正人は先ほどの出来事を振り返っていた。
最初は痴情のもつれだと思っていたが、よく見ると雰囲気からして違った。ダンジョンショップから出てきたので、探索にまつわるトラブルだと予想できるが、詳細まではわからない。まだパーティーを組んでから日が浅く、触れてよい話題なのか悩んでいた。
探索中に再会する可能性は十分にある。もし知りたければ、そのときでも良いだろう。悩んでいても仕方がない。正人は、気持ちを切り替えることにした。
「今日も二層で訓練しよう」
車内の会話はそれっきり。運転に集中する。
東京ダンジョンの駐車場に車を停めると、二人とも言葉を発することなく淡々と準備を進める。ゲートをくぐり抜けて中に入るとようやく、会話が生まれることとなる。
「目標数はどうしますか?」
「二十匹でどう?」
全てゴブリンの魔石だと仮定すると二万円の売上になる。パーティーの分配は折半だと決まっているので、数時間で一万円が手に入る計算だ。さらに魔力によって肉体が強化されることを考えると――悪くはない。里香は、そこまで考えてから、「装備を調える資金を提供してもらっているのに打算的な考えが強すぎた」と、内心で反省した。
「大丈夫です。よろしくお願いします」
「じゃ、行こう」
正人が先頭を歩き、数歩後ろを里香が追う。痕跡を残さないようにと、同じ場所だけを選んで踏んでいく。
いつも通り、探索者で満員御礼の一層を抜けて二層に入ると、正人は地図を見ながら、未踏のエリアを確認しながら進んでいく。
目的地は三層へ続くルートから大きく離れており、たまに行方不明者が発生する場所だ。モンスターがほとんど出てこないので、一般的な探索者からは避けられている。
正人も普通であれば、不慮の事故を嫌って近寄らないことにしている。だが、パーティーの連携を確かめるには未知なる場所の探索は都合が良い。ゴブリンかグリーンウルフ程度であれば、多少の問題が発生しても切り抜けられる。パーティの連携を確かめるためにも、未知の場所でも実力が発揮できるか試すことにしたのだ。
周囲は木々が生い茂り、視界は悪い。時折、ゴブリンやグリーンウルフが襲ってくるが、難なく撃退していく。何度も繰り返された連携はスムーズで、正人がソロで戦っていたときより効率は良くなっていた。
「新しい装備はどう?」
「胸当てのおかげで動きやすくなりました。ブーツの中がちょっと蒸すような感じがしますが、安全のためと考えれば問題ありません」
「通気性悪いよね。一番汗をかく場所かも」
「正人さんは、偵察、戦闘、補助、何でもやっちゃうので大変ですよね」
「もう慣れちゃったけどね、って、ようやく見えてきたよ」
森の中にぽっかりと空いた、小さな空間があった。ダンジョンが創り出した疑似的な太陽光が、スポットライトのように照らしている。その中心には人の背を優に上回る岩があり、地下に進む穴があった。
「この岩にある穴の中に入ると、ちょっとした広場がある。ゴブリンが数匹いることが多いらしい。とりあえず入ってみよう」
歩き回っているだけでモンスターは狩れるので、ゴブリンが不在でも問題はない。ちょっとした変化、刺激を求めるために正人は、電気ランタンを取り出して穴の中に入っていく。土がむき出しになっており、ギリギリ一人が通れるぐらいの幅。半分崩れかけたような階段を下って、広場についた。
学校の教室程度で物は一切なく、隠れるような場所はない。壁や天井はゴツゴツとしており、天然の洞窟のように見える。
「誰もいない、か」
「みたいですね。暗い場所で戦わなくてよかったです」
「訓練にちょうどいいと思ったんだけどね」
「ちょっとストイックすぎません?」
里香はクスっと笑って、正人のズレた思考に突っ込む。
「そうかな?」
「そうですよ。いつも訓練のことばかり。家でもそうなんですか?」
「あー、そういえば烈火に、"探索者以外の話はできないのか?"って、言われたことがある……」
「やっぱり!」
比較的安全な場所についたせいか、会話が弾む。
車内にいた時のような気まずい空気は一切なかった。
「部屋を調べるから、好きなところで休んでて」
これ以上、指摘されたらかなわないとばかりに、里香から逃げ出すようにして小部屋の調査を始めた。とはいえ、何もない空間なので、壁や床を触ることぐらいしかやることがない。
コンコンと軽くノックをしながら一周。何も見つからない。
部屋の隅に座っている里香の方を向く。
「何もないみたいだね。私もそろそろ休もうかな」
一歩踏み出す。
――パキッ。
乾いた音が小さくなった。靴音の反響音が強く、二人とも気づかない。
もう一歩踏み出す。
――パキッ。
先ほどより少し大きい。だが気づかない。
三歩、四歩と進み、部屋の中心まできて、正人の耳に届いた。
――パキッ、パキッ、パキッ、パキッ。
致命的な破壊音とともに、床に穴が開く。
「エッ?」
正人を中心として半径二メートルの床が崩壊した。
慌てて手を差し伸ばす里香だが、あまりにも遠い。間に合わず、重力に従って落ちていく。
「正人さんーー!!」
里香の叫び声が悲しく響き渡った。
◆◆◆
「生きてる……?」
強化された肉体は、落下の衝撃に耐えた。
あちこちに打撲の痛みは残っているが、骨は折れていない。多少ぎこちないが、動かすことはできた。
見上げると落ちてきた穴がある。十メートル近くあり、里香が心配そうにして顔をのぞかせていた。
「こっちは、大じょ――」
安心させようと声を出したが途中で止まる。モンスターの気配に気づいたからだ。意識が戦闘モードに切り替わり、ナイフを抜いて構える。周囲を観察すると電気ランタンの明かりにうっすらと照らされた、人影があった。
カタカタカタ。
規則的に鳴り響く不快な音。人間のように動く骸骨が立っていた。四メートル近い背丈があり、骨のもとになった生物が人間ではないことが、誰の目から見ても明らかだ。片手には半身を覆い隠せるほどのラージシールドがあり、もう一方には、長身に似合うほどのポールアックスがある。左右には金づちと直角の刃を持つ斧頭がついてり、見ているだけで恐怖をかきたてる。
二つとも片手で扱えるような武具ではないが、目の前に立つスケルトンは重さを一切感じさせない。人間を超える力を秘めているのは間違いなかった。
「これは、ちょっとマズいかな……」
ナイフより圧倒的に長いリーチの武器。骨を切りつけても効果は薄い。魔力によって動くスケルトンは、左胸にある魔石が弱点だが、切りつけるには位置が高すぎる上に、肋骨も邪魔だった。刃を届かせるのは難しい。オーク以上に相性の悪い相手だった。
正人は恐怖で、ほほが引きつるのを感じながらも、里香を巻き込まなくてよかったと安堵する。生きるも死ぬも、すべて自己完結で済むからだ。余計な責任は背負わなくてよい。それが唯一の救いだった。
強制的に正面からの一対一の戦闘が始まることとなる。