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第45話

 今日は天気が良かったので、ベロニカの好きな奥庭で、久しぶりにルーベンと長椅子に並んでお茶を飲んでいる。

 目の前の原っぱでは、ヤーナゥから贈られた手押し車に夢中なアデライが、歓声を上げて遊んでいた。

「ヤーナゥ女王とウリセス王子が?」

「無事に婚約したと、オラシオから連絡が来た」

 アデライの披露目の会で出会ったふたりが、どのような言葉を交わしたのかは知らないが、ウリセスが熱を上げているようだと、ベロニカはルーベンから聞いていた。

 それがこのたび、婚約まで整ったというのだ。

「それはおめでたいわね。ヤーナゥ女王のもとへ、ウリセス王子が婿入りするのよね?」

「そうなるだろう」

 そう言ったルーベンの顔が、明るくなかったので、ベロニカは不安になる。

「どうかしたの? なにか問題でも?」

「ん~、海国ハーランは一妻多夫制だったろう? そんなところにウリセスを放り込んで、大丈夫かなと思って……」

 いつになく歯切れの悪いルーベンに、ベロニカはウリセスの姿を思い出す。

 披露目の会で初めて会ったルーベンの異母弟ウリセスは、顔立ちがルーベンともオラシオとも似ておらず、どこか儚げな24歳の細身の青年だった。

「ウリセス王子が大人しい方だから、あちらの国でやっていけるのか、心配しているのね?」

「あ~、ベロニカにもそう見えるのか」

 ルーベンが、あちらを見たりこちらを見たり、忙しなく目をさ迷わせている。

 一体どうしたというのだろうか。

「実は、俺たち兄弟の中で、一番父に似ているのが、ウリセスなんだ。外見は、俺やオラシオの方が、父に似ているんだが、内面がな……」

 ルーベンの父と言えば、今やほぼ隠居状態のマドリガル王国の国王だ。

 正妃がいたにも関わらず、ルーベンの母に一目惚れして無理やり側妃にし、深く寵愛したという。

「一目惚れして、寵愛するということ?」

「狙った獲物は逃がさないし、それを誰かと分かちあうなんて、絶対にあり得ないということだ」

「まるで肉食獣のような例えね」

「間違っていない。ウリセスに惚れられた時点で、ヤーナゥ女王は捕まった草食獣と同じだ。ウリセスに大事に愛されるだろうが、ヤーナゥ女王を独り占めするためなら、ウリセスは手段を選ばない」

 ルーベンの言葉は、先ほどから物騒だ。

 知らず、ベロニカは腕をさすった。

 そこに鳥肌が立っていた。

「つまり、他の夫候補が危ないのね?」

「そうだ」

 ウリセスの執着は恐ろしいんだ、とルーベンが溜め息をつく。

「それなら大丈夫かもしれないわ。ヤーナゥ女王は、一妻多夫制に疑問を抱いていたもの。私たちみたいに、一対一の関係をうらやましく思うと言っていたわ」

「重畳だ。これで血の雨が降らずに済む」

 ようやく安心したように、ルーベンが肩から力を抜いた。

「オラシオは、ウリセスのそんな一面を知らないからな。気軽にヤーナゥ女王に話を持って行ったようだが、俺が聞いていたら絶対に止めていた。まずはヤーナゥ女王に逃げ道を用意してからでないと、ヤーナゥ女王の周辺が危ないからな。ウリセスも、それが分かっているから、俺ではなくオラシオに仲介を頼んだのだろう。のんびりしているように見えて、頭が回るんだ」

 どうやらウリセスは、静かな外見とは反比例して、情熱的な性格のようだ。

「ヤーナゥ女王のどこを気に入ったのかしらね。私はふたりが並んで話しているところを、会場で遠目に見ただけなのよ」

「それなら簡単だ。絶対に、ヤーナゥ女王の食いっぷりを気に入ったんだ。ウリセスは自分の食が細いから、ばくばく食べているのを見るのが、異常なほど好きなんだ」

「確かに、ヤーナゥ女王は健啖家ね。あの日も、大盛りにした肉料理を、懐かしいと言って食べていたわ」

「間違いなく、それを見て惚れたな。ウリセスが世話をする動物は、みんな太るんだ。頑強な軍馬も、俊足な猟犬も、ウリセスに任せたら、走るだけでふうふう言うようになってな……」

