トントントン。扉を叩くような音がして、スズカは目を覚ました。
開いた瞼の隙間から唐突に差し込んできた光に眩暈を感じ、思わず額を押さえる。
もう一度、今度はゆっくりと目を開く。光に慣れてきたことを確認しつつ周囲を見て、眉をひそめた。
スズカは、見知らぬ部屋にいた。
広さは、六畳くらいだろうか。小さな格子窓が上の方にひとつと、天井の隅に監視カメラが付いているだけの簡素な部屋だ。
スズカはその場所を、まるで刑務所の個室のようだと思った。いや、それより酷い。刑務所だって、簡単な洗面所と布団くらいはあるだろう。
何度か瞬きをしてから、スズカは立ち上がろうと下半身に力を入れた。すると、かしゃりとなにかが擦れる音がした。そういえば、さっきから左足首がずっしりと重い気がする。
スズカは足元を見て、息を呑んだ。
足首には、金属の輪が嵌められていた。金属の輪からは鎖が伸びていて、壁際のコンクリートの柱にがっちりと括りつけられている。
不意に、ガタンガタンという聞き慣れた音がスズカの耳朶を叩く。近くに線路でもあるのだろう。格子窓から外を覗きたいところだが、スズカの身長ではとても無理そうだった。
サツキがいれば……と思考を巡らせたところでハッとする。
「サツキくん!」
スズカの声が閉鎖された部屋に響いた。
サツキは今どこにいるのだろう。気を失う前まで一緒にいたはずだが。
立ち上がり、鎖ごと引きずって扉へ向かう。
ドアノブを回してみるが、鍵が閉まっているらしく扉はビクともしない。
続いて扉の向こうに人の気配がないか、スズカは耳を扉につけてじっとすましてみる。音はなかった。
どうやら、スズカは完全に閉じ込められてしまったらしかった。
壁にもたれ、そのまま座り込む。
スズカは黄ばんだ壁を眺めながら、記憶を辿った。
今日、スズカはサツキとデートに来ていた。スズカの運転で映画館まで来て、恋愛映画を鑑賞して、その後ランチに向かおうとした矢先、車で接触事故を起こしてしまったのだ。
相手はタカミという男性で、警察も救急車も呼ばなくていいと拒んだ。
代わりにタカミを会社まで送ることになり、サツキの運転ですぐ近くのビルへ向かったはずだった。
車に乗ってすぐ、タカミに話しかけられたことを思い出す。けれど、そのあとの記憶がない。
徐々に記憶が蘇ってくる。
そうだ。あのとき、なにか首に痛みを感じた。虫に刺されたような、なにかが入ってくるような鈍い違和感。
スズカは首元をさすった。鏡がないから分からないが、多分、あのときタカミになにかを打ち込まれて気を失ったのだ。
となると、スズカを監禁したのはあの男――タカミということになる。
サツキのことも気になるが……今はとにかく、この部屋から出ることを優先しなくてはならない。
スズカは監視カメラを睨んだ。
そのときだった。
ガチャリと扉の鍵が解除される音がして、スズカは扉に視線を向け、咄嗟に身構える。
開いた扉の隙間から顔を出したのは、上質な紺色のスーツを身にまとった例の男――タカミだった。
「タカミさん!」
スズカは弾かれたように立ち上がる。
「あぁ、起きました? スズカさん」
タカミは相変わらず、出会ったときのような穏やかな笑みを浮かべて、スズカを見下ろしている。
スズカは声を震わせて、タカミを見つめた。
「あの、ここはどこですか? 私はどうしてこんな……」
「いやぁ、助かったよ。君のおかげで首が繋がったからさ」
「は……?」
「俺、今借金で首が回んなくてさぁ。とうとう闇金に見つかって殺される、ってとき、いい仕事紹介してもらったの」
「仕事……?」
「そう、仕事」
タカミは、すうっと不気味に目を細めてスズカを見た。
「臓器移植って儲かるんだよねぇ。こんな楽な商売があるなら、もっと早く知りたかったぜ。今まで馬車馬みたいに働いてたのが馬鹿みたいだよ。ハハ」
