「陛下に恋のお相手が?」
「まだ先の話ですが、サルセド公爵の推挙によって、バレロス公爵家の次男ティトが私の婚約者候補になります。心の隙を突かれた私は、ティトの甘言に騙され、執務を疎かにしてしまうのです」
「色仕掛けをされた訳ですね」
エンリケが、うんうんと頷いて聞いている。
まるでベロニカを攻め落とすには、そこしかないだろうと、分かっているようだった。
「それについて対策はどうしますか? また陛下の婚約者候補として、ティトが名乗りを上げるかもしれませんよね」
「きっぱり断ろうと思っています」
「理由もなく断るのは、賢明ではないでしょう。論破されて、押し切られる可能性があります。その婚約者候補に、何か欠点はないのですか?」
「ティトには恋人がいるのです。サルセド公爵の娘クララと、私に隠れて口づけをしていました」
「貴族ならば、そういうこともあるでしょう」
きっぱり断言されてしまい、やはり恋愛結婚は稀有なのだと、ベロニカは肩を落とす。
「過去のエンリケにも、そう言われました。貴族にとって、恋愛と結婚は別なのだと。でも私は、お父さまとお母さまが恋愛結婚だったと知って、憧れを抱いてしまったのです」
「珍しいだけで、無いことは無いですよ。私の妹も、第二王子とは恋愛結婚ですからね」
「そうなんですか!?」
勢いよく喰いついてきたベロニカに、やや引き気味のエンリケだったが、二人の出会いを教えてくれた。
「祖母がマドリガル王国出身だったので、妹のデルフィナは、留学先にマドリガル王国を選びました。向こうの学園へ通う内に、年下の第二王子に見初められ恋人となり、卒業と同時に結婚したのです。私は反対しました。第二王子には敵が多いし、何かあったときに、他国では助けに行くのも遅れます。しかし、それを押し退けて、デルフィナは嫁いだのです」
妹を心配するエンリケは、すっかり兄の顔だった。
しかし、ベロニカは運命の出会いだと、感嘆している。
「素敵ですね。きっと、デルフィナ妃に出会った瞬間、第二王子は胸が熱くときめいたのでしょう」
そんなベロニカの様子を見ていたエンリケは、懸念を抱く。
「陛下、色仕掛けには、もう騙されませんよね?」
「絶対にティトには靡きません」
では、ティト以外だったら、どうなのだ。
エンリケの顔にはそう書いてある。
「陛下が、恋に恋する大きめの少女だというのは分かりました。ですが、それでは危険です。同じ罠にかかってしまいますよ」
しょんぼりするベロニカに、エンリケは対策を考える。
「陛下に相応しい男性が現れるまで、私が婚約者候補となり、弾除けになります。幸い、私は公爵ですし、公爵家次男のティトよりも身分は上です。サルセド公爵も、文句は言えないでしょう」
「そう言えば、エンリケは独身でしたね。どうして結婚をしないのですか?」
「甥のためです。万が一、マドリガル王国に政変が起きて、デルフィナがロサ王国へ逃れる事態となったら、その息子のホセに、シルベストレ公爵家を継がせるつもりでした」
エンリケの妹思いは、並大抵ではないようだ。
だからこそ過去で、あんなにも長い帰省をしていたのだ。
第一王子と第二王子の争いが過熱すれば、デルフィナ妃とその息子の身も、安全ではなかったはずだ。
エンリケは妹と甥を案じ、手を尽くして、助けようとしていたのだろう。
そんなお兄ちゃん気質のエンリケから、ベロニカは心配される
「どうやら陛下は、妹以上に恋に不慣れで、私から見ても、危なっかしく感じます。護りを固めておくに、越したことはないでしょう」
エンリケをそこまで不安にさせている自覚のないベロニカだが、ここは頷くしかない。
「分かりました。これからよろしくお願いします」
こうして、ベロニカに新しい婚約者候補ができる。
エンリケはもうすぐ35歳、ベロニカとは10歳以上離れているが、特に問題はないだろう。
「さっそく、申請の書類を提出します。陛下の相談は、以上で終わりですか?」
