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第2話

 大国の国王陛下が崩御したとあって、周辺の国々は、太平の世が乱れるかもしれない可能性に、少々ざわついた。

 しかし、どっしりと落ち着いたロサ王国の古参貴族たちが、しっかりと辺境の領地を護っていたおかげで、内乱の隙を狙おうと浮足立っていた国は、早々に黙らざるを得なかった。

 すでに正式な後継者が指名され、ベロニカが女王に立つと決まっている。

 国内で余計な争いが起こる理由は、どこにもない。

 そんなロサ王国は盤石であると、古参貴族たちが態度で示したため、大きな外交問題に発展しなかったのだ。

 そのことに感謝しつつも、即位した女王ベロニカは、喪中というのに悲しむ暇もないほど、多忙の毎日を過ごしていた。

 そしていつしか、ベロニカの頭の中から、『毒』や『暗殺』といった、侍医に伝えられた不穏な言葉が抜けていってしまった。

 戴冠式までの日々、父から勇気をもらうために、形見となってしまったロケットを、ベロニカは何度も握りしめた。

 透かし彫りがある球状の銀製ロケットは、上部をひねると開く仕組みだった。

 一度、気になってロケットの中を調べてみたら、ベロニカの瞳と同じ深緑色をした輝石が入っていた。

 手のひらにコロンと出してみると、何の変哲もない割れたガラス片のように見える。

 だが、肌身離さずと言われたのをベロニカは忠実に守り、鎖に通していつも首に下げていた。

「きっと、お守りのようなものでしょう。お父さまが大切にしていたのなら、私もそうしないと」

 今日の衣装には合わないからと、何度か外すことを勧められたが、そのたびにベロニカは「これは父の形見なの」と、胸の奥に仕舞いこむように付け続ける。

 そうして半年が経ち、ベロニカは戴冠式の日を迎えようとしていた。

 ◇◆◇

 戴冠式には、各国の王族や皇族が招かれる。

 それにあたって、ベロニカは新たに宰相となったシルベストレ公爵エンリケと共に、賓客の席次などを決めていた。

 国王の代替わりの際に、宰相までが同時に変わるのは珍しい。

 しかもエンリケは33歳とまだ若く、政務の経験が浅かった。

 本来であれば、シルベストレ公爵として領地で采配を揮うはずが、ベロニカの叔父のサルセド公爵の推挙によって、急に王城で宰相として仕えると決まったのだ。

 エンリケは、ベロニカの祖父に連なる王家の血筋で、サルセド公爵の「今こそ王族が結束するとき」という合言葉のもと、わざわざ呼び寄せられた。

 だが、ベロニカと同じくエンリケも諸々に慣れておらず、行き違いや思い違いが頻発し、うまく二人は嚙み合わない。

 そこへ、唐突にサルセド公爵が口を挟むこともあり、席次を協議する場は余計に混乱した。

 休憩中、エンリケが右目からモノクルを外し、けだるげに長い銀髪をかき上げたのがベロニカの視界に入る。

 この仕種が、エンリケがかなり疲れたときのものだと、もうベロニカは把握していた。

(ここは早めに、叔父さまに退室していただかないと。横やりが入ってばかりでは、決まるものも決まらないわ)

