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第3話 初探索の報告

 東京ダンジョンの近くには探索者用の駐車場がある。魔石の会計を済ませた正人は、ミニバンの後部座席にプロテクターといった防具とナイフを投げ込んだ。運転席に乗り込むとエンジンをかける前に缶コーヒーを開ける。


 心地よい音がした。ゴクリと一口飲んで、備え付けのドリンクホルダーに置くと、シートを倒して目を閉じる。


 思い浮かべるのはダンジョンでの出来事。


「探索や戦闘も問題はなく、余裕すらあった。同レベルの探索者の戦闘を見たが、劣っているとは思わない。ソロで戦えているだけ強いんじゃないか? 好調な滑り出しだろう」


 言葉とは反対に、正人の顔は渋いままだ。手に入った魔石は七つ。換金すると七千円。三十日休まず続ければ二十一万円になるが、そんな無理を続けていればすぐにケガをするのは明白であり、さらに言ってしまえば二人の高校生を養うには足りない。


 一年後には次男の春の大学受験が控えているのだ。両親が残してくれた僅かな遺産は、ローンの支払いに使っているから頼るわけにはいかない。弟たちのバイト代はそのままお小遣いになっているので、生活費と進学費はすべて正人の手にかかっていた。


「無理をして奥に進んで探索できないほどのケガを負ったら意味がない。だが、この場で長く足踏みをしている余裕はない、か。なんとも難易度の高い人生だ」


 春と烈火は大学まで行ってほしい。たとえ二人がそこまで行きたいと考えていなくても。自分と同じ高卒の辛い経験をしてほしくないと、正人は考えていた。


 そのために時間をかけて入念な準備をしたのだ。正人の半生は汗と血に汚れた道になるのは間違いない。その選択を悔いているわけではないので、彼の心は抱えている状況に反して澄んでいた。


「やることは変わらない。ダンジョンを探索して、戦って、殺して、奪い取るだけだ」


 シートを上げてエンジンをかける。コーヒーを再び口にしてから家に向かって走り出した。


◆◆◆


「ただいま」


 正人が家に帰ると弟の二人はリビングで勉強をしていた。塾に通う余裕もないため、参考書を買って自宅学習をしている。烈火の見た目にそぐわない分厚い参考書がテーブルの上に広がっていた。


「あとは答え合わせだけだろ?」


 春が赤ペンを持って烈火のノートを見ていることから、正人は採点中だと予想した。


「キリが良さそうだし飯でも食べるか」


 正人の両手にぶら下がっているスーパーのビニール袋を持ち上げた。


 片方には弁当、もう一方にはニンジンや肉といった食材が入っている。


「よしきた! 今日は何の弁当?」

「焼き肉だ。初探索を無事に終えた祝いとして奮発したから、さっさと食べよう。テーブルをキレイにしてくれ」


 ひとり千円の弁当だ。今日の収入から三千円引かれて残ったのは四千円。明日の朝、昼の食費のことも考えると、利益はほぼゼロ。ダンジョン探索初収入は食べ物に消えてしまう。なんとも世知辛い結果となった。


 テーブルにのっていた参考書を床に置くという暴挙で「片付けた」と言い張る烈火を叱りつつ、正人はレンジで温めた弁当を並べ、よく冷えたお茶をグラスに入れる。


「お腹減ったぜー!」

「いただきます」


 弟二人が先に食事を始め、少し遅れて正人も続く。

 しばらくして、期待に満ちた目をした春が口を開いた。


「兄さん、今日の感想を教えて」

「もったいぶらないでくれよ! 良い子に勉強してたんだからさ!」


 隣に座る烈火も同じ目をしている。好物を目の前にして待てと言われた犬のようだ。尻尾があれば激しく左右に振っていただろう。


「今日は一層でしか探索していない。戦ったのもゴブリンだったが、戦いは楽だった。五匹に囲まれても余裕で勝てる程度には弱い。稼ぎはやや少なかったが、それも二層、三層と進めば自然と解消されるだろう」

「へー、それだったら兄さんには物足りなかったかな?」

「準備しすぎたと反省したよ。ゴブリン相手なら鉄パイプで十分だ。ダンジョン鉄で作られた武器や防具はもっと後からそろえても良かった。すまんなもう少し早くダンジョンに入っていれば、楽な生活ができていたかもしれない」


 正人が使っている大ぶりのナイフ、プロテクターなどは全てダンジョンから産出した金属を使っている。通称ダンジョン鉄と呼ばれていて、大量の魔力が含まれている。一般的に普及していた鉄より強度があり、錆びにくいのが特徴だ。当然値段も高い。先行投資といって両親の遺産を切り崩して購入したのだ。


 そういった事情もあり、一層で稼ぐには過剰すぎる装備に若干後悔していたのだった。


「いやいや! 明日はもっと奥に行くだろ?」

「もちろんだ。一層はライバルが多すぎる。モンスターとなかなか闘うチャンスが少ないからな」


 ダンジョンを探索する探索者は既に一つの職業だと認知されている。得られる収入の持続性、安定性が証明されている。特に副業として人気でだ。一層は土日にだけダンジョンに入る副業探索者や免許を取得したばかりの学生などがアルバイト感覚で探索するので、人であふれていた。


 うぇーい!とハイタッチをしている学生の陰で、正人は一人で黙々と作業を続けていたが、モンスターより人間の方が多いのだ。そんな場所で効率よく稼げるはずはなかった。


「だったら兄貴の選択は間違いないっしょ。俺らも剣を習ってるし、大人になったら探索者になる予定なんだから、色々と教えてくれよ」


 春も同意するように無言でうなずく。


 二人にとって正人とは道を切り開き、導いてくれる存在だ。だからこそ失敗も多いが、未経験なのだから当たり前だと考えている。むしろそういった経験があるからこそ、自分たちは効率よく成長できると知っているのだ。


 人柱になってくれた人を責めるような、ねじ曲がってしまった性格をしている人間はこの場には居ない。


「そうだな。あまりにも稼げなかったから少し気落ちしていたみたいだ」

「そんなに稼げなかったの?」

「七千円だ。人が多すぎて歩いてばかり。お気楽みたいのがたくさんいたよ。一層は一日経験すれば十分だってアドバイスしてくれた人の気持ちがよくわかった。明日からは二層に行く。ゴブリンの種類が増えるだけで難易度はさほど変わらないからな」


 東京ダンジョンは地下に潜っていくタイプであり、階段を使う。その下も不思議なことに森林になっていて擬似的な太陽があるのも同じだ。


 ただし片手剣を持ったゴブリンファイターや弓を使うゴブリンアーチャーなど、敵のバリエーションが増える。さらにチームとして動く場合もあり、正人が言うほど楽な狩り場ではなかった。


「まぁ、兄貴なら大丈夫っしょ」

「兄さんを信じるよ。頑張ってね」


 モンスターと戦うことを軽く見ているわけではないが、二人には兄が負けるイメージがわかない。それは、日々の積み重ねによる信頼だった。

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