タカミはまるで人が変わったように軽い口調で、わけのわからないことを言う。初対面のときの誠実そうな印象とはまるで違う、下卑た笑みをその顔に浮かべて。
「臓器移植……? あの、言ってる意味がよく分からないのですが」
タカミはひどく歪んだ笑顔を浮かべて、スズカの頭をよしよしと優しく撫でた。
「あぁ、分かんないかぁ。まぁそうだよね。普通は分かんないよねぇ」
タカミはゆらりゆらりと身体を揺らしてスズカに歩み寄った。スズカはタカミが近づくたび、同じ間隔で後退る。
しかし、がしゃんと足首の鎖がスズカをその場に留めた。足元へ視線を落としたスズカを見て、タカミは嬉しそうに笑った。
「いいよ。スズカちゃん可愛いから、特別に教えてあげる」
タカミはスズカの耳元に口を寄せる。
「君はこれからね、ミイラになるんだよ」
「ミイラ……?」
スズカは眉をひそめ、タカミを見上げる。
「そう。君の内臓は、これから全部取り出されるんだ。君は干からびて死ぬけど、代わりにその内臓は金に変わる。そしてそれは、俺のところに入るんだよ」
タカミはスズカの横をすり抜け、部屋の奥へ入って行く。
鎖を柱から外してその手に握ると、スズカを振り返った。
「さてと。行こうか」
「行くって、どこに……」
スズカが訊ねると、タカミはけらけらと笑った。
「えぇ……さすがにどんなバカでも、今の話聞いたらどこに行くかくらい分からない?」
スズカはその場にうずくまった。
「おおっと、大丈夫?」
うずくまったスズカを、タカミが抱き寄せる。直後、スズカが叫んだ。
「離して!」
スズカは、弾かれたようにタカミから離れる。しかし、鎖につまずき、派手に転んでしまった。
「痛っ……」
床に転がったスズカを表情もなく見下ろしながら、タカミは冷ややかに告げた。
「こらこら、そんなに怯えないでよ。怪我でもしたらどうするの。俺は君に危害を加えたりしないよ? だってさ」
タカミがぐいっと鎖を引き寄せる。スズカは再びタカミの腕の中に囚われた。
「だって君は、大事な大事なお金なんだからさ」
タカミの言葉は、スズカの脳裏にこびりついた。
スズカは目を見開き、タカミを見た。
「サツキくんはどこ?」
スズカが訊ねると、タカミはまるで明日の天気でも答えるように軽い口調で言った。
「あぁ、安心して。今から彼に会わせてあげるから。さあさあ、そういうことだから行こうね」
タカミがスズカの腰に手を回し、無理やり歩かせる。
「離してっ」
スズカが暴れる。しかし、タカミはスズカを脅すように低い声で言った。
「ダメだよ。急がないとサツキくん死んじゃうよ?」
「え……?」
「今からサツキくんの臓器摘出が始まるんだから。ちょうどサツキくんみたいな若い男の子の心臓が欲しいって言ってる依頼人がいてね。現法務大臣がよそで作った子どもなんだけど。彼、心臓疾患で余命わずからしいんだ。けど、ドナーなんて待っていられないからってことで、今回依頼してきたんだってさ。まったくタイミングいいよね」
タカミはスズカの足に嵌められた金属の鎖を手首に絡めると、「さ、おいで」と部屋を出ていく。
スズカは静かにその後をついていいった。
廊下に出ると、薄汚れたクリーム色の細長い空間が続いていた。数メートルごとに扉があり、スズカが閉じ込められていたような小部屋がいくつもあった。扉には数字が印字されていて、スズカが出てきた部屋には大きく『五』とあった。
「もしかしてこの部屋全部に、臓器売買用に拉致した人たちがいるの?」
スズカの声が、寒々しい廊下に響き渡る。
「そうだよ。ここにいるのは、みんな俺たちエコライフの人身御供になってくれる人たち」
「エコライフ?」
「そう。言ってなかったっけ? 俺が勤めてる会社だよ」
スズカは驚愕の表情を浮かべた。
「エコライフって、有名なネットコミュニケーションアプリの会社ですよね……?」