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第37話

「ようやく降りてきたようだぞ」

 ルーベンの言葉にベロニカが顔を上げると、大型軍船から架けられたタラップを、危なげなく渡っているヤーナゥが見えた。

 珍しい褐色の肌に、波を描く長い茶色の髪、近づくにつれその瞳が紫色であると分かる。

 つんと澄ました顔には、16歳の少女とは思えない、傲岸不遜さがあった。

 ロサ王国では見かけない、肌の露出の多い衣装に、ベロニカは異国文化を感じずにはいられなかった。

 その後ろからは、よく似た茶色の髪をした侍女のコンスェレが、ヤーナゥにベールをかぶせようと、追いかけてくる。

 それを煩わしそうに払いのけて、ヤーナゥは港に降り立った。

 ぐるりと見回し、港に集まった民の注目を集めているのに対し満足げに頷くと、ヤーナゥはタラップの近くに来ていたベロニカを手招いた。

「この国の女王ね。挨拶を許すわ、私に頭を垂れなさい」

 少し単語の抑揚が違うようだが、どうやら海国ハーランの使用言語は、ロサ王国とあまり変わらない。

 そうやって聞き取られた横柄な言い様に、周囲はざわつく。

「女王陛下に対して、なんて居丈高な」

「あれが海国ハーランの女王か」

「ベロニカさまより、かなり年下なのに」

「ただの礼儀知らずだ」

 民の囁く声が耳に入ったのだろう、ヤーナゥの顔が憤怒に歪む。

 そのまま怒鳴り散らそうとしたヤーナゥの前へ、青い顔をした大臣のビクトルが駆け込んできた。

「ヤーナゥさま、いけません! ロサ王国は大陸でも一、二を争う大国、これまでの諸国のように、簡単に下に見ていい相手ではありません!」

 茶色の短髪を地面につけんばかりに、ヤーナゥの前に跪いて、説得を試みるビクトルに、ますますヤーナゥの機嫌が急降下する。

 しかしビクトルは、先にこの港へ降り立ち、構造のしっかりした防壁や、機動力のありそうな中型船、民の生活の質の高さを見て驚いたのだ。

 もしかすると、海国ハーランよりも、豊かで強国なのかもしれない。

 すでにヤーナゥの高飛車な要求を伝えてしまった後にそのことに気づいて、胃液がせり上がっていたビクトルは、ヤーナゥの登場に出遅れたことを悔いた。

「うるさいわ、ビクトル! 誰に指図をしているの。私は『唯一の女王』よ!」

「分かっています。分かっていますが、こちらもロサ王国の女王陛下です。どうか礼儀正しく……」

 ドカッ!

