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第43話

 お腹が前にせり出して、歩くのにも一苦労しているベロニカを、ルーベンが支えている。

 その後ろには、騎士のセベリノと側付きのカイザが続く。

 ベロニカの居室から見送りをするヤーナゥは、今朝も無事にベロニカと赤ちゃんを執務室へ送り出せたことに、安堵した。

 ベロニカはもう臨月だというのに、こっそり仕事を寝室へ持ち帰ったりするので、その都度ヤーナゥが取り上げている。

 ルーベンだと、こうはいかない。

 どうしても為政者の癖が抜けないルーベンは、ついベロニカと一緒になって、夜通し仕事をしてしまうのだ。

 そんなふたりに、「それでは赤ちゃんが休めない」と小言を言うのは、ヤーナゥの役目だった。

 ヤーナゥは、赤ちゃんを護る使命に燃えていた。

 背負ったときには重すぎた責任だったが、もうすぐ生まれるという歓びに変わった。

 ベロニカのお腹の中で、赤ちゃんはずっと元気だ。

 たまにお腹を触らせてもらったり、心音を聞かせてもらったりして、ヤーナゥはそれを確認している。

 そのたびに、自分が赤ちゃんを護っているのだ、という自尊心が沸き上がる。

 どうかこのまま、健康に生まれてきて欲しい。

 できれば、母体のベロニカも無事だといい。

 あれほど傲慢だったヤーナゥが、ベロニカとルーベン夫婦の姿に衝撃を受け、生まれようとする赤ちゃんの命の重さを知り、少しずつ変わっていった。

 ◇◆◇

「陛下は、どうやって躾けているのですか? ヤーナゥ女王がここまで大人しくなるとは、誰も予想していなかったでしょう?」

 ヤーナゥとあまり顔を合わせていないエンリケには、ヤーナゥの悪評判が聞こえてこないのが、不思議でたまらないようだ。

 ラミロもそれに頷いている。

 ベロニカは、微笑んで答える。

「ヤーナゥは、護られる立場から護る立場になって、視点が一転したんです。今は責任感の塊みたいになっていますよ」

 ある程度、ベロニカとルーベンの私生活を見ているセベリノとカイザは、ヤーナゥが必死に赤ちゃんの動向に気をつけているのを知っている。

 実はそれ以外が抜けているから、侍女としての評価はイマイチなのだが、赤ちゃんの護衛としては、努力し奮闘しているのを認めていた。

「ベロニカには常々、調教師としての才能があると思っていた」

 ルーベンが真剣な顔をして言うので、ラミロが噴き出している。

 きっとベロニカの後ろに立つ番犬セベリノを指していると、分かったのだろう。

「ヤーナゥに限らず、今いる場所から上がったり下がったりすれば、見えるものが変わるのよ。私はそれを知っているから」

 ベロニカが思いを馳せるのは、過去で繋がれていた牢だ。

 女王から咎人となり、そこでようやく見えたものがあった。

 ヤーナゥも女王から侍女となり、護られる側から護る側になって、初めて見えた世界があったはずだ。

「ヤーナゥは感受性が豊かで、素直な子だわ。きっと留学が終わる頃には、国や民について思いやれる女王になるでしょう」

 ベロニカが自信たっぷりに宣言するので、エンリケもラミロも感心していた。

 そうしていつものように執務が始まったのだが、数刻もしない内にベロニカに陣痛が始まった。

 その時点でベロニカが抱えていた仕事は、全てエンリケに処理を頼む。

「こちらのことは、心配なさらず。うまく回しておきます」

 これまで長らく、仕事を共にしてきたエンリケとラミロになら、ベロニカも安心して任せられる。

 そうしてルーベンがベロニカを抱え、出産のために用意された医務室へと向かう。

「ベロニカ、楽な姿勢をとって。もっと寄り掛かってもいい」

「少し、破水したかもしれないの」

 緊張が隠せないベロニカを、ルーベンは優しく宥める。

「大丈夫だ。何があっても、側にいる。ふたりで乗り越えると、決めただろう?」

 国のことも、赤ちゃんのことも。

 力強いルーベンの言葉に、ベロニカの表情が緩む。

