「立花、どうしようもないのか?」
「はい、お世話になりました」
「恨むべくは政府の方針か……ハハ、六十を超えた俺が言っても何ら説得力はないがな」
職員室に乾いた笑いが響いた。
深いしわがいくつも刻まれた顔をゆがめながら、里香が提出していた退学願を片手で持ちながら眺めていた。
パーティー結成から二週間が経過し、その間に新居も見つかった。新しい環境に専念するために高校を中退することを決意したのだ。
両親が健在な一般家庭であれば、このような暴挙は認められず、大学進学をすすめるだろう。だが残念ながら、そういった普通の未来は訪れない。
十六歳の少女が家賃、生活費、学費を稼ぎながら高校に通う時間は作れない。仮に出来たとしても、人間らしい生活は望めない。中途半端な状態で学校に通うのであれば、すっぱりやめてしまい探索者に専念した方が、将来の役に立つ。そういった考えに至ったのだった。
「探索者として実力をつければ、海外で活躍することも不可能ではありませんから」
「そうだな。実力さえあれば引く手あまただろう」
ダンジョンは世界各地にある。探索者としての実績を積み重ねていけば、国の補助が一切期待できず、老人ばかり優遇する日本を抜け出すチャンスもつかめる。肉体が強化され続ければ、加齢による衰えも抑え、若い姿を維持できるのも魅力的だ。命をチップにしていることに目をつぶれば、悪い選択肢ではなかった。
「ローンも残っているだろ? ケガにだけは気を付けるんだぞ」
「はい、それでは失礼します」
低品質な両刃の片手剣、剣術教室の授業料、一人で払える金額ではなく、ローンを組んでコツコツと返済していた。家庭の事情を把握している教師しか知らない事実であり、クラスメイトはおろか正人にすら伝えていない。
もっと稼ぎを増やす。それも早急に。そのためなら、命の危険など関係ない。若さゆえの勢い。誰も止める者はいなかった。
里香が教室を出ていくと、教師の深いため息とともに言葉が漏れる。
「日本の将来は暗いな……共に沈むか」
◆◆◆
無事に高校を中退した里香は、探索者が利用する「ダンジョンショップ」に訪れていた。正人から祝い金の名目で十五万円ほど押し付けられているので、足りない装備を購入する予定だ。
革製の胸当てやガントレット、ブーツなどをカートに入れていく。「大人気! 宮沢愛モデル!」と書かれたポップの下には、一着で十万近くする服や高価な武具が展示されていた。
「性能はいいんだろうけど……」
いくらあっても足りない。初心者装備をそろえるので限界だった。それにこれ以上、正人に借りを作りたくないと思った里香は、製品を手に取ることなく立ち去る。
近場にいる店員に声をかけた。
「試着したいんですけど」
「こちらにどうぞ。つけ方はわかりますか?」
「大丈夫です」
更衣室に入るとカーテンを閉める。制服を脱ぎ捨て下着一枚の姿になった。
鏡に引き締められた肉体が映っている。うっすらと腹筋は割れており、無駄な脂肪は一切ない。胸はやや大きく、動きの邪魔をするときもあるので、胸当ての存在は重要になるだろう。
一通り肉体の状態をチェックした里香は、探索者用の丈夫な服を着こみ、その上に革製の胸当てやガントレットを身に着けていく。ヒザを覆い隠すほど長いブーツも履いて、フィット感を確認していた。
「サイズはピッタリ。コスパは良さそう」
胸はがっちりと固定されていて動きやすい。ブーツやガントレットも頑丈で、革製ではあるが、ゴブリン程度の攻撃なら耐えられる。安全面はぐっと高まった。着心地を犠牲にして厚く丈夫になった服は、着用しているだけで安心感が得られる。
サイズ、性能は問題ない。里香は購入すると決めた。
制服に着替えなおすと、数十メートルもあるロープや電子ランタンといった、探索必需品もカートに入れてからレジに向かう。