 それ以上の御託を聞きたくなかったのだろう。

 ヤーナゥがビクトルの肩を蹴り飛ばした。

 衝撃で後ろに引っ繰り返ったビクトルを支えたのは、ルーベンだった。

 ビクトルを助けたのではなく、ベロニカにぶつかりそうだったビクトルを受け止めただけだったのだが、ヤーナゥの気を引いてしまった。

「ふん、私に歯向かうのね」

 ヤーナゥが、ルーベンの真正面に腕組みをして立つ。

 そして上から下まで、ルーベンの容姿を観察する。

「我が国の男どもは、私の前ではみな、ひれ伏すのよ。お前もそうして、私に媚びなさい」

 片側の口角を持ち上げて笑う様は、ベロニカとは種類が違ったが、女王然としていた。

 それに対して、ルーベンは溜め息を返した。

 あからさまに呆れていたのだが、ヤーナゥには通じなかったようだ。

「面白い男ね。少しは芯があるようだわ。我が国にはない、金髪と赤い瞳も物珍しい。――いいわ、我が夫の第一号にしてあげる。ビクトル、この男を連れて帰るわよ」

 いい土産が出来たとばかりに、機嫌を取り戻したヤーナゥに、ビクトルはさらに顔を青くする。

 倒れたビクトルを支えているマドリガル王国の第一王子ルーベンと、このロサ王国の女王ベロニカの結婚式に、自分たちは招待されている立場なのだ。

 冷や汗をだらだらと流し、なんと申し開きをしようかと、考え込んでいるビクトルを見て、ルーベンは色々察した。

「子ども相手に、目角を立てるのはどうかと思ったが、しっかり叱ってやるのは大人の役目だ。そうだな、ベロニカ?」

 ルーベンが、ベロニカを見上げて許可を取る。

 おそらくこれから、ヤーナゥに雷を落とすつもりなのだろう。

 だが、それには及ばない。

 ビクトルを支えているルーベンを追い越し、ベロニカはヤーナゥの眼前に進み出た。

 そして頭を垂れることなく、むしろヤーナゥよりも背が高い分、いくらか見下ろす格好で、ベロニカは厳かに叱責する。

「ヤーナゥ女王、こちらがお招きしておいて何ですが、直ちに国へお帰りください。私たちの結婚を祝うため、今、ロサ王国にはたくさんの大切なお客様がいらしています。私たちだけでなく、そのお客様に対して、そのような不躾な態度を取られては困るのです。どうぞ、お引き取りを」

 ベロニカの毅然とした口調に、ヤーナゥは面食らう。

 16歳の誕生日に成人し、元女王だった母から譲位され、海国ハーランにヤーナゥよりも位の高い者は存在しなくなった。

 それより以前だって、男児ばかりで長らく女児が生まれなかったハーラン王家に、ようやく生まれたヤーナゥは、『唯一の女王』として大切に育てられた。

 つまり、こんな無礼な口のきき方をされた経験など、生まれてから一切なかったのだ。

 カッと頭に血が昇る。

「無礼者! 『唯一の女王』に対して、命令するなんて! 兵たちよ、この者を切り刻むのよ! 魚の餌にしてやるわ!」

 そう叫んだヤーナゥの声に、大型軍船からワラワラと兵が降りてきた。

 セベリノがちらりとそちらを見やるが、取るに足らない相手だと判断したのか、剣に利き手を乗せるが無表情は崩れない。

 しかし港は騒然となった。

 恐ろしさに悲鳴を上げる民、逃げようとして転倒する民、ベロニカを護ろうとする民。

 だが、微動だにせず、ベロニカが一喝する。

「静まりなさい!」

 普段は大きな声など出さないベロニカの、威厳ある姿に、緊迫した場面だと言うのに、ルーベンがうっとりした目でベロニカを見ていた。

 民もそれは同様で、みな一様にベロニカに対して跪くと、自然と頭を垂れた。

 それは敬うに相応しい人物への、条件反射に近いものだった。

 果たして、海国ハーランの兵までも、足を止めてしまっている。

 その隙に、立て直しを図ったのはビクトルだった。

 支えてもらっていたルーベンに頭を下げて礼を言い、立ち上がるとヤーナゥを無理やり船へ引きずっていく。

 それにコンスェレも手を貸した。

「すぐに船の出航準備をしなさい!」

 放心している兵へ、ビクトルが指示を飛ばす。

 何かを叫ぼうとするヤーナゥの口を、コンスェレがベールで覆って塞いでしまう。

 臣下ふたりの連携により、ヤーナゥの姿がタラップの向こうへ消えた。

 最後にビクトルが振り返り、ベロニカへ深々と頭を下げると、大型軍船はゆっくりと動き出し、港から離れていったのだった。

 こうして、海国ハーランとの最初の接触は、女王同士が火花を散らして終わった。

 ベロニカとルーベンの結婚式は、海国ハーランが欠席のまま、そのほかは予定通りに行われることになるのだった。

 ◇◆◇

「兄上、かの国と揉めたと聞きましたが、大丈夫ですか?」

 最後に到着したマドリガル王国は、ルーベンの異母弟である王太子オラシオと、その妃デルフィナ、息子ホセが結婚式に参列する。

 デルフィナとホセは、エンリケに会いに行っていて、ここにはいない。

 それを見越して、少しきな臭い話をオラシオが持ち出した。

「情報が早いな。もう耳に届いているのか」

「兄上のカイザほどではないですが、うちにも頼りになる側付きがいるんです」

 尊敬するルーベンに褒められて、オラシオは誇らしげな顔をする。

「揉めたと言っても、ベロニカが追い返してしまったからな。俺の出番はなかったんだ」

 あのときのベロニカの凛々しさを思い出すたびに、ルーベンは胸が熱くなる。

 これがときめきか、とカイザに聞いて、笑われたのはついこの前だ。

「このまま、変に絡んでこなければいいですね。大型軍船の相手をするのは、ちょっと面倒そうですから」

「それについて話がある。マドリガル王国で開発していたアレを――」

 何にでも先んじて対策をとるルーベンの習性が、ここでも顔を出す。

 それに対して嬉々として応じるオラシオは、ただのお兄ちゃん大好きっ子だった。

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