「エンリケは……どうして私の話を、信じてくれたのですか? 二度目の人生だなんて、自分でも、とても不思議なのに……」
エンリケは、立とうとした席に、座り直した。
そして困惑しているベロニカの顔を、覗き込むようにして尋ねてきた。
「陛下は、亡くなられた先代陛下から、何も聞いていないのですか? 王位継承者のロケットを、譲り受けたのでしょう?」
ロケット――それを聞いてベロニカは、胸元から父の形見を手繰り寄せる。
透かし彫りがある球状の銀製ロケットは、確かにそこにあった。
しかし、これが『王位継承者のロケット』と呼ばれることは、初めて聞いた。
「これは父の形見として、肌身離さず身につけています。ですが、中には小さなガラス片が入っているだけで、特別な価値があるわけではないのです。このロケットに、何か意味があるのですか?」
「何の説明もなしに、死に戻りを経験したのですね。それは戸惑ったことでしょう」
「エンリケは知っているのですか? このロケットと、私の二度目の人生は、関係があるのですね?」
「大いにあります。そのロケットは、王位を継ぐ者にだけ与えられる、王族の秘宝。一度だけ、無念の死から甦ることが出来るのです。しかし、その秘密は王から王へ口伝され、外部には一切漏れていません。私が知っているのは、たまたま王だった曾祖父が話しているのを、少年の頃に聞いてしまったからなのです」
「無念の死から……甦る?」
あの牢で、復讐をすると誓って、怨霊になるために死を選んだ。
それは、無念の死だった。
その死を選ぶ前に、何度も繰り返し考えて、王位を受け継いだ場面から間違っていたのだという結論に至ったから、戴冠式の日に戻ってきたのか。
「おそらく、今は中に、ガラス片は入っていないはずです。使用できる機会は一度きり、使用すればガラス片は消えてなくなります。そして新たな王位継承者の手に渡ったとき、その者の瞳の色と同じ色のガラス片が、その中に現れるのです」
ベロニカは、慌ててロケットの上部をひねる。
そして手のひらの上に、ロケットを逆さにして振るが、ガラス片は出てこない。
覗き込んでみても、中は空っぽだった。
「深緑色をしたガラス片が、入っていたのですが……」
「正しく使用されたということでしょう」
ベロニカの、死に戻りの謎が解けた。
そして王族の墓に、この透かし彫りの模様が刻まれていた訳も、何となく分かった。
代々、長く受け継いできた秘宝だったのだろう。
そして――ベロニカの脳裏に、苦しみながら死んでいった父の姿が蘇る。
「お父さまは、すでに死に戻りを経験していた? だから私に、このロケットを手渡した? お父さまが危篤に陥ったとき、侍医は『毒』とか『暗殺』とか、そういう類の言葉を使っていたけれど……」
「不思議に思っていたのです。どうしてうら若き陛下を、死の間際に後継者として指名したのか。次代の王として、最有力候補だったサルセド公爵は四十代、即位するのに老い過ぎているわけでもありませんでした」ベロニカは、ロケットから視線をエンリケの顔に移す。
そこには憐憫の色が浮かんでいた。
ぽろり、とベロニカの頬を涙が伝う。
「お父さまは、サルセド公爵に殺された……?」
「先代陛下は、気がついたのでしょう。誰が、自分を死に追いやったのか。もしかしたら一度目の人生でも、そうだったのかもしれません。用心をしていたけれど、サルセド公爵のほうが上手だったと考えられますね」
そうだ、侍医が悔しそうにしていた。
サルセド公爵がもっと早く、薬草を持ち帰っていれば、父を助けられたのだ。
故意に薬草を届けるのを、遅れさせたのだとしたら。
そもそもサルセド公爵が、父に毒を盛ったのだとしたら。
ハッと、ベロニカは気がつく。
「過去の私は、嫉妬に狂ってクララに毒を盛った罪で、投獄されました。もしかしたら、そのときの毒が、お父さまの命を削った毒と、同じものかもしれません。クララとお父さまは、どちらも呼吸困難を起こしているんです」