空を飛ぶこと数分。私たちの前には、小高い丘が見えて来た。どうもここに横穴を掘って、巣を作っているらしい。
「なんとも小癪ねぇ」
「巣穴を掘ってるってことは、割と最初の方にボギーゴブリンが出たんでしょうね。あれは薄暗い場所を好みますから」
レイラちゃんが解説してくれる。錬金術師ってのは魔物にも詳しいのね。
私達は空中で浮いたまま、巣穴を観察する。ひっきりなしにゴブリンが出たり入ったりしているが、肝心の上位個体や……いるか分からないけれど黒幕っぽい物も見当たらない。
こうなってくると、外から様子を伺うだけじゃ何も分からない。私は一つ伸びをして、二人の方を見た。
「じゃあ私、行ってくるわ」
「ちょっ、何言ってるんですか!?」
「……ゴブリンの巣穴に女性が単身で乗り込むなんて自殺行為。ご自身でそう仰ってませんでした?」
カーリーとレイラちゃんが驚いたようにこちらを見る。レイラちゃんは驚きというより、呆れ顔かしら。
「だってカーリー、あんたは回復魔法とか使えるでしょ? レイラちゃんは……」
「まぁそういう魔法石もあります」
緑色の魔法石を取り出すレイラちゃん。太陽光を反射して輝くソレは、なんとも言えない怪しい雰囲気を醸し出している。
「回復手段がある魔法使いに、先行させるわけにいかないわ。もちろん、ひとまず使い魔に偵察させてからだけどね」
今日の私は戦う準備もバッチリだし、いくら2級冒険者が負けてるとはいえ……逃げるくらいは出来るだろう。
そう思いながら、私は懐から取り出したメガネをグラッスに変化させた。
「さ、いっといで」
物を見る使い魔、グラッス。背の羽をはばたかせ、巣穴に向かって飛んでいった。
「これで戻ってくれば、中の様子がどうなってるか分かるわ」
「イザベルさん、魔法使いでもないのに使い魔……うーん、どっちかっていうと式神みたいなやつを使えるんですね」
レイラちゃんが物珍しそうに私の手を握ってしげしげと眺める。
そういえば彼女に魔法の説明してなかったわね。
雇うと明言した以上、隠す必要も無い。グラッスが帰ってくるまでの間、少し話を――
「!?」
――私は驚いて巣穴の方を見る。その様子を見たカーリーとレイラちゃんが、緊迫感を漂わせながら生唾を飲んだ。
「どう……しましたか?」
カーリーの問いに、私は長く息を吐きながら答える。
「グラッスがやられたわ」
「「!?」」
二人が驚いて目を見開く。グラッスは戦闘向きの使い魔じゃない。しかし、ただのゴブリンに遅れを取るほど弱い使い魔でも無い。
私達は巣穴の方を見ながら、ゆっくりと下降していく。
「魔力が途絶えたわ。……マズいわね」
「ボクの使い魔を行かせましょうか?」
カーリーの提案に首をふる。
「私の使い魔は、肉体が破壊されても消滅しないの。グラッスなら、新しいメガネに魔法をかければ同じ使い魔が出てくるわ。本体の意識や経験は、私というクラウドに保存されてるイメージね。だから私のは、こういう使い捨てっぽく使っても良いの」
でも、カーリーの使い魔はちゃんと生きてる。偵察で死んだら元も子もないわ。
「困りましたね。ちょっと待ってください」
そう言ってレイラちゃんが魔法石を取り出す。彼女が呪文を唱えると、目の色が白くなった。
「透視?」
「はい。ピントを合わせるのが難しいので、使い勝手は悪いですけど。一応……うわー、アリの巣みたいにいますね。規模だけなら、もうレギオンになっててもおかしくないです」
心底気味悪そうに顔を顰めるレイラちゃん。彼女が目を閉じると、再び元の色に戻った。
「これもう巣ごと焼き払うことも出来ませんね。焼け死ななかったゴブリンが暴走するだけで町が二、三個落ちます」
「勘弁してよ……私の領地よ……?」
領地騎士団もいないのだ。私達が食い止めないと、この領地がとんでもないことになる。
ちょっとだけ緩んでいた警戒感を引き締め直し、私は二人に指示を出した。
「私がやっぱり行くわ。ただ、二人とも後ろに待機しておいて。敵の視界に入らないくらいの距離で。……ただ、何かあったらすぐに助けてちょうだい」
