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第38話

 ベロニカとルーベンの結婚式は、戴冠式が執り行われた聖堂が舞台となった。

 当時を思い起こさせる、錚々たる顔ぶれに見守られ、ふたりは将来を誓い合う。

 いつもは着崩している正装を、きっちりと身にまとったルーベンは、雄々しい百獣の王のようで、ベロニカの眼は知らず吸い寄せられてしまう。

 頬を染めたベロニカをエスコートするルーベンの瞳も、いつもより赤く熱がこもっていた。

 花嫁衣装である真っ白のドレスに、ベロニカの長い黒髪がくっきりと映える。

 レースで飾られた胸元では、『王位継承者のロケット』が銀色の光を放っていた。

「美しいな。女神のように美しいベロニカが、今日からは俺の花嫁だなんて。こんなに幸せでいいのかな」

 もう何度目になるか分からないルーベンの惚気に、ベロニカの顔は赤くなる一方だ。

 そんな初々しいベロニカにルーベンが口づけを贈り、列席する招待客からの祝福を受け、めでたく二人は夫婦となる。

 ロサ王国のますますの繁栄を願って、国中で花火が打ち上げられた。

 その花火の音を聞きながら、これは幸福の音だと、ベロニカは感じた。

 決して、牢で死ぬ間際に聞いた、怨嗟をもたらす音ではない。

 二度目の人生で、ベロニカは正しい道を選び、生き残ったのだ。

 そしてこれからは、ルーベンと共に人生を歩んでいく。

 新暦873年――ベロニカはルーベンと結婚し、初めての夜を迎えた。

 前日に少しだけ、エンリケの妹のデルフィナに、知識を伝授してもらっていたベロニカだったが、それを思い出す暇もなかった。

 たっぷりの愛を囁かれ、逞しい腕に包み込まれる悦びに、ベロニカは嬉しくて泣いた。

 そんなベロニカを、ルーベンは大切に抱きしめる。

 これからのふたりには、幸せしかない、そう思わせる夜になった。

 ◇◆◇

 5歳になるオラシオの息子ホセが、花嫁姿のベロニカに一目惚れをしてしまい、帰国したくないと駄々をこね、ルーベンに真剣に怒られた以外は、つつがなく終わった結婚式だった。

 それから数か月をかけてふたりで広大なロサ王国の全国土を回り、すべての領地への顔見せを終えて、王城へ帰ってきた頃に事件は起こった。

「まさかの展開ですよ。はっきり言って、正気を疑いますね」

 エンリケが執務机に座るベロニカに見せたのは、海国ハーランから送られてきた宣戦布告状だった。

 中には、ルーベンを差し出さなければ開戦やむなし、と書かれている。

「ヤーナゥ女王は、まだルーベンを欲しがっているのですか?」

 ベロニカの驚愕は、もっともだった。

 すでにあの決別の日から数か月が経っている。

 こちらはもう、忘れかけていたというのに。

「きっと、今まで戦の準備をしていたのでしょう。それが整ったので、こうして大きな態度をとっているのですよ」

 やれやれと首を振ったエンリケは、海国ハーランの情報を集めた書付けを手に取り、ぺらりぺらりと捲る。

 その書付けには、ラミロが能力を駆使して収集した、大型軍船の構造も書かれていた。

 ベロニカがヤーナゥと対峙していた間、ラミロはカイザの手を借りて、大型軍船の中に忍び込んだ。

 そして中を練り歩き、出来るだけ内部の造りを記憶してきたのだった。

 肌の色が違うラミロが怪しまれずに船内をうろつけたのは、地元の売り子を装ったからだ。

 国交がなくとも、平民の間では商いが行われているのを利用した作戦だった。

 すぐに出航する羽目になるとは知らない兵たちは、売り子を大量に船に招き入れ、新鮮な果物や菓子を物色していた。

 ラミロを売り子と疑っていない海国ハーランの兵は、「すごく大きな船ですね!」と目を輝かせて感動している少年に、ぺらぺらと船の自慢話を聞かせてくれる。

 それを一言一句、漏らさずにラミロは覚えて帰ってきた。

 エンリケが見ている頁には、金属板で装甲された船の上部と、そうではない下部のバランスが悪く、浅瀬では転覆しやすいといった、敵に知られてはいけないだろう情報まで載っている。

