ルーベンがマドリガル王国の感覚のまま王配になってくれたら、ベロニカは空虚な結婚に意気消沈しなくてもいい。
恋人を優先する王配では、国の未来が危ういと考えていたベロニカにとって、ルーベンは最善手だった。
「ぜひ、マドリガル王国方式でいきましょう。私も、他に恋人をつくる人は、どうかと思っていたのです」
ふんすと鼻息を荒くしているベロニカを、ルーベンがチラリと見る。
そして片側だけ口角を上げて、くっと笑った。
「俺と恋人になりたいか、ベロニカ?」
直球すぎるルーベンの物言いに、ベロニカは自分の発言も直球だったと思い返す。
かあっと赤くなる顔を隠したいが、ここには書類しかない。
書類でもいいか、とベロニカが手に取ろうとしたら、ラミロがそれを回収していった。
「では、僕、これを提出してきますね。晴れて今日から、ベロニカさまとルーベンさまは、恋人同士ですよ。おめでとうございます」
悪気ない笑顔のラミロが、執務室を出て行った。
残されたのは赤い顔を隠せなかったベロニカと、それを眺めるルーベン。
エンリケは早々に自分の机に戻ったし、セベリノは置き物のようにジッとしている。
ニヤニヤしているカイザだけが、ベロニカの羞恥心を煽っていた。
「あ、あの……っ、私……」
「ゆっくりでいいぞ。どこからどう見ても、恋に不慣れそうだからな」
ルーベンが恋慣れているかというと、そうではないのだが、ここは年上の男として余裕を見せたい。
それに真っ赤になっているベロニカを眺めるのが、案外嫌ではないと気づいた。
ベロニカと一緒にいると、ぽかぽかする胸の内も、ルーベンがこの関係を悪くないと思っている証拠だ。
エンリケが次の仕事を持ってくるまで、ベロニカの執務机の横で、ルーベンは頬を染めたベロニカを愛でるのだった。
◇◆◇
ルーベンがマドリガル王国に帰ってしまった。
いつもルーベンが座っていた椅子を、仕事中にベロニカは何気なく見てしまう。
ベロニカの執務机の隣に置かれたそれは、すっかりルーベンの専用になっていて、今は空席なのが寂しい。
少し粗野な態度で足を組み、エンリケに鋭い質問をしていたルーベン。
ロサ王国の政策について、真剣に考える横顔を、ベロニカは眩しく思ったものだ。
(いつ戻ってくるのかしら?)
もう何度目になるか分からない質問を、心の中で繰り返す。
ルーベンがベロニカの婚約者に決定した告知が広まってから、いくつかの事件があった。
一つ目は、サルセド公爵が久しぶりに執務室に突撃してきたことだ。
「勝手に婚約者を決めてしまって! マドリガル王国の第一王子とは、どういうことだ!」
ピンクゴールドの髪色以上に、顔を真っ赤にして怒鳴り込んできたサルセド公爵に、ラミロが対応する。
「誰を婚約者にするのか、決定権は女王さまにあります。サルセド公爵がいくら叔父という立場でも、口出しはできません」
「なにおうっ! こざかしい平民の分際で! 私に意見すると言うのか!」
「意見ではなく、これは法律です。法律を破れば、たとえ王族であろうと裁判にかけられ、罰を与えられます」
「そんなはずがあるか! この国は王政だ! 王族が一番偉いんだ!」
「その王族の中でも、女王さまが一番偉いんですよ?」
ラミロとサルセド公爵のやり取りは、滑稽だった。
なんの理論武装もしていないサルセド公爵を、少年のようなラミロが筋道を立てて打ち破ってしまうのだ。
サルセド公爵は、ベロニカがマドリガル王国と縁を繋ぎ、その強大な後ろ盾を得るのを避けたいらしく、しきりに反対をしていたが、決定事項は覆らない。
「クソッ! ティトは一体、何をやっていたんだ! 目をかけてやったのに!」
終いには、ここに居ないティトを罵りながら、ドカドカと執務室を出て行った。
呆れてものが言えず、ただ見ていたベロニカだったが、それからしばらくして、なんとティト本人がやってきた。
