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第21話

 新暦870年――暗殺者ではベロニカを排除できないと、ようやくサルセド公爵は理解した。

 国内最強の名を欲しいままにする剣豪セベリノに、誰も太刀打ち出来ないのだ。

 剣豪なのだから、剣以外で立ち向かえばいいと、素人意見で口を挟んだが、駄目だった。

 セベリノは剣はもちろん、ナイフも槍も暗器も、どんな獲物も使いこなし、なんなら拳ひとつでも強かった。

 大人数でかかれ、とまた素人意見を言ってみたが、数十人を相手にしても、セベリノは涼しい顔をしていたという。

 サルセド公爵は知らないが、過去のセベリノは、一夜にしておよそ千人の兵の屍を築いた男だ。

 暗殺者が束になった程度では、敵うはずがなかった。

 やっぱり毒しかないか、と一服盛る機会をうかがっていたが、どうやら毒物に関して、ベロニカは異様なほど警戒をしている。

(もしかして、兄上に毒を盛ったのが私だと、バレたのではあるまいな?)

 すでに犯した罪で捕まる危険があるのに、さらなる毒殺を狙う訳にはいかなかった。

 サルセド公爵は必死に考える。

 このままでは、長年の夢だった王冠に、手が届かない――。

 ベロニカは、王族の遠縁にあたるシルベストレ公爵エンリケを、婚約者候補に立てた。

 血筋も身分も年齢も、女王であるベルニカに相応しく、文句のつけようがない。

 おそらく、このままエンリケは王配となり、ベロニカとの間に生まれた子を、後継者に指名するだろう。

「それではいかん! 何のために兄上を手にかけたのか、分からないではないか!」

 付け入る隙があるとするならば、ベロニカとエンリケの関係が、女王と宰相のままで、そこに男女の駆け引きじみた様子がないことだった。

 ベロニカは、国王と王妃の間に生まれた、たった一人の王女だった。

 箱入り娘として、悪い虫を寄せ付けず、これまで大切に育てられてきた。

 そんなベロニカを言い様に扱い、堕落させるのに、恋慣れた男による色仕掛けはどうだろうか、と思いついた。

「ちょうど、顔だけなら極上の男がいる。クララを餌にして、ベロニカの愛人になるよう、仕向けてみよう」

 そうして過去と同じように、クララの恋人ティトはサルセド公爵に命じられる。

 ベロニカを、女王からただの女にしてしまえ、と。

 執務を放り投げたベロニカを、糾弾して排除するのは、暗殺や毒殺より容易いはずだ。

 サルセド公爵は、自分の冴えた閃きに酔いしれ、ほくそ笑むのだった。

 ◇◆◇

「一体、誰だ!? 俺に先んじて、ウリセスを誑かしたのは?」

 ルーベンが、腹立たし気にドカッとソファに腰かける。

 ウリセスというのは、ルーベンの腹違いの弟で、マドリガル王国の第三王子だ。

「それが分からないんですよね。見張りもつけていたんですけど、ウリセスさまの離宮に、怪しい者の出入りはなかったそうです」

 カイザが主のために、お茶を用意しながら返事をする。

 もともと平民だったカイザは、ルーベンの側付きになるときに、一通りの作法を習った。

 だが、ルーベン自体に粗野な部分があるおかげで、四角四面に過ごさなくていいのが性に合っていた。

「その見張りは、馬鹿じゃないのか? 怪しいやつを見張ってどうする? 本当に怪しいやつは、怪しい恰好なんてしていない」

「それもそうですね。たとえば僕みたいな、どこにでもいそうなやつを、まず警戒しないといけません」

 カイザの容姿は、赤茶色の髪に茶色の瞳、ひょろりとした痩躯で、その辺にいる地味な若者にしか見えない。

 だが、元は凄腕の軽業師で、ルーベンにとっては、背中を任せられる唯一の人物だ。

 これまで正妃からルーベンに送り込まれた暗殺者を、ことごとく追い返したのもカイザだった。

 そんなカイザが、だいたいの感覚で入れた微妙なお茶を、ルーベンはゆっくり飲む。

「ふんぞり返っている正妃を、ウリセスと一緒に、痛い目に合わせようと思っていたのにな」