 また、ラミロが聞いた話の中で、ルーベンが興味を抱いたのが、『神の一撃』と呼ばれる大砲の存在だった。

 名前からして当たったら痛そうだと思ったルーベンは、すでにマドリガル王国のオラシオを巻き込んで、対策を取っている。

 せっかく古参貴族たちが港湾整備で築いてくれた防壁を、みすみす壊させるつもりはなかった。

 ラミロが大型軍船に潜入して探っている間、カイザは売り子道具一式を貸してくれた港の男性に、聞き込みをしていた。

 海国ハーランの商船が非公式に立ち寄る島が、ロサ王国の海域にあるらしく、基本的に海国ハーランとのやり取りはそこで行われているらしい。

 貨幣が違うために物々交換が多く、どうしてもと言われたら海国ハーランの貨幣も受け取るが、ロサ王国では使い道がないので、すぐに海国ハーランの品を購入して使ってしまうそうだ。

 男性からは、海国ハーランの特殊な文化についても、貴重な知識が得られた。

 海国ハーランでは、女王が全ての権限を握っているが、実際は大臣たちが政務をしているという。

 女王の役目は、王族の血筋を絶やさないよう、必ず一人以上の女児を産むこと。

 そのため、女王には複数の夫があてがわれる一妻多夫制が採用されていて、しかも夫は完全に女王の好みで選ばれるから、平民でも一夜にして、巨万の富と権力を得ることができるそうだ。

 先代の女王は十人もの夫を召し抱えていたが、なかなか女児に恵まれず、ようやく生まれたのがヤーナゥで、『唯一の女王』として恭しく扱われているらしい。

「だからあんなに馬鹿なのか」

 ルーベンの寸評は容赦がなかった。

「宣戦布告への返事は、どうしようかしら?」

「真剣に悩まなくていい、ベロニカ。そういうのは無視するに限る。いずれしびれを切らして、向こうからやって来る。それをこちらは迎撃しよう」

「その間、私たちが準備することはある?」

「すでに南の海に面した領地を持つ古参貴族には、ある程度の防衛方法を伝授している。……練習がわりに、アレの試し打ちでもしようか?」

 ルーベンがアレと呼ぶのは、マドリガル王国で開発が進んでいた大砲を改良した、要塞砲のことだ。

 大型軍船対策として、ルーベンがマドリガル王国に依頼して、製作してもらっていたのだ。

 完成後、マドリガル王国から運ばれた部品を、運河に乗せて、迅速に南の港湾まで届けた。

 現地で改めて組み立てて、実戦での使い方や整備方法を、それぞれの領地で指導してもらっている。

 その砲口は海に向けられ、あからさまに海国ハーランを標的として警戒していた。

 実はこの要塞砲は、購入ではなく借用の扱いになっている。

 使用した際の記録の詳細を渡す条件付きで、ルーベンとオラシオの間で貸借契約が結ばれた。

 マドリガル王国は、貴重な実戦での使用記録をもとに、さらに改良を加える予定なのだという。

 海国ハーランの大型軍船を打ち倒し、その性能に満足した場合は、ロサ王国が買い取ることになっているが、その際は海国ハーランからの賠償金を支払いに充てるつもりでいる。ロサ王国の懐が痛まないよう、ルーベンが知恵を絞った結果だった。

「食糧の備蓄もあるし、港湾の整備もしたし、街道も水路も万全だ。こちらはいつでも戦える。ただし、民への影響が少ないよう、なるべく短期決戦でやる。――南の海での陣頭指揮は、俺が執ろう」

 積極的なルーベンの様子に、エンリケが小首を傾げる。

「殿下は、水上戦が得意でしたか?」

「戦は何でも嫌いだ。だからこそ、終わらせるための手段を学んだ」

 ルーベンが立ち上がってベロニカの側に寄り、後ろからその体を抱き締める。

「ベロニカと離れ離れになるのはつらい。だが、セベリノが必ず、ベロニカを護ってくれると信じている。だから俺は前線に出る。ベロニカの愛する国のために」

「ルーベン……」

 ベロニカが、そっとルーベンの太い腕に手を乗せる。

 ベロニカだって、ルーベンと離れるのはつらい。

 しかも、戦地に向かうなんて、心配しないはずがない。

 ルーベンの腕がベロニカの体をなぞり、その手のひらがベロニカの腹に行きつく。

「ベロニカは、腹の子を護ってくれ。そのほかは全て、俺たちに任せろ」

 まだ目立つほどの大きさはないが、ベロニカは懐妊していた。

 将来ロサ王国を背負って立つ我が子のために、ベロニカもルーベンも、挑まれれば戦う心積もりは出来ている。

 力強い言葉を残して、ルーベンは開戦の地となる、南の海へ出発する。

 ラミロとカイザも、連れ立った。

 セベリノがベロニカの護衛として残り、戦の後方支援を担うのはエンリケだ。

 ベロニカは胸元に下げたロケットを、手のひらに握り込む。

(このロケットを後継者へ渡すまで、死ぬわけにはいかない――)

 沖合に、海国ハーランの黒い大型軍船が現れたのは、それからわずか数日後のことだった。

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