「うらやましい。あの王子ばかり、女王陛下とお茶を飲んで。……絶対に毒の名前を掴んで、今度こそ女王陛下に褒めてもらおう」
それは、ベロニカの僕になりたいティトだった。
ベロニカがまだいる奥庭を見やり、未練のある顔をしてしばらく佇んでいたが、やがて「頑張るぞ」と独り言ちて、植え込みから立ち去る。
遠目でそれを把握していたカイザが、殺気はなかったけど念のため、とルーベンに告げ口をする。
「今後も、殺気はなくとも、警戒するに越したことはない。どこにサルセド公爵の間諜がいるか、分からないからな」
「あの顔面国宝の坊ちゃんは、すっかり女王さまの虜になってますけどねえ。どうやって飼い慣らしたんでしょうか?」
「分からん。だがベロニカには、騎士という前例がある。……調教師の才があるのかもしれない」
本人の与り知らぬところで、ベロニカはルーベンに、いたく感心されていた。
◇◆◇
「ねえ、お父さま、あの商会からいつも何を買っているの?」
「クララの欲しがるような品ではない。お前はいつもの店から、ドレスなり宝石なり、好きなだけ買えばよい」
「だって、ティティが気にしていたのよ。できれば自分も取り引きがしたいんですって」
「ティトが? あいつは、商会で扱っている品が何か、知っているのか?」
「さあ? だけど私へ会いに来たとき、商会の使いの者と何度かすれ違ったでしょう? それで興味を持ったみたいよ」
「ティトの実家は、古参貴族のバレロス公爵家だ。新参貴族がやっている商会との繋がりなど、欲するはずがない」
「一度、取り引き中に同席させてあげたら? そうしたらティティも、納得するんじゃないかしら?」
「……そうだな、機会があれば考えよう」
サルセド公爵はクララにそう答えたが、ティトを怪しみ始めていた。
なぜティトが毒を欲しがるのか、心当たりがまるでないからだ。
(あの商会が扱っている品は、毒の他にも禁制品ばかりだ。頭の固い古参貴族が、手を出す物ではない。――まさか、あいつ、私のしていることを探っているのか? クララとの結婚を餌にしたから、大丈夫だろうと高をくくっていたが、少し身辺調査をさせるか)
クララは期せずして、ティトの身を危険にさらしてしまう。
まさか自分の恋人が、ベロニカの僕になりたがっているなど、考えもしていないクララだ。 ティトのために、いい進言をしたと思い、にこにこと笑みを浮かべたのだった。
◇◆◇
ベロニカは今日、ルーベンと運河の視察に来ている。
ちょうど運河では、新参貴族と古参貴族が力を合わせて、整備に取り掛かる号令を出していた。
女王と将来の王配の登場に、指揮を揮う貴族たちはやる気を漲らせる。
大事な仕事を任されているという、自負心があるのだ。
ロサ王国を南北に走る大きな運河は、数百年前に完成して、それから民の生活は豊かになった。
南で収穫した穀物を北へ運び、北で産出する鉱物を南に運ぶ。
それによって、北の飢餓問題は解決し、南の貧困問題も解決した。
お互いが足りないものを補給し合う関係は、国内の団結力を強くしていった。
運河の発展のおかげで、辺境の古参貴族たちの領地が増強され、国境の護りを固めてくれたため、ロサ王国はどこから攻められても負けない、大国に育ったのだ。
国のために、運河から得た利益を惜しみなく使ってくれた代々の古参貴族たちの忠誠心に、ベロニカは頭が下がる思いがする。
今回の整備事業を通して、運河の保持にかかる費用がどれほどのものか、新参貴族たちにも知れ渡っただろう。
莫大な利益を得ているのだから、もっと税を納めるべきだと古参貴族を糾弾していた新参貴族も、かかる経費の多さに口を噤んだ。
お互いの内情を知れば、もっと新参貴族と古参貴族の間の溝は、埋まるだろう。
街道整備のときのように、運河整備でも協力し合う姿が見られる。
新参貴族と古参貴族が手を取り合えば、国はもっと強くなれるはずだと、ベロニカは信じている。
