「改まって、何だ?」
セベリノとカイザには、声が聞こえない場所まで下がってもらい、ルーベンとベロニカは相対する。
マドリガル王国から帰ってきたばかりのルーベンには、ゆっくりと一晩休んでもらい、その次の日に奥庭へと誘った。
二人の間には、可愛らしいティーテーブルがあり、その上には色とりどりの菓子とお茶が並べられている。
だが、ベロニカの醸し出す雰囲気が、重々しいのを感じ取ったのだろう。
ルーベンは菓子には手を出さず、ジッとベロニカの発言を待った。
今からベロニカは、ロサ王国の王位継承者にだけ伝わるロケットの秘密を含む真実を、打ち明けようとしていた。
「奇妙な話をしますが、どうか最後まで聞いてください」
そう前置きをして、エンリケに話したとき以上の緊張を感じながら、ベロニカは死に戻りするより前の、過去のベロニカの話を始めた。
お願いしたせいか、ルーベンは一切の口を挟まず、続きを促す相槌だけを返す。
先代国王が毒で暗殺され、急にベロニカの即位が決まったこと。
不慣れな若者ふたりで、政治を回すようになったこと。
新参貴族を優遇する政策を打ち消し、サルセド公爵から目の敵にされたこと。
愚かな恋に溺れたことも、その相手がティトだったことも、その間、政務を疎かにしたことも。
その結果、サルセド公爵とティトとクララに陥れられ、王位を奪われたこと。
牢の中で復讐を誓い、怨霊になろうと自分の首を鎖で締めたら、戴冠式の日に戻ってきたこと。
それが父の形見だと思って身につけていた、ロケットのおかげであったこと。
今は、先代国王の仇であるサルセド公爵を失墜させるため、証拠集めをしているところで、そこにティトが一役買っていることまで話した。
「ルーベン王子にこの話を打ち明けるのは、私に万が一のことがあった場合に、このロケットが正しき者の手に渡るよう、手はずを整えてもらいたいからです」
ベロニカは、服の中に隠していたロケットを手繰り寄せる。
そして、ルーベンがよく見えるように、手のひらの上に乗せて差し伸べた。
差し出された『王位継承者のロケット』を、ルーベンは興味深そうに眺める。
それはベロニカが先代国王から受け継いだ時と変わらず、銀色に輝いていた。
ロケットを観察した後、ルーベンは腕組みをして椅子の背もたれに体を預ける。
そして宙を見据えて、思い出すように話し出した。
「なるほどね。どうりで、死線をくぐり抜けた者の眼をしていると思った。戴冠式での俺の印象は、あながち間違ってはいなかったんだな」
あんな新米の女王がいてたまるかと思ったんだ、と続けてぼやく。
「ガッカリさせてしまいましたよね。私が今、何とか政務を行っているのは、二度目だからなんです。過去があるから、やれているだけで……その過去は、いいものではなく……」
ベロニカの声が、段々と小さくなっていく。
それに合わせて、ルーベンを見ていた目も伏せられ、顔が俯いていった。
これまでルーベンから、友好的な感情を向けられていたが、過去を打ち明けたことで、それが嫌悪に変わるかもしれない。
その覚悟をしていたはずだが、やはり胸は痛んだ。
ベロニカは、自分が思っていた以上に、ルーベンを好意的に思っていたと気づかされる。
ルーベンは理想的な王配だった。
為政者としての視点を持ち、民に寄り添う思考ができ、女王のベロニカを操ろうとしない。
母の仇の正妃と国王の命を潰すため、マドリガル王国の王太子の座を狙っていたが、マドリガル王国の内政に干渉できるまでロサ王国を強大にする案で、手打ちにしてくれた。
今回、マドリガル王国で婚約の手続きをする際に、正妃と国王の処分について、第三王子ウリセスとも打ち合わせをしたようだ。
王太子となった元第二王子オラシオが、早々に国王から政権を取り上げ、正妃ともども罰するとルーベンに約束したと聞いた。
復讐の目途がつき、やっと落ち着いたルーベンを、ベロニカは自らの復讐劇に、巻き込んでしまう。