私は念話とか出来ないので、ハンドサインくらいは決めておくかしらね。
「進む時はサムズアップ、警戒の時はサムズダウン、来てほしい時は手招きするわ。OK?」
二人が頷く。私も頷き返し、ウインを連れて巣穴の方へあるき出す。
(うっ……わぁ)
とんでもない臭い。鼻が曲がりそうとはこのことね。
一歩ずつ近づく度に吐き気が増していく。と言うか臭すぎて涙が出てきた。
「う、ウイン……お願い」
風を吹かせ、少しでも臭いを向こうへやる。あんまり意味は無いけど、気休めくらいにはなる。
今すぐ帰ってシャワーを浴びたい気持ちを抑え、巣穴の前へたどり着く。
「キキッ」
「キェッキィーッ!」
私に気づいたゴブリンが5匹ほどこちらへ襲いかかってきた。
前から来る4匹はウインの風の刃でずたずたに切り裂き、背後に回ってきた最後の一匹は後ろ回し蹴りで首を飛ばした。
練度が高いわけでもなければ、個体として強いわけでもない。普通のゴブリンね。
私が少し眉根に皺を寄せていると――巣穴の中から、さらなるゴブリンが。
「だるいわね」
とはいえ、この程度なら物の数にも入らない。爪や牙を振り上げて襲い掛かってくるゴブリンたちの首を、蹴りで丁寧に飛ばしていく。
イザベルの体は、やはりすごいわね。数秒で全てのゴブリンを肉塊に変え、ブーツの爪先で地面を二度ほど叩く。
(取り合えず雑魚なら、素の身体能力だけでどうにかなるわね)
上半身だけ振り向き、後ろで見ている二人にサムズアップする。そして前を向いた時――なんとも言い難い、異様な雰囲気を感じ取った。
(なにか、いるわね)
巣穴の入り口付近に、いる。人間の雰囲気じゃないし、ゴブリンなのだろうけど……さっきまでの無知性って感じの連中とは一回りも二回りも違う。
ってことはおそらく上位個体。私は背後の二人にサムズダウンを見せてから、ウインをそばに寄せる。これで一先ず、逃げるだけは出来るだろう。
ゆっくりと、顔を顰めながら巣穴に近寄っていく。人が一人……腰を屈めるか、四つん這いになれば入れそうな大きさ。
ゴブリンは基本は二足歩行だけど、四足歩行で走ることも出来る。たぶん、それを前提に穴を掘られているのだろう。
(人は攻めづらいし、中に入りづらい。これなら、腕利きの冒険者でも苦戦するでしょうね)
中まで入れば広くなっているのかもしれないけれど、レイラちゃんがアリみたいって言ってたし……望み薄かしらね。
私は少し屈んで中を覗き込んでみると――中から三体のゴブリンが再度湧き出てきた。
驚きつつも膝を地面についたまま、上半身だけでそいつらを捌く。ウインとの連携で、全員縦に真っ二つにしたところで……中から杖を持ったゴブリンが現れた。
「ゴブリンメイジ!」
ご主人様が杖を掲げたのを見て、私ははたと自分が服を着てしまっていることに気づく。
なんでこんなはしたないことをしているのかしら。目の前にご主人様がいるというのに。
膝をつき、上半身の服を脱ぐ。今日は脱ぎやすい服装で助かった。
ああそうだ、まずご主人様にしてさしあげないといけないことが――
「イザベル様!?」
――目の前には、カーリーの顔が。あれ、さっきまでご主人様がいたはずなのに。
「ちょっとカーリー、ご主人様は?」
「ごしゅ……!?」
「あー、これヤバいですね。カーリーちゃん、解呪できます?」
解呪? 何を言っているんだろうか。
隣でウインがおろおろしている。心配しなくても、変なことは起きていないのに。
「取り合えず寝てくださいイザベル様!」
「何言ってるのよ。私は早くご主人様の子供を産まなきゃ――」
そう言いかけたところで、私の意識が薄れていく。
「あ、れ……?」
変ね、どんどんカーリーの顔がおぼろげになっていくわ。
「今から解決しますから、いったんイザベル様はボクらに任せてください!」
「でもイザベルさんがリーダーなんですから、早く起きてくださいね」
大慌てのカーリーと、優しい表情のレイラちゃん。
二人に見守られながら、私は意識を手放すのであった。