「そっちの事情は分かった。だが、他国への政治的介入は戦争の元だ。それでも踏み出した理由は何だ?」
ルーベンの鋭い質問に、答えるのはベロニカだ。
ここからは国主としての真価が問われる。
「マドリガル王国は、ロサ王国と肩を並べる大国です。マドリガル王国で起きた政変は、必ずロサ王国に影響を及ぼすでしょう。それが分かっていて、何もしないのは、為政者ではありません」
「為政者として、仕事をしたと言うのか?」
「問題ごとの芽を摘む能力は、あなたも持っているはず。とても優秀だと、お聞きしています」
「そんな優秀な俺を、女王は摘み取った。どうしてくれるんだ?」
「ロサ王国で、咲いてみませんか?」
それまで、滑らかに動いていたルーベンの口が止まる。
ベロニカは、エンリケと話し合った内容を回想し、なるべく威厳が出るよう低い声で話す。
「マドリガル王国は、オラシオ王子を王太子とし、これから歴史を紡いでいくでしょう。その国で、政権争いに敗れたあなたに、残されている道はふたつです。ひとつは、肩身の狭い思いをしてオラシオ王子を支えていく道、もうひとつは――民を煽り、国に革命を起こす道です」
ルーベンはまだ口を動かさない。
それを確認してベロニカは話を続ける。
「正妃による側妃暗殺を疑うしかない証拠を、オラシオ王子に提示しました。オラシオ王子は、国を乱す原因を作った正妃の罪を知り、自らが責任を取って国を正していく覚悟をしました。それまでは、優秀なルーベン王子のほうが王太子に相応しいと、尻込みをしていたのだそうです」
「……ふん」
「正妃を処罰する権利は、ルーベン王子やウリセス王子にあると言っていました。あなたの目的は、それで達成されませんか?」
「国王の首が足りない」
「では、国王も処罰対象に入れるよう、エンリケが交渉しましょう。国王と正妃によって綻びたマドリガル王国の秩序を、オラシオ王子が繕っていけるのか、ロサ王国はこれからも見守ります」
「見守るだけでいいのか?」
ルーベンの瞳から、わずかに険が遠のいたのを感じる。
もう一押しだとベロニカは自分を鼓舞する。
「実は……ロサ王国は、マドリガル王国よりも大国になろうと企んでいます。マドリガル王国で何が起きても、揺るがない国造りを目指しているのです。そのために、あなたの助力が欲しい。そして、ロサ王国が大陸の頂点に立った暁には――」
「なるほど。マドリガル王国は、ロサ王国の顔色を窺いながら、国を治めねばならないと言う訳か」
「その通りです。戦争を仕掛けるだけが、その国を従わせる術ではありません。力の差を見せつけ、敵わないと思わせれば、自然と相手は軍門に下ります。民や兵を、いたずらに傷つけることなく、マドリガル王国を『見守る』ことが出来るのです」
ルーベンが、ジッとベロニカを注視する。
ジロジロ見られて、ベロニカは緊張してきた。
何か説明の中に齟齬でもあっただろうか。
エンリケの方を向いて、答え合わせがしたいが、今は無理だ。
先に視線を外したら負けだと、何かの本に書いてあった。
ルーベンもその本を読んだのだろうか。
ベロニカから目を離さないまま、こう言った。
「……恐ろしいな。そんな綺麗な顔をして、よくこんな強圧的な論が言える」
「え――」
ルーベンに『綺麗』と言われて、そっち方面の警戒をしていなかったベロニカの顔は赤くなる。
女王として、社交辞令は受け取り慣れていても、こうして対面で男性に、容姿を褒められるのは不慣れだ。
そう言えば、過去でもティトに、容姿を褒められはしなかった。
きっとティトの好みから、ベロニカはかけ離れていたのかもしれない。
何しろ、ふわふわした女の子らしいクララと、キリリと引き締まったベロニカでは、印象がかなり違う。
頬を染めたまま、ここまで一瞬で考えたベロニカは、まだルーベンに見られているのに気づくと声を上げる。
「み、見ないでください!」
