなかったサツキは、ただひたすら謝り倒したのである。

 サツキの必死な命乞いとまっすぐな好意に、さすがのスズカも気の毒に思ったのか、裏の仕事を無償で手伝うという取引をして、サツキはなんとか命を繋ぎ止めたのである。

 仕事を手伝い始めて、スズカがハコニワの黒ウサギであるということを知ったときはさすがに驚いたが、それでもサツキの気持ちは変わらなかった。

 たとえスズカが、その小さな手で何人もの人を殺めていたとしても、たぶんサツキは彼女を愛することは止められない。

 スズカはサツキに目を向けずに言った。

「いい? これからも私のバディでいたいなら、これくらいのことは朝飯前にやってくれないと困るからね」

「頑張ります……」

 スズカは、可愛らしく健気な女の子などではない。意地が悪いし、可愛い顔をして言うこともやることも残虐だ。

「……あの、スズカさん」

「なに」

「ひとつ、聞いてもいいですか?」

「くだらないこと聞いたら海に捨てるからね」

「スズカさんは、どうしてこんな危険なことしてるんです?」

「……さぁ、なんでだろうね?」

 スズカは意味深に笑った。不意に向けられたその笑みに、サツキはうっかり頬を染める。そして、小さく息を吐いた。

 やっぱり、どう頑張ってもサツキはスズカへの想いを諦めることはできないらしい。

 その後、スズカとサツキは臓器医療センターの駐車場に入ると、車を停めた。

「じゃあ、コノミさんへの報告とタカミの引渡しはサツキくんに頼もうとしよう」と、スズカが言う。

「えっ、いいんですか!?」

 サツキは驚いた顔をしてスズカを見た。

 まさか、失態ばかりのサツキにそんな重要な仕事を任せてもらえるとは思わなかったのだ。

「ま、成長してもらうためにも、少しは働いてもらわないとね」

「任せてください!」

 サツキは白衣とウサギの仮面を手に、笑顔で車から降りた。

 ストレッチャーにタカミを乗せ、職員通用口の前で仮面を付けて白衣を羽織ると、使用中と書かれたプレートがぶら下がった会議室にこっそりと入った。

 中には、白衣姿の若い女性がいた。サツキがストレッチャーを押して中に入ると、女性はハッとしたように顔を上げた。今回の依頼人であるコノミ・ミカワである。

「お待たせしました」

「……あなたが『HAKONIWA』の黒ウサギ?」

 サツキはそれには答えず、ストレッチャーを彼女の前に差し出した。

「こちら、約束の臓器です」

「本当に……やってくれたのね」

 仮面越しに視線を感じる。

「テレビ、見ました。エコライフの件、約束通り表沙汰にしてくれてありがとうございました。それに、この男も……妹を殺した奴だけは、どうしても私が殺したかったので。とても満足です」

 と、コノミはストレッチャーの上のタカミを見て冷ややかに笑った。

 その笑みに、サツキは平静を装いながらも背筋がひやりとした。

「この男が、私の可愛い妹を殺したの?」

「えぇ。それとこちら、この男が拉致した人間のリスト表になります」

 スズカから渡されていた紙をコノミに差し出す。コノミはそれを見て、苦しげに眉を寄せた。

「こんなにたくさん……許せない」

 その顔は、どこかスズカに似ているような気がした。

 サツキは静かに口を開く。

「では、これで依頼は完了ということで」

 コノミは頷いた。

「はい。お金は必ず振り込みます。本当に、ありがとうございました」

「ご利用ありがとうございました」

 サツキはタカミをコノミに引き渡すと、スズカが待つ車に戻った。

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