「合計で十四万五千円です」
予定通りの金額に満足した里香は、会計を済ませて立ち去ろうとする。
ダンジョンショップを出る直前で声をかけられた。
「立花さん?」
知っている声が聞こえ、里香は無視をすることに決める。
気づかないふりをして歩いていこうとすると、肩をつかまれた。
振り返ると、小泉誠二がいた。肩をつかんでいるのは取り巻きの女性を一人だ。眉にしわを作り怒っている。
「無視はひどいんじゃない?」
面倒だと言わんばかりに、ため息をついてから仕方なく返事をする。
「ごめんなさい。気づきませんでした」
「へー。こんな近くだったのに? 随分と耳が遠いみたい」
「考え事をしていたので」
バチバチと火花が見えるような、静かな応酬だ。里香はこれから関係を切るクラスメイトに出会ったこと、相手は誠二に「仲間にしてほしい」と言い寄っていた過去が気に入らない。
実際に戦うのであれば、レベル一になった里香が間違いなく勝つ。だが、探索者免許を取得している人間は、素人に暴力をふるってはいけないと決まっていた。ボクサーと同じような制限だ。口では何とも言えるが手を出すことはできない。それが分かっているのか、さっきから里香を罵る言葉が止まらない。
里香は、どうでも良い人間からの罵声など普段は気にしないが、それでも限度はある。もう少しで我慢の限界を迎えそうになったころに、誠二が間に入った。
「落ち着けって」
「でも!」
「俺は気にしてない」
その一言で押し黙った。落ち着いたところで里香を見る。
「装備を買ったってことは、これからダンジョンに?」
「そうだといったら?」
「一人だと危険だ」
「あいにく、一人じゃない。信頼できる仲間を見つけたの」
誠二はピクリと眉を動かした。
言い寄ってきた女が取られた。そんな身勝手な考えで機嫌が悪くなる。
「信頼……? 命を預けるほどの? 数週間で見つかるわけないじゃないか。きっと騙されているんだ。そいつに会わせてくれ、俺が化けの皮をはがしてやる」
「ずいぶんと失礼なことを言うタイプの男性だったんだ。がっかり」
「そう思うのはダンジョン探索の現実を知らないからだ。危なくなったら逃げ出すヤツなんてたくさんいる。モンスターに襲われて、見捨てられるんだぞ? クラスメイトに、そんな目にあってほしくないんだ」
里香は思わず余計なおせっかいだと言おうとしたが、取り巻きの女が暴れたら面倒だと思い、開きかけた口を閉じる。
「それに比べて俺なら絶対に見捨てない。だから待っててほしい。もう少しで先輩から独立できるからさ」
気持ちが揺れているから黙っていると勘違いした誠二の話は止まらない。
見聞きした事例を交えつつ奪え返そうと説得を試みる。確かに言っていることは間違いない。出会ったばかりの人とパーティーを組むのは危険はあるだろう。それが異性ならなおさらだ。
だが、そもそもの話、里香は他人の目だけを気にして生きている誠二を信じていないのだ。彼の仲間になることはありえない。
「もう何度も探索している仲だから大丈夫。心配してくれてありがとう。それじゃ、急いでいるから」
強引に会話を切って、ダンジョンショップを出る。
まだ話したりない誠二もついていくが、里香は相手にしない。無視を決め込み、店先に止まっているミニバンに乗り込む。正人が普段使っている車だ。
「お待たせしました」
「後ろの人は知り合い? こっちみてるけど……」
「大丈夫です。ダンジョンに行きましょう」
スライドのドアを開けたまま、正人と里香が短い会話をした。
誠二はギリと、無意識のうちに歯から音が出ていた。
「そいつが……」
ピー、ピー、ピーと、注意音が鳴りながら自動でドアが閉まっていく。
「さようなら」
クラスメイトと決別する言葉だった。