「せっかくの楽しい計画だったんですけどねえ。まさか、あっち側につくとは、驚きましたよ」

 カイザの言う、あっち側とは、第二王子オラシオの勢力だ。

 これで、ウリセスの勢力を取り込んでオラシオの勢力に拮抗し、正妃をあっと言わせてやろうという、ルーベンの計画は頓挫した。

「誰かに俺の頭の中を、読まれた気分だ。どうして今だったんだ? 完全に、あと一歩の差だった」

 数年かけて温めてきた計画だった。

 納得がいかないルーベンは、憤懣やるかたない顔をしている。

 それもそうだろう。

 これでもう王太子の座は、オラシオに決まったも同然なのだ。

「これから、どうしますか? 楽しい計画が白紙になりましたし、物騒な計画の方を実行しちゃいます?」

「ん~、その前に、ロサ王国に行ってみようかな」

 ルーベンはソファから立ち上がり、飲み干したお茶のカップをカイザに戻す。

「そう言えば、招待状が来ていましたね。またあの美人な女王さまに会えるなんて、役得だなあ」

 ウキウキとお茶のセットを片付けるカイザに、ルーベンは苦笑する。

「お前の楽天主義が、うらやましいよ。俺もそんなに軽く、物事を考えられたら良かった」

「何しろ僕は、元軽業師ですからね。軽さには、自信がありますよ」

 ルーベンは、カイザの明るさに、ずいぶん助けられている。

 ともすれば、復讐心に飲み込まれそうになる己の感情を、制御しきれない夜もあるのだ。

 そんなときは後先を考えず、ただ正妃と国王の首を、剣でひと振り、刎ねてしまおうかと思う。

 母の遺恨を晴らし、すっきりしたら、残された人生が例え牢の中でも、ルーベンは幸せかもしれない。

 だが、突っ走ろうとするルーベンを、いつもカイザが止める。

 せっかく為政者としての能力に恵まれているのだから、無駄死にはしないで欲しい、と。

 平民の目線で政治を考えてくれる為政者が、マドリガル王国には必要なのだ、と。

 そのたびに、ルーベンは踏みとどまってきた。

 何でも自分の思い通りに出来ると思っている正妃と、そんな正妃を制御できずに母を死に至らしめた情けない色ボケの国王を、いつかこの手で握りつぶしてやると決めているが、その後は望まれる王になりたいと思う。

「ロサ王国の女王に会ったら、俺も気合いが入るかもしれない。あの鮮烈な戴冠式は、しばらく忘れられなかった」

 そうしてルーベンは、想い起こすように宙を眺める。

 身が引き締まる思いとは、ああいうのを言うのだろう。

 これまで周囲から誉めそやされ、常に人より優れていた自覚のあったルーベンだったが、慢心するなと、釘を刺された気がした。

(腹の座り具合が、そんじょそこらのやつとは違った。あんな度胸のある女王が、同時代にいるなんて――)

 それ以来、ロサ王国が気になった。

 ロサ王国というよりも、あの女王が、と言ったほうが正しい。

「確か、名前はベロニカ、だったか」

「珍しく殿下が気にしていたので、ちょっと調べてみましたよ。先代国王の一人娘、艶々の黒髪に深緑の瞳は父譲り、殿下の4歳年下で今は25歳です。ただ……」

「何を言い渋る?」

「去年、婚約者候補が立てられてしまったんですよね。しかも、これが文句のつけようがない、ロサ王国で最も高貴な男なんです。……殿下、残念でしたね」

 カイザの憐れんだ目が刺さる。

 それが居たたまれなくて、ルーベンは強がる。

「別に! 俺はそんなつもりで、気にしていたわけではないからな」

 反発したのが、ますますカイザの同情心をかってしまったらしい。

「いつか殿下にぴったりの、可愛いお嫁さんを探しましょうね」

 オラシオ王子にはもう息子もいますしねえ、とブツブツ呟くカイザを余所に、ルーベンはベロニカの深緑色の瞳を思い出していた。

 あの意志の強い瞳に、見つめられたらと想像すると、ゾクリとしたものが腹の中を蠢いた。

 それが何なのか、ルーベンにはまだ分からない。

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