エコライフは、若者向けのSNSアプリやゲームアプリを開発している会社だ。日本限定ではあるが、国内のユーザーは総数八千万人を超えているという。
国内で知らない者はいないほどの大会社が、裏で臓器売買をしていたということなのか。
「アプリ開発なんて表向きだよ。実際はサイト管理の裏で自殺志願者を集めて荒稼ぎしてる。だけどこの前、不具合が起きてネットが機能しなくなっちゃったから、地道にこうやって若者をひっかけてたってわけ」
「なにそれ、ひどい……」
スズカはキッとタカミを睨みつけた。
「ひどいのは君でしょう。君、俺を轢いたんだよ? 俺は下手したら君に殺されてたかもしれないんだ。こっちも命かけてんだよね。結構怖いんだ、動き出しの車の前に飛び出すのってさ。だって気付かれなかったら、そのまま轢かれるじゃん?」
スズカはタカミを糾弾するように叫んだ。
「じゃあ、わざと飛び出したってことですか……? 私たちを拉致するために? 信じられない。あなた、命をなんだと思ってるの?」
すると、タカミは肩を揺らして笑い出した。目の縁に滲んだ涙を拭いながら、スズカを一瞥する。
「それ、俺を轢いた君が言えること? そもそも悪いのは君だよね? 君が俺を轢かなきゃ、君はここにいないんだからさ。それなのに俺が悪いみたいに言われても困るよ」
タカミの言葉にスズカは唇を引き結び、俯いた。
「それは……たしかに私の不注意が原因かもしれませんけど……けど、だからってこんなこと」
「君、馬鹿だよねぇ。普通おかしいでしょ? 警察呼ばないでーなんて言う被害者。絶対わけアリじゃん。疑わなかったの?」
タカミの言う通りだった。
スズカが黙り込むと、タカミは強引にスズカの肩を組んだ。
「まぁ、俺は生きてるから安心してよ。大丈夫大丈夫。君は人を殺してないよ。むしろ、俺の命を救ってくれるんだ。実はさ、一人拉致すると一千万もらえるんだよね。今日は君の彼氏もゲットできたから、売り上げは二倍! 二千万だよ。助かるよー、ありがとうね、スズカちゃん」
タカミは軽い足取りで歩き続ける。鎖がコンクリートに擦れるしゃらしゃらとした音が響いた。古びたエレベーターに乗り、タカミは慣れた手つきで七階のボタンを押す。
二人の足元が心許なく揺れ、ゆっくりと上昇していく。機械音だけが響く静かな空間で、スズカはタカミを見上げ、訊ねた。
「……車の中で私に打ち込んだのは、なに?」
「ただの鎮静剤だよ。君は少量で眠ってくれちゃったから助かったよ。もともと依頼人は男だし、彼から先に臓器摘出する予定だったから」
タカミは振り返ることなく答えた。
エレベーターが静止し、扉が開く。
タカミに引きずられるようにエレベーターを降りると、目の前にはさらに大きな扉があった。
目の前の扉の他に、両サイドにも扉がある。このフロアには、ざっと見たところ、三室あるようだった。
扉の頭上には、『手術中』という、テレビで見慣れた赤い表示看板がある。タカミがフットペダルを踏むと、扉が静かに開いた。空気が動き、独特の薬液の匂いが鼻を掠める。
室内の雰囲気は手術室を連想させる造りになっていた。だが、清潔感はあまり感じられない。薬液の匂いに混じって、獣臭いような、若しくは腐敗臭のような嫌な匂いが立ち込めている。
取り込んだ瞬間、肺の中にまとわりついて離れない。ひどく胸焼けする匂いだった。
壁にはところどころ黴がこびりついていて、床には血痕のようなものもあった。
「サツキくんはこの奥だよ」と、タカミが笑う。
スズカは鎖を引かれ、奥へ進んだ。
パーテーションの奥には、中央にひとつの手術台と、ベッドの真上にある大きな手術用の照明灯があった。そのサイドには、手術用の備品が置かれた器具台やモニター装置、
スズカはその手術台を見て、目を瞠った。
手術台には、透明な酸素マスクをつけられたサツキが横たわっていた。点滴スタンドから伸びた管は腕に繋がれ、モニターにはサツキが生きている証拠の波形が規則的に波打っている。
「サツキくん……? サツキくん!!」
スズカは、叫びながら駆け寄ろうとする。
しかし、
「じっとして」
タカミに鎖を引かれて思うように動けない。
スズカは何度もサツキを呼ぶが、いくら呼びかけてもサツキは固く目を閉じたまま、微動だにしない。タカミがねっとりとした手つきでスズカの肩を抱く。
「これから君は、恋人の臓器が取り出されていくところを見るんだよ。ひとつひとつ、中身を空っぽにされて死んでいくところをね」
スズカの耳元で、まるで愛を囁くようにタカミが言う。
次第にスズカの呼吸が浅くなっていく。
「可哀想にね。君と付き合ったばっかりに、サツキくんは死ぬんだ」
目を見開いたまま、スズカはサツキを見つめていた。
空間に響くのは、サツキが生きていることを知らしめるモニター音。時計の音すらしない。スズカは視線を動かし、時計を探した。
「……ここ、時計ないの?」
息を吐くように訊ねる。
タカミはスズカを見て、一瞬眉を寄せた。
「時計? あぁ、言われてみればないかも。よく気付いたね」
「今……何時?」
スズカが訊ねる。タカミは眉を寄せながらも、ポケットの中をまさぐった。スマホを取り出し、画面を見ながら「午後五時七分だけど」と告げる。