「女王陛下、私を密偵として使ってください。サルセド公爵の弱点を探ってきます」
これが二つ目だった。
衝撃の発言をしたティトだが、本人にその自覚はないのか、ベロニカに必死で自分を売り込む。
「こっそりクララから聞いたのですが、どうもサルセド公爵は、怪しい商会と取り引きがあるようなんです。相手と品を突き止めてきます。だから、どうか、お側に……」
ティトが頬を染めて、上目遣いで強請る様は、堕天使のように妖艶だった。
だが、この執務室には、その色気にやられる者がいない。
取りあえず、「考えます」とだけ答えて、ベロニカはティトを下がらせた。
ティトの扱いをどうするか、これからエンリケと、話し合わなくてはならないからだ。
「陛下、これは渡りに船ではないですか? どのみち、謀反の旗印になりかねないサルセド公爵は、何らかの理由で隠居してもらう予定でした。我々の隠し玉を使わずに済むのなら、危なくもありませんよ」
エンリケの言う隠し玉とは、ラミロのことだ。
ラミロの諜報員としての能力を高く買っているエンリケは、いずれサルセド公爵の周辺を探らせる気でいた。
新参貴族との金銭が絡んだ繋がりや、先代国王暗殺疑惑の件で、サルセド公爵は常にきな臭い。
ベロニカの復讐を果たすためにも、確実に罪に問える証拠を握り、いつか政治の舞台から退場願おうと思っていた。
ベロニカの周囲を味方で固めてからと思っていたが、ついにその時期が来たのか。
「けれど、ティトを信用してもいいのか、悩みます」
過去のこともある、とエンリケにだけ匂わせるベロニカ。
「では、ティトのことを、ラミロに探ってもらいましょう。いきなりサルセド公爵を探るのは、ラミロにとっても危険です。ティトが裏切者でないかどうか、まずは様子を見てみませんか?」
それがよさそうだ。
ベロニカはそう判断して、これからのことを打ち合わせた。
ルーベンと正式に婚約したため、エンリケもティトも、ベロニカの婚約者候補から外された。
そんな中、サルセド公爵側のティトと、ベロニカが親しくするわけにはいかないので、仲介役としてラミロに動いてもらう。
◇◆◇
そう、決めたのだが――。
「どうしてもベロニカさまに会いたいと、駄々をこねるんです。あの人、ちょっと異常ですよ」
ほとほと困り果てたという顔をして、ラミロがティトとの密会から帰ってきたのだ。
「私に会いたい? 会ってどうするの?」
「ご尊顔を拝謁する栄誉を……とか言ってました。僕、あの人はベロニカさまの信者だと思います」
「信者? 意味が分からないわ」
思考がまるで追い付かないベロニカに代わって、エンリケが考える。
「ベロニカさまの取り巻きになりたいのでは? 夜会なんかで、見目のよい令嬢の周りに、侍る令息たちがいるでしょう?」
「ティトには恋人のクララがいるんですよ?」
ますます混乱を極めるベロニカに、今度は珍しくセベリノが個人的見解を述べた。
「そいつは、ベロニカさまの犬になりたいのかもしれません」
「犬ぅ?」
もう完全にベロニカの脳は停止してしまう。
犬発言に、エンリケとラミロがセベリノを見た。
忠犬と言えばセベリノ、という共通認識があったからだ。
忠犬セベリノが敏感に嗅ぎつけた「ベロニカの犬になりたいティト」というのが、実は一番、命令されたいティトの心境について正鵠を得ていたのだが、ここで答え合わせはできない。
「叔父さまの情報を、きちんと調べてきたときだけ、会うようにします。定期的な報告のやり取りは、今後もラミロにお願いするわ」
「それがいいですよ、ベロニカさま。あの人、気持ち悪いですから」
「陛下がそれでいいのなら、そうしましょう」
「犬のしつけは最初が肝心です」
ベロニカの妥協案に、ラミロもエンリケもセベリノも、頷いて返した。
ベロニカの中で、過去のティトの印象が急速に薄れていく。
こんな人だったっけ? という思いばかりが、ぐるぐるしていた。