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第6話

 その声は、これまでのスズカの声とは少し違った。異変に気付いたタカミとカワイが、スズカを見て眉を寄せる。

「そんなに誰かを救いたいなら、あなたたちが身を差し出せばいいわ」

 冷たく言い放ちながら、スズカは口の中に手を入れた。

 口蓋から透明のポリ袋に入った銀色の針のようなものを取り出すと、素早く真横にいたタカミの首に突き刺した。

「うがっ!」

 防衛姿勢をとる間もなかった。タカミは目を白黒させて、呆気なくその場にひっくり返った。

 カワイは驚きを露わに息を呑み、叫ぶ。

「なっ……なんだ、お前! タカミになにをした!」

「悪人は嫌い……。でも、善人ぶったあんたみたいな極悪人は、もっと嫌い。そろそろ殺していいかな? いいよね? もう我慢できないや」

 スズカはゆらりと怪しげな動きで、自身の足首に繋がる長い鎖を拾い上げた。そして、それをぶんぶんと思い切り振り回すと、カワイへ向けて勢いよく放つ。

 ――ガシャァァン!!

 けたたましい音がして、器具台がひっくり返る。肩に振り下ろされた鎖の重みに、カワイが呻き声を上げ、うずくまる。

「このクソアマ……」

 カワイが落ちたメスを握り、スズカを睨んだ。

「ぶっ殺してやる!」

 カワイが地面を蹴り、メスを振り上げスズカに向かってくる。

 スズカはにやりと笑って、向かってくるカワイを軽々と身をひるがえして避けた。

「なっ……!?」

 振り返り、首元に針を打ち込む。

「がっ……!」

 カワイは呆気なく白目を剥き、スズカの足元に転がった。

「うわぁ、口ほどにもない」

 カワイがばたりと倒れると、その振動で床が少し揺れた。

 スズカはゆっくりと振り返る。そして、棒立ちになっている男たちに訊ねた。

「あんたたちの臓器も、私に提供してくれる?」

 一歩、また一歩とにじり寄ってくるスズカに、四人の男たちは青ざめながら、後退る。

「なんだ……何者なんだよ、お前」

「け、警察じゃないよな……?」

 すっかり怯えた顔つきの男たちに、スズカはころころと笑った。

「警察じゃないよ。私、正義感とかぜんぜんないもん」

 スズカはくすりと笑って答えた。

「じゃあ、何者なんだよ!」

 男が震える声で訊ねると、スズカはにやりと笑った。

「私はスズカ・クロキ。そこで伸びてるのは私のバディのサツキ・ツキノ」

「バディだと……?」

 男たちは、呆然と口を半開きにして固まっている。どうやら、頭が回らないようだ。

「私たち、黒ウサギって名前で活動してるんだけど、知ってるかしら?」

「黒ウサギ……? 待てよ。それって、この前俺たちが活動拠点にしてるSNS、『HAKONIWA』をジャックしたハッカーか?」

「嘘だろ、そんな……お前が?」

「そうよ。ま、あんたたちの同業者ってところね」

「同業者ぁ?」

 男たちは顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべた。

「私は『HAKONIWA』で依頼を受けて、報酬を貰ってる便利屋。今回の依頼人は、今日の私たちみたいにあんたたちに拉致られて殺されちゃったシオン・ミカワさんのお姉さん」

 スズカの告白に、男たちは未だにピンときていないようだった。

「シオン・ミカワ……? し、知らない! そんな奴」

「あぁ! 俺も知らない!」

 揃って首をぶるぶると振る男たちに、スズカはもともと大きな瞳をさらに大きくした。

「うっそぉ。もう忘れたの? たった二ヶ月くらい前の話よ?」

 と、スズカはわざとらしい口調で言う。

「シオン・ミカワは、今回の私たちと同様の手口で臓器提供の被害にあって亡くなった女性のうちのひとりも。今回、私たちが依頼を受けたのは、彼女の姉からだから間違いないはずなんだけどね」

「嘘だ! 俺たちは、拉致した人間のリストをちゃんと作ってる! その中に、そんな名前はなかったはずだ!」

「あらそう。それならぜひ、目視で確認させてもらいたいところね。そのリスト、どこにあるの?」

「それは……」

 スズカは冷ややかな笑みを湛えたまま、男たちに訊ねた。

 男たちは黙り込む。スズカはふっと笑った。

「まぁいいわ。それより知ってた? あなたたちが殺した彼女のお姉さん、実は東大医学部卒の優秀なお医者さまらしいですよ?」

 やけに落ち着いたその声が、男たちの正常な判断をじわじわと奪っていく。

「な……それがなんだって言うんだよ!」

 スズカは光を通さない無機質なガラス玉のような瞳で、男たちを見下ろす。

「彼女の依頼、特別に教えてあげましょうか……」

 男たちの誰かが、喉を鳴らした。

 鎖が擦れる音が響く。まるで時が止まったかのように、部屋の中に深い静寂が落ちた。

「彼女、今都内の臓器移植センターに勤めていて、臓器提供の実績が欲しいんですって。だから、妹を殺した奴を生かしたまま連れてきて、そいつをその実績に使わせてほしいんですって」 スズカはぺろりと舌を出した。赤く可愛らしい舌の上には、銀色の針がキラリと光っている。

