「いい所に気がつきましたね、陛下。素人が何種類も、毒を使い分けられるとは思えません」
「侍医がまだ薬草を保管しているはずです。サルセド公爵に毒を使われたときのために、薬草の在庫を増やしておきましょう」
「その毒の特性を、把握しておくといいかもしれません。私たちもあらかじめ、対策がとれるでしょう」
やはりエンリケに、全てを打ち明けてよかった。
ベロニカだけで抱え込んでいたら、こんなにも展望は開けなかっただろう。
「これから忙しくなりますが、陛下の執務手腕があれば、乗り越えられそうですね」
「加えて、私には先見の明がありますからね」
ベロニカが冗談交じりにそう言うと、エンリケが声を上げて笑った。
ベロニカもエンリケも、心に重くのしかかっていた不安が、軽くなっていた。
そんな二人の様子を、セベリノものんびり眺めていた。
◇◆◇
新暦869年――ラミロが諜報員として、ロサ王国とマドリガル王国を、行き来するようになった。
エンリケの書状を持って、秘密裏に第三王子と接触をしているのだ。
何度も往復を繰り返しているうちに、第一王子と第三王子の繋がりが見えてきた。
二人とも、母である側妃を、それぞれ早くに亡くしている。
しかもその原因が、正妃による暗殺ではないかと、疑っている。
こうした共通項により、過去で二人は手を組み、正妃の生んだ第二王子と袂を分かったのか。
「エンリケ、どうするんですか? このままでは、第三王子を懐柔するのは、難しいですよね?」
「まだ望みはあります。暗殺が本当だとしたら、血で汚れた正妃をのさばらせておくのは、マドリガル王国にとっても良くありません。第二王子は馬鹿がつくほど清廉潔白で、王族としてはどうかと思う実直さの持ち主なんです。そこをうまく利用しましょう」
「正妃の側妃暗殺疑惑を、直接、第二王子に突きつけるのですね」
「ラミロには、決定打に欠けるとしても、疑うには十分な証拠が残っていないか、探してもらっています。第三王子とは、正妃を今の座から引きずり降ろすことを条件に、手を組むための交渉を続けます」
「第三王子が憎く思っている対象は、第二王子ではなく、手を下した正妃ですからね」
第二王子を王太子の座につかせるために、正妃を生贄にしようというのだ。
エンリケの容赦ない案に、ベロニカは感心した。
悪の女王を名乗るならば、ベロニカもこれくらいは出来ないといけない、と気持ちを引き締める。
エンリケは、ラミロのおかげで集まった情報をもとに、さらに作戦を立てる。
「第三王子の母は小国の姫で、国王が戯れに手をつけたせいで、第三王子が生まれたそうです。そのためか、第三王子はマドリガル王国への愛着が薄く、王位への拘りもありません。そこが第一王子との決定的な違いですね」
「第一王子は、あくまでも王太子の座を狙っているのですか?」
「優秀すぎて周りが放っておかないのもありますが、本人に、国王と正妃への強い復讐心があるようです。第一王子の母は、マドリガル王国の下位貴族の娘でした。その容姿の美しさに惚れた国王が、一方的に熱を上げ、無理やり側妃にしたそうです。寵愛を独り占めにした側妃が、正妃より先に王子を生んでしまい、そのせいで正妃に狙われたのでしょうね。第一王子は王太子となって実権を握り、母を暗殺した正妃と、母を無理やり側妃にした国王を、どうにかしたいのかもしれません」
「復讐心……私と同じですね」
ベロニカは第一王子の心に思いを馳せた。
誰しも、懐きたくて復讐心を懐くわけではない。
やられたことが許せなくて、やり返さないことには死に切れないから、復讐を誓うのだ。
「一度、第一王子とは膝を突き合わせて、話をしてみたいですね」