 先ほどから、サルセド公爵は国内の貴族の席次について、うるさく物申していた。

 古参貴族よりも新参貴族を優遇し、前列に配置しろと言っているが、ベロニカにとっては有り得ない提案だった。

 ベロニカが即位する際、きな臭くなった周辺の国々を抑えてくれたのは、国王に忠誠を誓っていた辺境の古参貴族たちだ。

 そのお礼も兼ねて、戴冠式では前列に並んでもらおうと思っていた。

 父から娘へ、国を護るという意志が受け継がれる様を、間近で見てもらいたかったのだ。

 それなのに、反対ばかりするサルセド公爵を説得できず、ベロニカはこっそり溜め息をつく。

 すると、背後に気配を感じた。

 離れたところにいたセベリノがベロニカに近づき、そっと耳元へある提案を囁いてきた。

「あの邪魔者を、排除しましょうか?」

 いきなり物騒なことを言うセベリノだが、これが通常だ。

 いつもならば力技には賛成しないベロニカだったが、今は疲労を隠せなくなっているエンリケが気になる。

「出来るだけ穏便に、お願いできる?」

「任せてください」

 そう言うと、セベリノはベロニカの前に置かれていた、キャンディポットへ手を伸ばす。

 休憩時間に入ると同時に、お茶や焼き菓子と一緒に運ばれてきたそれには、琥珀色をした丸いキャンディが詰まっていた。

 どうするのだろう? と見ているベロニカの前で、セベリノが何の前動作もなく、摘まんだキャンディを親指で勢いよく弾き飛ばした。

 かがみこんでベロニカと話をしている体勢のセベリノには、正確なサルセド公爵の位置が見えないはずなのに、それは違うことなく真っすぐにサルセド公爵へ向かって飛んでいく。

 そして琥珀色のキャンディは鷲鼻を直撃し、サルセド公爵は派手に鼻血を噴いた。

「っぶ! な、なんだ、いきなり鼻に激痛が走って、鼻血が……!」

 慌てて鼻を押さえるサルセド公爵に、控えていた侍従がハンカチを差し出す。

 みるみる赤く染まる白いハンカチから、どれだけの衝撃が鼻を襲ったのかがうかがえる。

 かなり痛むのか、涙目になっているサルセド公爵へ、ベロニカが恐る恐る申し出る。

「叔父さま、もしかしてお疲れなのではないですか? ここのところ、ずっと席次決めに協力してもらってます。少しはお休みも取らないと、体に良くないですよ」

 思い当たる節もあったのだろう、サルセド公爵は無言で頷くと席を立ち、侍従を連れてベロニカの執務室からヨロヨロと出て行った。

(良かった、今のうちに席次を決めてしまいましょう)

 胸をなでおろしたベロニカが振り向くと、驚愕の目をしてこちらを見ていたエンリケと、視線がかち合った。

 セベリノがした行為を目撃されていたと分かり、ベロニカは狼狽えるが、ふっと弧を描いたエンリケの口元に救われる。

「お見事です。おかげで、これ以上、揉めなくて済みます」

 しかも珍しく、エンリケに褒められてしまった。

 これまで食い違いが多かったエンリケとの間が、少し近づいたようで、ベロニカは嬉しかった。

 エンリケにつられて、ベロニカもふわりと笑う。

 それを見たエンリケが、苦し気に眉根を寄せて、顔を曇らせた。

「私の妹よりも年下なのに、これほどの重責を背負われて……陛下が大変なのは、理解しているのです。ですが私の方にも事情があって……政務にすべての力を、注ぐわけにはいかないのです。どうかお許しください」

 ベロニカは、エンリケが自領について悩んでいるのだと思った。

 いきなり宰相として推挙されて、戸惑いながら王都へ来たことだろう。

 それなのにこちらに全力を傾けろとは、ベロニカには言えない。

「もちろんです。エンリケには、護らねばならない領地や領民がいると、分かっています。私も頑張って政務を憶えますから、もうしばらく忙しさに耐えてください。……叔父さまについても、何とかします」

 ベロニカは決意を固める。

 もう女王になったのだから、ベロニカ自身がしっかりと方針を提示しないと、周りを支えるものが揺らいでしまう。

 サルセド公爵と意見が合わない件も、説得を試みるだけでなく、より強く主張していかなくてはならない。

 そのために、今よりも知識を取り入れ、活かす方法を学んでいこうと、ベロニカは意欲を漲らせた。

 その日から、何かを決めるたびに、ベロニカとサルセド公爵が対立する場面が増える。

 だがベロニカは、自分の信じた治世のためには、仕方がないと思っていた。

 国を護るという気持ちは、ベロニカもサルセド公爵も、たぶん変わらない。

 ただ、方法が違うだけなのだ。

 そこで意見を戦わせるのではなく、手を取り合って進みたいが、ベロニカとサルセド公爵の考えの隔たりは大きい。

 古参貴族を優遇し、民の力を高めたいベロニカと、新参貴族を優遇し、国の力を高めたいサルセド公爵。

 この衝突が、やがて国を揺るがす芽となっていくのだった。

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