正人が東京ダンジョンの二層目で活動を始めてから三日が経過した。一日に平均して一万三千円の稼ぎとなり、月三十九万円の売上を期待できる。
だが、それは一日も休まずに活動を続ければという条件だ。ギリギリの戦闘を休まずに続けられる人間はいない。理想と現実に齟齬が出るのは当たり前だ。さらに税金や保険、武器や防具のメンテナンス費用まで支払わなければいけないので、手元に残る利益は多くない。
ただ生活をするだけなら十分ではあるが、将来を見据えるのであればもっと稼ぐ必要があった。
「早く俺もダンジョンで活動を始めてぇなぁー」
そんな事情を聞かされた烈火は、教室をながめながらつぶやいた。
誰かに頼りっぱなしが性に合わないのだ。一方的な施しはストレスが溜まり、今にも爆発しそうである。成人になったらすぐにでも活動できるようにと、最近は実践向けの剣術も学びはじめて準備を進めている。正人の存在がなければ、高校を中退してでも東京ダンジョンで探索をしていただろう。
心を落ち着けるために目を閉じて、もう何回も繰り返されたゴブリンとの戦いをイメージする。結果は圧勝。万全な状態であれば勝つ以外の想像ができなかった。
「おはよー!」
男性にしては澄んだ声が聞こえ、烈火は目を開けた。声の主を探す。教室の入り口に中性的な顔立ちをした男性がいた。学年カーストNo.1の小泉誠二だ。
さわやかな笑顔を振りまき教卓の近くまで歩くと、クラスメイトの女子に囲まれて立ち止まる。
一瞬にして室内が騒がしくなった。
少しでも長く一緒にいたい女子たちは、次々とあいさつをしていき、さらにそこから世間話が始まる。ゲームや漫画、インターネット上の動画など話題は多岐にわたるが、すべて男性向けだ。誠二に気に入られようとして必死になっているのは誰の目から見ても明らかである。
「ちっ」
烈火は思わず嫉妬心から舌打ちをした。
クラスの女子が積極的に話しかけるほど、誠二がモテてることにイライラしているのだ。理由はそれだけではない。最も彼の心を乱す原因となっているのは、探索者の免許を持っていること。既にダンジョン内で実践を経験していることだ。
もちろん、誠二だけの力でなしえた結果ではない。親の金で装備を整え、スキルカードすら手に入れている。正人のようにソロで探索もしていない。信頼できる先輩探索者を紹介してもらい、モンスターと闘っているのだ。
同じ年齢なのに、ここまでの差がつくことに烈火は若さ故に納得いかないままである。要は醜い嫉妬心で一方的に嫌っているのだ。
「昨日も東京ダンジョンに行ったんでしょ? どうだった?」
ついにダンジョンの話題に代わった。烈火の機嫌がますます悪くなる。
「相変わらず、先輩に教わりながらモンスターを倒しているんだ。自分でも驚くほどに順調だから、来月には二層に行けそうなんだよね。日々、強くなっているという実感があって楽しい毎日だ」
「えー! すごく早いね! それって普通の人より才能があるってことだよね?」
「同年代なら……? でも、上には上があるから。ほらこの前、大規模遠征に出た道明寺隼人たちは本当にすごいよ。あの人を目指すなら、もっと精進しないと」
「私その人知っている! 日本で一番強い探索者なんだよね!? 誠二君は日本一を目指してるんだ!!」
「まだ、その一歩を踏み出したばかりなんだけどね。それに一緒に戦ってくれる仲間も集めたい――」
「私、探索者の免許持っているんだ。パーティーの人に相談して、仲間に入れてもらえないかな」
ギラついた眼をしたショートカットの女性が、勢いよく食いついた。誠二がのけぞるほどで、周りにいた女性も引いている。
周囲は軽いノリでダンジョンの話をしているのに対して、彼女は本気で探索しようと、それも下層を目指しているように見える。烈火は違和感を感じたが言葉に出来ない。時間をかけてできたことは、苗字――立花を思い出したぐらだった。
「先輩のパーティーにお邪魔している状態だから、今は無理なんだ。ごめん。だから僕のレベルが上がって独り立ちできたときに、もう一度きてくれないかな?」
「……ごめんなさい。そうだよね」
立花は残念そうな顔をしながら返事をした。本気で気落ちしているように見え、烈火の違和感はますます膨れ上がるばかりだ。誠二が好きであれば愛嬌の一つでも振りまくのが普通なのだが、そういった態度が一切ないからだ。
男性としてではなく、探索者として誠二を求めていた。
烈火がその結論に達するとようやく、最初に感じた違和感に気づく。彼女の体は引き締まっており重心も安定しているのだ。剣術の師匠に動きが似ており、戦うために体を鍛えていることが分かった。
「もし仲間を増やすなら、あいつだな」
思わず想像してしまったのだ。正人のパーティーに立花が入り、さらに烈火も加わる。一緒にモンスターと闘う姿を。そして危険を乗り越えた二人は仲が深まり――。
「おーおー、今日も女子を侍らせる人気者は健在ですな」
そんな妄想を野太い声がかき消した。
烈火に声をかけたのは田中庄司。髪を金色に染めてオールバックにしている。クラスでは、ヤンキー枠に入る友人だ。
「ムカつくし、そろそろあいつに一発かまさねーか?」
「かましてどーすんだよ。クラス全体を敵に回すようなもんだぞ」
「ちっ、そりゃそーだ」
庄司は冗談で言っただけだ。両手を小さく上げて降参するポーズをとる。
「それに兄貴には迷惑かけられねー」
「まぁ、そうだな。お前は兄貴には頭上がらねーしな」
庄司は、正人が探索者として生活費を稼いでいることを知っている。さらにそのことを理由に、烈火が兄を慕っていることも理解していたので、すんなりと納得した。
「朝から嫌な気分になったし、これから遊びにいかねーか?」
「パス。学校はサボらねぇ」
烈火は学校をサボることはなく、授業も真面目に受けている。それが成績に反映されているかはさておき、見た目とは逆に真面目な生徒として先生からは評価されていた。
正人が稼いだ金と気持ちを無駄にすることはできない。弟二人に共通した想いだ。
「ま、お前ならそー言うわな。他のヤツ誘うわ」
何度も繰り返されてきたやり取りなので、庄司は誘いが断られることについて何も感じていない様子だ。友達だから誘った。それ以上の理由はなかった。
「おう、ナンパ成功したら、また誘ってくれ」
「そんときは思いっきり自慢してやる」
「爆発しろ」
「まだはえーよ」
庄司が軽く肩を殴るようにして叩き、烈火も同じように返す。なんとも荒っぽいやりとりだが、友人らで流行っている挨拶だった。一通りじゃれあってから庄司が教室から出ていく。まだホームルームすら始まっていない時間だが、友達を集めて街に出ていくつもりだった。
「あいつ、なんで学校に来たんだ?」
友達を誘うのであれば携帯電話を使えば良い。
首を傾げた烈火は軽く考えてみるが、答えは出てこなかった。
「ま、いっか。それよりダンジョンに行きてぇなぁ」
まだ続いている小泉の自慢話と周りを囲んでいる女子生徒の声を聴きながら、まだ行ったことのない東京ダンジョンに思いをはせていた。