運河がつくられた経緯をベロニカから聞くと、ルーベンはひょいひょいと足場に飛び乗って高台へ上がり、南と北を繋ぐ運河を眺望する。
そして予想以上の壮大さに、思わず感嘆するのだった。
「大きな運河だな。水深と河幅があるから、大型船のすれ違いにも、問題がないのか。これだけの規模を保持し続けているのは、本当に素晴らしい」
身軽に上ってきたルーベンに、働いていた作業員たちは驚くが、丁寧に仕事内容を教えてくれる。
今ここでは河底の泥をさらう、しゅんせつ工事をしているそうだ。
「水際の工事には危険が伴う。くれぐれも気をつけてくれ」
そう労うルーベンに、作業員たちは感銘を受けていた。
行きと同様、軽快に下りてきたルーベンは、ベロニカに一言「見事だった」と感想を述べる。
ロサ王国自慢の運河を褒められたら、ベロニカだって嬉しい。
思わず微笑むベロニカを、ルーベンが優しくエスコートして、その後も視察を続けた。
こうして多くの目撃談を残し、仲の良い女王と未来の王配の噂は、やがて国内中に広がっていった。
◇◆◇
「お願いだ、クララ。どうしても、サルセド公爵が購入している品が欲しい」
その噂に焦っているのがティトだった。
このままでは、自分は役立たずで終わってしまう。
どうしてもベロニカを取り囲む輪に入りたい。
そのためには手柄が必要だった。
「お父さまは機会があれば、ティティの同席も許すと言っていたわ。それを待てないの?」
「これまで、クララの我が儘をたくさん聞いてきた。だけど今回だけは、私の我が儘を聞いて欲しいんだ」
ティトの必死な懇願に、クララが折れる。
「しょうがないわねえ。ほかでもない、ティティのお願いだし、やってみるわ。どうせ、お父さまが貴重品を仕舞っている金庫の開け方は、私も知っているのだから。そこから持ち出してあげる」
「ありがとう、クララ。恩に着るよ」
忍び込んだ先にある金庫の中には、ずらりと同じ形の瓶が並んでいた。
きっとティトが欲しがっているのはこれだろうと、クララはその中のひとつを取り出す。
懐に収まる程度の小さな瓶には、サラサラとした黄色い粉が入っていた。
砂時計のような奇妙な形をした瓶に興味は惹かれたが、クララは中を確かめもせず、待っていたティトへそれを渡す。
ティトはこれでようやく、ベロニカに褒めてもらえると、喜び勇んで王城へ向けて馬車を走らせた。
その後を、サルセド公爵が雇った間諜に、つけられているとも知らずに。
◇◆◇
執務室を訪ね、対応に出たラミロに、ティトは言い張る。
「絶対に、女王陛下ご本人にしか、渡さない」
「ですが現在、ベロニカさまは視察に出ていて、留守なんです」
「だったら、帰りを待つ」
「今夜も予定はいっぱいなんですよ。明日の朝ではどうですか?」
「分かった。では、いつもの場所で……」
間諜はしっかりとその言葉を聞き、サルセド公爵へ報告に戻った。
そして、ティトの裏切りは、サルセド公爵の知るところとなったのだった。「くそっ! ティトのやつめ! このままでは、私が毒を所有しているのが、ベロニカに明らかになる! 泳がせていたのが、逆効果になった!」
クララが毒を金庫から持ち出した時点で、間諜に止めさせれば良かったと後悔するが、もう遅い。
そして、まだティトがサルセド公爵家の邸内にいたならば、そこで足止めして口封じも出来ただろう。
しかし、ティトはもう王城から、王都にあるバレロス公爵家の邸へ帰ってしまったはず。
まさか古参貴族の中でも有力なバレロス公爵家へ、暗殺者を放つわけにもいかない。
「どうすればいい? 身の破滅を、じっと待つわけにはいかない。……そうだ! もういっそのこと、あの計画を実行するしかない!」
サルセド公爵は、報告に戻ってきた間諜に、そのまま次の指示を出す。
それは思い切った計画だったが、追い詰められたサルセド公爵には、それしか方法が残されていなかったのだ。
一発逆転を狙うサルセド公爵の考案した計画は、夜通しかけて準備され、朝陽が昇るのを待つばかりとなった。