それが、これまで頑張って出していた低い声とは違い、ちょっと裏返ってしまったので、ますますベロニカの顔は赤さを増す。
ぷっ、と噴き出す音がして、ハッとそちらを見ると、ルーベンの側付きが肩を揺らしていた。
笑われている……そう思うと、じわりとベロニカの瞳に、涙が盛り上がってきた。
「カイザ、控えろ。――悪かったな」
その謝罪は、何に対して行われているのか。
ベロニカを見つめたことか、側付きが笑ったことか。
ぐるぐる考え込むベロニカに、ようやくエンリケという助け船が出された。
「現在、女王陛下にはふたりの婚約者候補がいます。そのうちのひとりは私で、期間限定の契約的な関係です。もうひとりは、女王陛下の政敵が送り込んできました。つまり、本命がいないのです」
「俺に、王配の座を用意しているというのか」
「ぜひ検討していただきたいと思っています」
「俺がマドリガル王国に居続けて、いつかオラシオの脅威になるよりは、ロサ王国内で見張っていたい。それが本音だろう?」
「それもあります」
「正直だな」
ルーベンが腕組みをして、考える素振りを見せる。
それがポーズなのか本気なのか、分からないベロニカは返事を待つ。
エンリケから、ルーベンを王配に迎える提案をされたときは、驚きしかなかった。
だが、説明されてみれば、優秀と噂のルーベンを味方につけて、悪いことは何もない。
むしろ、これからサルセド公爵と全面対決していくのなら、マドリガル王国に縁のあるルーベンが王配になってくれるのは、後ろ盾として心強い。
しかも、ルーベンならば、異母弟オラシオが統治するマドリガル王国に、無用に媚びたりもしない。
ロサ王国を率いる為政者として、ベロニカの考えを理解してくれるならば、共に国造りをしていく相手になり得るのではないか。
そして万が一、ベロニカに何かあったとしても、ひとりで国を引っ張っていけるだけの逸材は、ルーベン以外に考えられなかった。
ベロニカはそう期待して、今日、ルーベンと会うのを楽しみにしていた。
現れたルーベンは、ベロニカよりも王族らしかった。
ベロニカとて、二度目の人生だ。
容易くは生きていないつもりだが、ルーベンからはもっと、命のやり取りをしているような、凄みを感じた。
生きて、そこに存在するだけで、風格がある。
それは死中を生き抜いてきた強さを、ルーベンが発しているからだろう。
ベロニカにとって、ルーベンは眩しかった。
「一考する価値はある。しばらく時間をもらいたい」
そう言って、側付きをつれてルーベンが謁見の間を立ち去ると、ベロニカは大きく息を吐いて、ぐったりとテーブルに伏した。
なんとか交渉をやり切った安堵と、圧倒され続けたルーベンのオーラから解放されて、気が抜けたのだ。
そんなベロニカを、エンリケもセベリノも、労わりの目で見ていた。
幸いなことに、二度目の人生では、ベロニカの周りには、まだたくさんの味方がいる。
ベロニカは、みんなのためにも、必ず復讐をやり遂げ、この国を護ると改めて誓った。◇◆◇
「革命を起こす計画、読まれていましたねえ。あの宰相、かなり切れ者っぽいですよ」
案内された賓客用の部屋で、ルーベンが正装を解く手伝いをしながら、カイザが零した。
笑いをこらえきれず、ベロニカを半泣きにさせたカイザだが、しっかりベロニカの周囲を護る者たちを観察していた。
「女王さまの後ろにいた騎士を見ましたか? あれは狂犬です。絶対に相手にしては駄目なやつです」
ブルブルと大げさに震えてみせているが、それに関してはルーベンも同じ印象を抱いた。
とんでもない女王は、そのペットもとんでもないと。
「こんな恐ろしい国の王配か――面白いかもな」
そうしてルーベンは、相対したベロニカを思い出す。
戴冠式で感じた印象はそのままに、だが顔を赤くする可愛らしい一面もあったベロニカ。
なんだかルーベンの胸は、妙にぽかぽかするのだった。