「……そう」
スズカは床に視線を落とした。
それからどれくらい経ったのか分からないが、間もなく扉が開き、術衣を着た数人の男が入ってきた。
開いた扉の向こうからは、サイレンの音がかすかに漏れ聞こえている。
「なんだぁ? その子。見学か」と、一人の男が目を細めてスズカを見る。
「はい。この男の連れっす。死ぬとこ、見せてあげようと思って」
タカミがへらへらとした口調で答えた。
「鬼畜だな」
男たちの数人が笑う。
「ちゃんと鎖握っておけよ。その女が邪魔したらお前の臓器も引きずり出してやるからな」
「分かってますよ、まったく、カワイさんはおっかないなぁ」
スズカは男たちを見た。手術台を取り囲んでいるのは五人だ。タカミに脅しをかけたカワイという男は執刀医なのか、サツキの腹の辺りに立っている。
「依頼人は、もう来たんすか?」
「あぁ。今、隣で麻酔打ったとこ。効きが悪い奴らしいから、少し時間がかかると思って早めに入れたんだよ」
臓器提供の相手だろうか。スズカはじっとカワイを見つめた。
「そんじゃ始めるぞー」
カワイがメスを握る。
――と。
「待って!」
スズカが叫んだ。
カワイが面倒そうに、ゆったりとした仕草で顔を上げた。
「なに、おじょうちゃん」
スズカはカワイを睨みつけ、訊ねた。
「あなたたち……いつもこんなことしてるの?」
「え、うん、まぁ、そうだけど?」と、カワイが鼻で笑う。
「なんでこんなこと……あなた、臓器を取り出せるってことは、医者なんでしょ!? そんなに頭良いのに、どうして……」
すると、サツキを取り囲んでいたカワイたちは、げらげらと大きな声を上げて笑い出した。
「いやぁ君、面白いね」
「小学生みたいなセリフなんだけど」
「カワイさん、答えてあげたらどうですか?」 カワイは笑いながら、「そうだなぁ……」と息を吐く。
「医者ってさぁ、馬鹿げてると思わない? あんなに必死に勉強して、死に物狂いで患者助けてさ。でも、たった一回ミスしただけで犯罪者扱いなんだよ? おかしいよね。命を扱ってんのに、誰も労ってくんねーの。失敗したら人殺しで即裁判」
カワイは目を細めて、手に持ったメスを睨む。
「これは人助けだよ?」
「人助け……?」
「君、知ってる? 日本の臓器移植希望者は約一万六千人。そのうち、一年間に何人が移植を受けてると思う?」
スズカは口を噤む。男は首を傾け、立ち尽くすスズカをじっと見つめた。
「たった四百人だよ。この世は無常だよね。残りの一万五千六百人は、縋る藁すら与えられずに死んでいくんだよ」
スズカは眉を寄せた。
「でも、それは仕方がないことでしょう!? 誰が悪いわけでもないです!」
「それなのにさ、毎年日本の自殺者数は二万人を超えてるんだ。勿体ないと思わない?」
スズカは睨むようにカワイを見た。
「でも、私もサツキくんも自殺志願者じゃない」
「そうなんだよねぇ。これまではネットで自殺志願者を集めて臓器を拝借してたんだけど、この前、ちょっと不具合があったみたいでさ。集められなくなっちゃったんだよ」
今流行りの黒ウサギとやらにちょっかいかけられちゃってね、と、カワイは言う。
「……だから、道端で私たちみたいな人間を拉致してたっていうの?」
カワイは冷たい目をスズカに向けた。
「日本人は規律を守り、順番に従う? 馬鹿じゃないの? そんなことは命を前には通用しないよ。お金はいくらでも払うから、どうにか他の奴より自分を優先して助けてくれっていう患者は多い。だからこの商売が成立してるんだ」
「だからって、こんなこと間違ってる!」
「合ってるんだよ」
カワイはスズカの声に被せるように言う。
「……少なくとも、俺にはね。非合法だから失敗しても俺は訴えられないし、俺自身も守られる。ちまちま医者をやってるより全然金になるし、おまけに金持ちとのコネクションもできるし、最高の仕事だよ」
カワイはにっこりと目を細めて、身体ごとスズカに向き合う。
「君たちって、社会のゴミでしょ? 馬鹿で無知で、生きてるだけ酸素の無駄遣いなんだよ。君たちが今後、国のためになにかをするとも思えないし、生きてても意味はないでしょう。有能な金持ちたちの臓器になった方がよっぽどエコだよね」
「勝手過ぎる……」
スズカは、自身の足首にがっちりと嵌められた金属を見つめた。
「勝手なのはこの国だ。命には、序列があるんだ。絶対に死んではいけない命と、死んでもかまわない命。金は正義で、結果しか見られない人間はみんなゴミだ」
スズカはカワイを睨みつけた。
「もういいかな」
スズカは黙り込んだまま、口元を手で押さえた。
もはや、なにを言っても無駄だと思ったのだ。この人たちに正論は通じない。ネジが飛び過ぎているのだ。
「もう邪魔しないでね。これ、君の彼氏なんでしょ? 失敗したら無駄死にになっちゃうからさ。せめて臓器くらい、生かしてあげたいだろう?」
カワイは大きなマスクをしているというのに、下卑た笑みを浮かべているのがはっきり分かるほど目元を歪めて言った。
沈黙が落ちる。静止した空気を、とある音が震わせた。
「……もういいわ」
小さな声だった。
「あ? なんか、言ったか?」
男たちは顔を見合わせる。
「あんたたちが救いようのないクズだって、はっきり分かった」