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第16話

「最初から、間違っていたんだわ」

 ラミロが立ち去り、また一人になったベロニカ。

 コロコロと、父の形見のロケットを手のひらで弄び、通気口に切り取られた四角の青空を見上げる。

 そうして、先ほどラミロから打ち明けられた、サルセド公爵の謀を、何度も振り返っていた。

 しかし、何度考えても、同じ解答へとたどり着くのだ。

 ベロニカは、できればサルセド公爵とも連携をして、国を護っていきたかった。

 民のために、身を粉にすり減らし、執務をする日々を過ごそうと思っていた。

 しかし、サルセド公爵には、ベロニカと協働する気持ちは、さらさらなかったということだ。

 ベロニカが父から受け継いだを王冠を、今日の戴冠式でサルセド公爵が頭上に戴く。

 ベロニカは、セベリノとエンリケの二人に励まされ、挑んだ人生初めての戴冠式で、最前列に並ぶ各国からの賓客や、その後ろに並んだ古参貴族たちの姿を思い出す。

 彼らの前を歩むベロニカに注がれる視線には、熱い期待が籠っていた。

 ロサ王国のますますの繁栄と、長く続く平和な治世への願い。

 それを受けて、ベロニカは一層、政務に励もうと心に決めたのに。

「あの頃は、まだ良かった」

 ポン、ポンポン!

