二十五年前――世界中にダンジョンが出現した。東京も例外ではなく、東京駅の地下に入り口が発生すると、多くの人の注目を集めた。
ダンジョンはモンスターが徘徊し、興味本位で訪れた人間が殺されてしまう事件も起こったが、今は制度が整い、探索者の免許さえあれば一般人でもダンジョンを探索できる。
モンスターを倒す武器の販売や探索者用の武術教室も大盛況で、一大産業へと成長していた。
「やっと、探索者の免許を手に入れたぞ!」
都内にあるマンションの一角から、男性の低い声が響いた。
先ほど叫び声をあげた神宮家の長男、正人は、先立ってしまった両親の代わりに、高級マンションのローンを支払っている苦学生だった。
お金の問題を解決するために、正人は大学進学を諦めて、誰でも稼げるといわれている探索者になったのだった。
「明日から東京ダンジョンの探索を始める。二人は大学進学するまで免許の取得は禁止だから学業に専念してね」
正人は目の前に座る、高校生の弟に言い放った。
「俺は反対だ! 東京ダンジョンでモンスターと戦っているクラスメイトもいるんだ! 俺だって行きたい!」
誰もが怖い、厳ついと思ってしまうような見た目をした男性が抗議した。
三男の烈火は高校一年になったばかりで、金色で短髪。一見するとヤンキーにも見える。根は真面目なのだが、顔や体格などからクラスメイトからは「触れてはいけない人」扱いをされて、クラスの女子に距離を置かれていた。予定していたバラ色の高校生活とは程遠い状況下におかれている。
高校生のみに限らず日本中で人気の探索者になれば、自然とモテるようになるのではないかと、こっそりと探索者の免許を手に入れようと、計画を立てていたのだった。
「ダメだ。お前は学業を優先するんだ。この前のテストだって、平均よりちょっと低かったじゃないか」
「そういって、正人の兄貴だけ女にモテようとしているんだ! やっぱズルい! 断固抗議する! 俺だって女の子とイチャイチャしたい!!」
「うるさい! 私は生活費をかせぐためにだな!」
「俺は知ってるぞ。正人兄貴がアイドル探索者――宮沢愛のファンだってことを!!」
「ッ!!」
探索者としての実力も高く美しいと評判で、広告塔として使われることの多い宮沢愛は、多くの人の心を射止めていた。その影響力は大きく、全国にファンクラブ会員がいる状態だ。正人も弟に隠れて入っていたのだが……。
「な、なんでそれを!!」
顔は赤く、うっすらと汗が浮かび上がっており、だれの目で見ても動揺しているのは明らかだ。恥ずかしさのあまり声まで震えていた。
「しかも今、東京にいるんだって? ワンチャン狙ってるんじゃないの?」
ニヤリと嫌らしく笑い、さらに煽る烈火。
ワンチャンとは「一晩を共にする」のではなく「一瞬でもいいから生の姿を見る」といった意味で使っている。童貞の二人にワンナイトラブの発想は出てこなかった。
「うっさい! 少しぐらい期待したっていいじゃないか! 夢見るのは勝手だろう! 烈火は、まだ話せる女性がいるだけましだ! 私なんて……お前たちとしか話してないんだぞ……」
正人は体術、短剣術を中心に様々な武術を学んでいたが、道場で誰かと仲良くなる機会がなかった。
どうすればもっと上手く戦えるか、そういったことばかり考えていて、他人と話す余裕がなかったのだ。自然と家と往復するだけの生活となり、女性はおろか男性の友達もほとんどいない。
「お、おう」
そのことを思い出した烈火は何も言えなくなり、先ほどのまでの勢いが削がれる。
「ねー、二人とも落ち着いた? 僕だって本当は早く探索に行きたいけど、兄さんとの約束は守らないとダメだよ」
目は二重で髪は肩まで届くほど長い、中性的な男性が二人の間に入った。
三兄弟の次男、春だ。烈火より一つ上の高校二年生で、やわらかい風貌から男女問わず人気がある。
「春の兄貴、そこは味方してくれるところじゃないのか?」
「烈火、残念ながら兄さんの方が正しい。免許を取るためには時間とお金が必要だ。それを工面するのは誰だと思う? 兄さんだ。養ってもらっているんだから、文句を言ってはいけないよ」
「それでもさー!」
「だったら、成績が上位に入るよう頑張ってみたら? そうすれば両立できそうだって、兄さんも考え直してくれるんじゃない? ね?」
「ねって、まぁ、学年の上位三十位以内に入れば、前向きに検討するよ」
「ほらね! あ、姫子ちゃんから電話だ。じゃ、兄さんたち後はよろしくー!」
春は手早く話をまとめると、スキップでもするようにリビングから立ち去り、部屋に入っていた。
残された二人は呆然と立ち尽くす。
「春は相変わらずモテてるのか?」
「人気者だよ。彼女がいないのが不思議なぐらいだ……なんで俺はモテないんだろうなぁ」
「偶然だな。同じことを考えていた。あいつは本当に俺の弟なのか?」
「残念ながら。俺や正人の兄貴と同じ血を引いてるよ……」
二人ともがくっと、肩を落とす。春の部屋のドアを恨めしそうな眼をしてにらんでいた。
だがそれも長くは続かない、醜い嫉妬で時間を浪費する暇はないのだ。
そんなことで時間を使うのであれば、生活費を稼ごうと正人は思考を切り替える。
「明日の探索の準備でもするか」
先ほどまでモテる、モテないといった話をしていたが、あれは付録のようなものだ。正人が考える本来の目的は、二人の大学進学費や生活費を稼ぐこと。
危険だが見返りも大きい探索者は、学歴のない彼にとって成り上がるための唯一の道に思えていた。
世界は、石油の代わりにモンスターを倒すと残す魔石をエネルギーとして利用している。ダンジョン内で手に入るスキルカードによって魔法のような能力も使えるようになった。さらにモンスターを倒せば倒すほど、肉体が強化されてレベルアップする世界に変貌している。
己の力だけでのし上がれる時代が訪れたのだ。
激動の時代を迎えた日本ではあるが、人の欲望は変わらない。
人より多くのお金を稼ぎ、名声を得て、異性にモテる。探索者は若い男性に人気の職業であり、神宮家の兄弟も例に漏れることはなかった。