「私は、無念の死を遂げた父と、牢で怨霊になると誓った自分のため、サルセド公爵を倒します。おそらく相手も、私を倒そうとしていると思います。ルーベン王子に王配になってもらったのは、私が破れて亡き者になったとしても、その後のロサ王国を導いてもらいたくて……」
「他人行儀なのを止めよう。俺のことは、ルーベンでいい。もう婚約者なんだ、ベロニカ」
思いがけず、優しい声だったので、ベロニカはハッと顔を上げた。
足を組んだ姿でこちらを見ていたルーベンの瞳は、ベロニカを責めるものではなかった。
それだけで、ベロニカの眼裏が熱くなる。
「ルーベン……」
「間接的に、ベロニカには俺の復讐に手を貸してもらった。しかも、余計な血が流れずに済む方法で。だから俺も手を貸そう。これは等価交換だ」
等価交換……と呟いたベロニカに、ルーベンはニッと笑ってみせた。
「王家の秘密までバラしたんじゃ、もう俺と結婚するしかないな。そのロケットを渡す相手ってのは、俺たちの子どもだろう?」
「そ、それは……っ」
ベロニカは、例えばエンリケだとか、サルセド公爵以外の王族の者を想像していたのだが、ルーベンに言及されて、もっとも可能性が高いのが、ふたりの間にできる子どもだと気が付いた。
だが、子どもを授かるまで、ベロニカが生き残っているだろうか。
サルセド公爵は、相変わらず怪しい商会から毒を買い続けている。
一体、何にそんなに毒を使っているのか、いまだ不明なのだ。
すでに、ベロニカに対して、陰で仕掛けている可能性もある。
そう考えると、ベロニカの顔が暗くなるが、ルーベンがそれをさせない。
「大丈夫だ、ベロニカ。獄死した過去と、今は違う。ベロニカは、ひとりじゃない」
ルーベンは、ロケットを乗せていたベロニカの手を包み込む。
「これからは俺も味方だ。ベロニカには、たくさんの味方がいるはずだ。味方を信じろ。みんな、ベロニカの力になってくれる」
「私の味方……?」
「宰相も、秘書官も、恐ろしい騎士も、俺も。もしかしたら、優男も。ベロニカのために動く。……怖がらなくていい」
一度、死に戻ったベロニカは、もう生き返れない。
次にサルセド公爵に敗ければ、そこが人生の幕引きだ。
もしかしたら命までは取られないかもしれないが、過去ではずっと牢の中で、飼い殺しにされるところだった。
それに、敗ければベロニカだけではなく、ベロニカ側にいる者も不幸になる。
ルーベンが言った味方は、ことごとく捕らえられるだろう。
抗えば、過去のセベリノのようになる。
(この復讐は必ず完遂させなくてはならない)
ベロニカだけの問題ではないのだ。
国と民とを、サルセド公爵の好きにはさせない。
「私、戦います。国も、民も、みんなも、護ってみせます」
真っすぐにルーベンを見つめる、決意のこもった深緑色のベロニカの瞳に、ルーベンは心を射られる。
(ああ、これだ。俺はこれが欲しかったのか――)
満足げに微笑むルーベン。それに対してベロニカも微笑んだ。
ベロニカの憧れていた、双方向の気持ちのやり取りが、今まさに行われていた。
◇◆◇
「カイザ、ベロニカの話の内容を理解したか?」
「ええ、あの距離なら、読唇術でいけましたね。僕は、聞かれたくないっていう女王さまの意をくむ忠犬とは違いますから、しっかり把握させてもらいました」
「ベロニカを護ってやれ」
「すでに最強の番犬が隣にいるのにですか?」
「あの騎士にも、苦手な分野があるだろう。力技以外で来られたら、対応できないかもしれない」
「ははあ、過保護ですね。さては惚れちゃいましたか? 可哀想な過去でしたもんね」
「愚かな女だと言うのは容易い。実際に、過去のベロニカはそうだった。だが、そこから反省し、やり直したくて学んでいるベロニカは、芯が強くて美しいと思った。それだけだ」
「もう婚約者なんですから、堂々と好きって言ってもいいんですよ?」
「……それは本人に言う」
奥庭から出て回廊を歩く主従の間には、今日も気の置けない会話が流れる。
それを、植え込みから覗いている、暗い目があった。