 スズカの言葉の意味を理解した男たちは、さらに顔を真っ青にした。汗でマスクが変色している。スズカの気分次第では、今すぐにでも殺されかねないと感じているのだろう。

「た……助けてくれ! 俺はなにもしてない! 主犯はカワイだ! 俺は付き合わされてただけで……」

「ふぅん?」

「俺だってそうだ! 頼む! 見逃してくれ!」

 スズカは男たちの必死の命乞いをつまらなそうに聞きながら、手に持った鎖をぐるぐると振り回した。そして、不意にその鎖を思い切り振り上げる。

「ひぁぁっ!」

 男たちは情けない悲鳴をあげながら、金属の鎖を避けた。

 スズカの笑い声が響く。

「……あのさぁ、あんたたちなにか勘違いしてない? あんたたちは人殺しなのよ? そこに転がってる二人と同じ人殺し。見逃してあげてもいいけど、たとえ私が見逃したとしても、警察に捕まるのは時間の問題よ。それに……隣に寝てるのって、法務大臣の隠し子なのよね? あの人が死んだらあなたたち、どっちにしろ法でも守ってもらえないんじゃない?」

「そ……それは」

 男たちの顔が凍りついた。今さら状況に気付いたらしい。

 スズカは一度ふぅ、とため息をつき、男たちに微笑んだ。 

「さて問題です。今の状況、どうしたら好転するでしょう?」

 まるで小学生に問題を説く教師のように、スズカは柔らかな笑みを浮かべて男たちを見た。 

 男たちは戸惑うように顔を見合わせている。

 しばらく考えるような沈黙が続いたのち、ひとりが言った。

「よ、予定通り、臓器移植すれば問題ないんじゃないか……」

 周りの男たちも、ハッとしたように手術台で眠るサツキを見る。

「そ……そうだ。今はとにかく、防衛大臣の息子を助けなければ……」

 男たちが絞り出した回答に、スズカは小さく笑った。

「さすが腐ってもお医者さん。頭がいいですねぇ」

 鎖がずるり、と床を流れて音を立てた。

「でももちろん、そこで寝てる男の臓器はダメよ? サツキくんは使えないけど、一応私のお使いウサギだから。となると大変! また新たな問題が出てきちゃったね……?」

 恐ろしく冷静な顔で声を弾ませるスズカに、男たちはごくりと息を呑んだ。

「さて、代わりに誰の心臓を差し出すの?」

「そ、それは……」

 男たちはすべてを見透かしたような瞳で見つめてくるスズカに、顔を引き攣らせて視線を惑わせた。そしてその視線は、上流から下流へ流れる川のごとく、床に転がっている男に向いた。

 カワイだ。

「……こ、この男でいい! こいつはいつも、誰よりいい思いをしてた! 当然の報いだ!」

「そ、そうだ!」

「カワイの心臓をやる!」

 スズカの口角がゆっくりと上がっていく。まるで、待ってましたとでも言わんばかりに。

「そう? じゃあ、あなたたちにはこのまま執刀を頼みたいんだけどいいかしら?」

「わ……分かった。分かったから、その代わり、俺たちのことは助けてくれるよな?」

 男は乞うような眼差しでスズカを見つめた。

「うんうん。私は、見逃してあげるよ。あ、でもその男はもらってくね。依頼人のために実行犯一人は持って帰らないといけないからさ」

 スズカはにこにこしながら、床に転がっているタカミを指さした。

「あ、あぁ……それはかまわない」

 誰ひとりとして、タカミをかばおうという者はいなかった。

「あ、それからもうひとつ」

 男たちは、スズカの笑みにびくりと肩を揺らして怯えた。

「な……なんだよ、まだなにかあるのかよ」

「まあね」

 スズカは男たちを見つめ、にやりと意味深に笑った。

「――さてと」

 ひと仕事を終えたスズカは、手術台の上で眠るサツキの腕に巻きついたドレッシングテープを剥がし、留置針を引っこ抜く。

 そして、自分の頭ひとつ分は大きいであろう体格差のサツキを、片手でひょいっと持ち上げた。

 小柄なスズカの驚異的な力に、部屋の隅で様子を窺っていた男たちはぎょっとして怯えた目を向けた。

 スズカはぐったりとしたままのサツキを抱え、もう片方の手で、足元に転がっていたタカミの片足を持つ。

「よし。そんじゃそろそろ帰ろうかな」

 スタスタと扉へ向かうスズカに、男たちは安堵の息を吐いた。

「あ、そうだ」

 スズカの足がピタリと止まる。男たちは息を呑み、身構えた。

 ゆっくりと、スズカが振り向く。

「今回私は、あなたたちを逃がすとは言ったけどね。ドローンカメラで移植の様子は見てるから、ちゃんとやってね? 逃げたらどこまでも追いかけて、あなたたちの臓器引きずり出してやるから、そのつもりで」

 笑顔で脅しの言葉を吐くスズカに、男たちは悔しげに奥歯を噛んだ。

 そして最後に、スズカは形のいいアーモンド形の瞳をすうっと細めて、「残念だったね、あなたたちの言うお馬鹿な若者にハメられて」

 男たちは、その場にへなへなと座り込んだ。

「この半年、あなたたちのおかげで良い暇つぶしになったわ。ありがとね、遊んでくれて」

 男たちは膝から崩れ落ち、しばらく呆然としていた。

「じゃ、執刀頑張ってね。バイバーイ」

 スズカは笑顔で手術室を後にした。

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