「ルーベンがいてくれて、良かった。……愛しているわ」

 ベロニカの告白に、嬉しそうに笑うと、ルーベンは足を速める。

 回廊の先では、侍医が医務室の外に出て、ベロニカたちの到着を待っているのが見えた。

 ◇◆◇ 

 ルーベンが医務室へ着いたときには、すでに産婆も来ていた。

 生まれるまでには時間がかかるだろうが、見守る体制は万全を期しておきたい。

 そう思って、産婆には王城へ常駐してもらっていた。

 ベロニカは陣痛の間隔と、破水があったことを伝える。

「分娩の進みが、早まる可能性がありますね。そのつもりで準備を整えます」

 途端に、医務室が慌ただしくなる。

 ベロニカが横たわる寝台の横に、ルーベンも腰を据えた。

 これからの長丁場を、ずっとベロニカに付き添うつもりなのだ。

「やっと約束を果たせる」

 そう言って、ベロニカの手を握った。

「まだ早いわ」

 笑うベロニカの表情に、もう強張りは感じられない。

 ひとりではないという思いが、ベロニカの緊張を解してくれた。

 付き添ってくれるルーベンだけではない。

 侍医も産婆も、医務室の外で待機しているセベリノやカイザも、執務室で仕事をしているエンリケやラミロだって、ベロニカの無事な出産を願ってくれている。

 それが心強かった。

「私、頑張るわ。ルーベンと私の赤ちゃんに、やっと会えるんだもの。ここまで元気でいてくれた赤ちゃんを、無事に生んであげたい」

「皆が付いている。ベロニカも赤ちゃんも、必ず助けるよ」

 王立病院からは、赤ちゃんに何かあったときのための小児科医も駆け付ける予定だ。

 万が一ベロニカに急変が起きた場合は、赤ちゃんよりも母体を優先することになっているが、ベロニカは最後までそれに反対した。

 王配のルーベンがいるから、ベロニカがいなくても、国は成り立つ。

 そう主張したのだが、当人のルーベンに否定された。

「ベロニカがいなくなってしまったら、俺はどうなるか分からない。そんなあやふやなものに、国を任せてはいけない」

 きっぱりと言われてしまい、ベロニカはルーベンに国を任せられなくなった。

 こうなったら、ベロニカも赤ちゃんも、無事でいるしかない。

 根性論になってしまうが、ベロニカは気合いを入れる。

「赤ちゃんも、一緒に頑張ろうね。お母さまは、あなたが出てくるのを待っているわよ」

「お父さまだって、待っているぞ」

 ベロニカがお腹に話しかけると、隣からルーベンも便乗してくる。

 笑って話していられたのは、少しの間だけで、それからベロニカは襲いかかる陣痛との戦いに挑むことになった。

 ◇◆◇

「ちょっと、大丈夫なの? すごい声しか、聞こえないじゃない?」

 ベロニカがルーベンと一緒に出産に挑んでいる間、医務室の外で待っていたのは、セベリノとカイザだけではなかった。

 ベロニカの出産が始まったと聞きつけたヤーナゥが、私も側にいると、勝手に押しかけたのだ。

 さすがに中へは入れてもらえず、セベリノたちが並ぶ廊下にいるが、扉越しに聞こえるベロニカのうめき声に、先ほどから顔を青くしていた。

 あまりの恐ろしさに、いつもは怖がって近寄らないセベリノに、ヤーナゥはベロニカの安否の確認をしてしまう。

「声が聞こえているということは、まだ生きているということだ」

 無表情のセベリノの回答は役に立ちそうになかったので、ヤーナゥはその隣に立つカイザを見る。

「僕には分かりかねます。出産に立ち会う経験なんて、これまでになかったから」

 ヤーナゥほどではないにしろ、どうしていいか分からない顔をしているカイザが答える。

 ヤーナゥは悩んだ末、扉越しに応援することにした。

「赤ちゃん、頑張れ! ベロニカさまも、頑張れ!」

 突然、廊下に響き渡った声に、驚いた王城の使用人たちが振り返っていたが、ヤーナゥは一心不乱に声を上げ続け、そして喉が潰れるまで止めなかった。

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