 通気口から、花火の音が聞こえた。

 いよいよ戴冠式が始まる。

 ベロニカが緊張しながら歩いた厚い絨毯の上を、サルセド公爵はどんな思いで歩くのか。

 恋を知らなかったベロニカを、心にもない甘言で堕落させた婚約者のティト。

 邪魔になったベロニカに、罪をなすりつけて排除しようと企てた従妹のクララ。

 幼馴染だの妹だのとベロニカに偽って、実際は口づけを交わす恋人同士だった二人。

 その二人を利用して、ベロニカから国と王冠を奪っていったサルセド公爵。

 そして――。

「セベリノ……ごめんね。私があなたを、騎士にしたばかりに」

 騎士になる夢を諦めようとしていた14歳のセベリノに、ベロニカは初めて王族の権力を行使した。

 セベリノをベロニカの専属騎士にすることで、騎士団長の座を巡る、兄との不和から解放してやれる。

 そんな12歳の少女だったベロニカの浅慮のせいで、セベリノは死んでしまったのだ。

「こんなことなら、騎士の誓いなんて、させなければよかった」

 剣となり、盾となり――。

 どんなときもお側に――。

 ふるふると唇が戦慄き、目の奥が熱くなる。

 だけど泣いたところで、何も解決はしないのだ。

 じゃらりと音を立て、ベロニカは自分を戒める鎖を握る。

 そして下唇を噛みしめると、唯一の外界への接点、通気口を睨みつけた。

「許さない」

 そこからは、今日も小さく青空が見える。

 流れる雲が早いから、きっと風が吹いているのだろう。

「たとえこの身が怨霊になったとしても」

 ベロニカは、ラミロから受け取った鍵を使って、足の鎖を外す。

 やはり足には、何の感覚もなく、もはや立つことも覚束なかった。

 だが、それで構わない。

 もうこの体に用はない。

 ベロニカは鎖を首に巻き付けた。

 魂を解放して、あの風に乗るのだ。

 そして、ベロニカを嵌めた三人の元へ飛んでいく。

「絶対に復讐してみせる」

 爛々と光る瞳は、王族の血が色濃く表れた深緑色。

 諦めない強さを感じさせるそれは、薄暗い牢の中で輝いて見えた。

 覚悟を決めたベロニカは、鎖の端を握りしめると、思い切り引っ張る。

 細くて白い首を、黒錆びた鎖が、ぎりぎりと締め上げていく。

 長い時間に感じられたが、やがてぶらりと手が下がり、金属音を立てて鎖も床に落ちる。

 とさりと横たわったベロニカは――もう息をしていなかった。

 鍵を失くした牢番が慌てて牢に駆け付けたとき、倒れたベロニカの胸元から、肌身離さずつけていた父の形見のロケットが消えていた。

 だがそれに気がつく者は、誰もいなかったという。

 新暦873年――王族へ味方することを止めた辺境の古参貴族たちが、自領の国境を解放する。

 その結果、ロサ王国に多くの難民が流れ込み、統治は混迷した。

 マドリガル王国で起きた革命の余波が、いずれロサ王国にも飛び火して、王族が民から吊るしあげられるまで、あとわずかだった。

 ◇◆◇

「大丈夫ですよ。何度も練習をしていたでしょう。もっと自信を持ってください」

 ベロニカが振り向くと、そこにいるのは領地へ帰ったはずのエンリケだった。

 唐突な馘首という、理不尽な扱いを受けたのに、ベロニカに対して微笑んでいる。

「ベロニカさまを笑う者がいれば、俺がその口を引き裂いてやります」

 隣には、壮絶な死を遂げたはずの、セベリノまでいる。

 一夜にして屍の山を築いた後、胸に大穴を開けて生を終えたと聞いたのに。

(これは夢? 私は幸せだった頃の、夢を見ているの?)

 牢の中で、鎖を首に巻き付け、怨霊になってでも復讐すると、ベロニカは魂を解き放ったはずだ。

 狼狽えるベロニカが自分の姿を見下ろすと、薄汚れたドレスではなく、特別な正装を身につけていた。

 そこで、ハッと気がつく。

 この服を着たのは、戴冠式の日だった。

 そして先ほどの台詞も、初めての戴冠式を前に、緊張していたベロニカにかけられた言葉だった。

(これは過去にあった戴冠式の日だわ。間違いない、はっきり覚えているもの)

 これからベロニカは聖堂の中に進み、大主教からマントと王杖と王冠を授かるのだ。

 でも、どうして過去に戻っているのか。

 それが分からない。

 頭を悩ませているベロニカを、エンリケが促す。

「どうぞ、中へお進みください、陛下。皆が待っていますよ」

 これは初めて聞く台詞だ。

 ベロニカが入口で、まごまごしていたから、エンリケが気遣ってくれたのだろう。

 つまり、ここは過去と全く同じではないということか。

 ベロニカの取る行動次第で、周囲が変わりゆくのだとしたら。

(やり直せるのかもしれない。あの五年間を、最初から)

 ベロニカの視線が、自然と上向いた。

 そこには、女王の風格を備えたベロニカがいた。

(今度は間違えない。誰が味方で、誰が敵なのか。もう私は知っているわ)

 ベロニカは入口へ向かおうとして、そこで止まり、くるりと後ろを振り返ると、エンリケとセベリノに両手を広げて抱き着いた。

「へ、陛下!?」

「どうしましたか?」

 狼狽えるエンリケと、狼狽えないセベリノに、ベロニカは嬉しくて心から破顔する。

「二人とも、絶対に私が護るからね」

 そう言い放ち、今度こそベロニカは入口に進んだ。

 参列者の中には、サルセド公爵もいる。

 ベロニカは女王として、確固たる意志を見せつけるつもりで、戴冠式に挑んだ。

 ◇◆◇

 「この若さで――死線をくぐり抜けた者の眼をしている」

 最前列にいた男が、錚々たる参列者の間を、堂々と入場してきたベロニカを見て、驚いたように呟いた。

 きらめく金髪に映える鋭い赤い瞳、正装をさりげなく着崩して、精悍な雰囲気をまとうその男こそ、ロサ王国と双璧を生す、大国マドリガル王国の第一王子ルーベンだった。

 後ろに控えていた側付きが、ルーベンの発言を注意する。

「殿下、いけませんよ。このような場で、女王陛下を評価するなど、恐れ多い」

「見てみろ、カイザ、あの新しく立つ女王を」

 魂消たと言わんばかりのルーベンに興味を引かれて、カイザと呼ばれた側付きも、首を伸ばしてベロニカを見る。

 しかし、その評価はルーベンと全く異なった。

「わあ、美人ですねえ。深緑色の瞳は、ロサ王国の王族に、よく見られる色だそうですよ」

「吞気だな。あんな歴戦の猛者みたいな新入り為政者に、そんな感想しかないのか?」

「僕は女の子を見たら、まず褒めろって習ったんですよね」

「女の子ね……うかうかしていると、マドリガル王国は喰われるかもしれんぞ」

 ベロニカの気風が変わったことで、ルーベンの評価も過去とは異なる。

 過去では邂逅せずに終わった二人だったが、新たに始まったベロニカの治世では、巡り合う機会が訪れるかもしれない。

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