「現在ルーベン王子は28歳、金髪赤眼の精悍な美丈夫、まだ婚約者はいません。ロサ王国に招くとしたら、陛下の縁談相手を探している、という理由が相応しいでしょうね」
「つい先日、エンリケを婚約者候補として立てたばかりなのに? それにマドリガル王国の政局が落ち着くまでは、こちらは静観の姿勢を崩せません。肩入れしていると、思われてはいけませんからね」
実際には、ベロニカたちは第二王子に肩入れをしている。
変に第一王子に接触しないほうが無難だろう。
だが、王太子問題が片付いたら、会ってみたい。
ベロニカは、ルーベンに仲間意識を持ってしまい、ふんすと鼻息を荒くしていた。
「……案外、悪くない取り合わせですね」
だから、エンリケが呟いた声を聞き逃した。
エンリケの頭の中では、第二王子が王太子の座を獲得したあとの物語が、すでに構築されている。
その中で、政権争いに敗れたルーベンの扱いをどうするか、悩んでいたのだが。
(いい着想をいただきました。陛下には、感謝しなくては)
◇◆◇
「なんだって、こんなに隙がないんだ?」
サルセド公爵が頭を抱えていた。
丸め込んで傀儡にしようと思っていたベロニカから、逆に丸め込まれ、いいようにあしらわれているサルセド公爵は、徐々に新参貴族からの支持を失いつつあった。
若い女王と経験不足の宰相に、一体何ができると鼻で笑っていたが、ベロニカ自ら優秀な秘書官まで見つけてきて、今までに政務が滞ったことがない。
支持を受けている新参貴族からは、何らかの優遇措置をもぎ取ってくれと要望が上がっているが、もぎ取ったと思った優遇措置が、逆に新参貴族に己らの偏見や先入観の粗を突きつけていた。
とある新参貴族は、交付金で整備された街道に難癖をつけてやろうと、監査に訪れた辺境の古参貴族の領地で、連日連夜、国境沿いを端から端まで馬で引っ張っていかれ、「街道がお前の領地の何倍あるか分かるか?」と尋ねられた。
街道の整備費が、同じ額ではおかしいだろう、と暗に仄めかされたのだ。
その理論で言われると、新参貴族は預かった交付金の大半を、返却しなくてはならない。
なにしろ同じ額で、古参貴族たちはこれだけの、だだっ広い領地の街道を整備して見せたのだ。
手狭な領地しかない自分たちが、明らかにもらい過ぎていると、嫌でも認めざるを得なかった。
別の新参貴族は、領地内の街道を見事な石畳で覆い、その素晴らしさを古参貴族に誇った。
しかし古参貴族に、石を叩いて回られ、「あそこの石だけ材質が違う。馬車の重みに耐えきれず、近いうちに割れて陥没するだろう」と忠告された。
そんな訳があるかと高をくくっていたら、言われた通りのことが起きてしまう。
その後、施工業者が費用を誤魔化すために、見た目は同じでも材質の違う石を紛れ込ませていたと判明する。
妬みや嫌味ではなく、真摯な戒めをしてくれた古参貴族を馬鹿にした自分を、その新参貴族は恥じた。
ベロニカの政策のせいで、あちこちで新参貴族と古参貴族の接触があり、隔たりや齟齬が埋まっていった。
全部が全部という訳ではないから、相変わらずサルセド公爵を支持する層もいる。
そうした層から、これ以上の離反者が現れないように、サルセド公爵は思い切る。
「若い身空で哀れではあるが、ベロニカには無理やりにでも、政治の舞台から退場してもらおう」
ベロニカよりもやや明るい、緑色の瞳に暗い情念を燃やし、サルセド公爵はベロニカを亡き者にすると決めた。
「兄上が毒で亡くなったばかりだ。ベロニカまで毒で死んだとなれば、あの侍医がうるさいかもしれん。ここはその筋の暗殺者に、依頼をするのがよかろう」
そうして自信満々で送り込まれた暗殺者たちが、軒並みセベリノに返り討ちに合って始末されてしまい、サルセド公爵はまた頭を抱えるのだが、それはもう数か月先の話だった。