 ルーベンが宙を見つめるが、その瞳に光はない。

 思い出したくない記憶のようだ。

「ヤーナゥ女王も太るかしら?」

「ウリセスの勧めるままに食べていたら、そうなるかもしれん」

 気をつけるように忠告をしておこうかしら、とベロニカが思っていると、ルーベンの手が腰に伸びてくる。

 体を引き寄せられ、ルーベンの太ももの上に横座りする体勢になった。

 腰に回した腕をそのままに、ベロニカの長い黒髪を鼻でかきわけ、ルーベンは唇を耳たぶに寄せる。

「アデライも大きくなったし、そろそろ、次の子どもが欲しくないか?」

 ベロニカの耳元で、そんなことを囁くから、ひゃっと声を上げてしまう。

「ベロニカはひとりっ子だったから、兄弟姉妹がいるのに憧れると言っていただろう」

 いつだったか、妹と楽しそうに話すエンリケを見て、ベロニカが呟いた台詞を、ルーベンは覚えていたのだ。

 兄がいるセベリノのことも、実はずっと、うらやましいと思っていた。

「アデライもひとりっ子だと、ベロニカみたいに寂しがるかもしれない」

「私は別に、寂しがってはいないわ」

「今は俺がいるからな」

 くくっと笑うルーベンの顔が男らしくて、ベロニカは頬が赤く染まる。

 どうしてこんなに素敵なのだろう。

 ジッとベロニカがルーベンを見ていると、ルーベンの耳も赤くなった。

「その深緑色の瞳で見つめるのは、反則だ。俺がそれに弱いと、知っているだろう?」

 顔をふいと反らすが、目はしっかりとベロニカを見ている。

 それが嬉しくて、ベロニカはルーベンの首に腕を回し、額と額をくっつける。

 鼻がこすれ合う位置で、ルーベンの燃える赤い瞳を覗き込む。

「誘っているのか?」

 ルーベンが腰に回した腕に力を込めた。

「そうだと言ったら、どうする?」

 がばりと、ベロニカを抱いたまま、ルーベンが立ち上がる。

 そして、あっという間に駆けだした。

「っ、きゃ……!」

 落ちないように、ベロニカがルーベンにしがみつく。

「そうやって、しがみついていろ。俺もベロニカを、離さない」

 ルーベンが速度を上げる。

 後ろから、セベリノが追いかけてきているのが見えた。

 カイザはその場に残って、アデライの護衛をするつもりらしく、こちらへ手を振っていた。

 カツン、カツン、カツンッ!

 回廊にルーベンの靴の音が響く。

 いつもは静かに歩いているところを、全力疾走しているのがおかしくて、ベロニカは声を出して笑った。

「思い切りここを走ったのは、子どもの頃だけよ。お父さまが追いかけてくるのが楽しくて――」

 笑い過ぎて出た涙を、瞬きで散らす。

 もうお父さまはいない。

 でもルーベンとアデライがいる。

 王家の血筋は、引き継がれている。

 そっと、胸のロケットの存在を確かめる。

「このロケットを、いつアデライに渡そうかしら」

「アデライが、王位を継ぎたいと言ってきたら、だな」

「言ってこなかったら、どうするの?」

「これから生まれる子が、言うかもしれない」

「まあ!」

 ルーベンの仮説が前向きだったので、ベロニカはまたおかしくなった。

「そうやって、俺の腕の中で、笑っていてくれ。ベロニカが幸せなら、俺も幸せなんだ」

 夫婦の居室に辿り着くと、振り返ってセベリノに「扉の前で警護を続けてくれ」とお願いし、ルーベンが寝室へと向かう。

 すでにルーベンを認めているセベリノは、しっかり頷くと待機の恰好をする。

 本気で子作りをするつもりなんだと分かって、ベロニカは緊張してきた。

 アデライを出産してから、体の回復を図るため、ルーベンは共寝を控えてくれていた。

 それが解禁になるのだろう。

「あの、ルーベン……まだ明るいわ」

 カーテンが開けられた室内には、陽光が差し込んでいる。

 夜になるまで待つか、せめてカーテンを閉めてくれないか。

 そんな願いを込めてみたが、ルーベンのいい笑顔に雲散される。

「俺の女王は、女神のように美しいから、明るくても大丈夫だ」

 そう言って、ここまでずっと抱いていたベロニカを、ようやくルーベンは寝台に下ろすのだった。

 ◇◆◇

 新暦875年――ベロニカ懐妊の報が民に知らされ、またしても国中がお祭り騒ぎとなる。

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