『久居、聞こえるか?』
白い世界に響く菰野の声に、久居は瞳を輝かせた。
思わず「はい!」と返事をするも、それが菰野に伝わる事はない。
『俺の心配をしてくれるのは有り難いが、遠いところから遥々お前のために来てくれた父親とも、ちゃんと話をするんだぞ?』
早々に注意を受け、久居が苦笑する。
話には聞いていたが、菰野の元気な様子にホッとする。
『そのためにも、早くそこから出て来い』
「はい!」
決意を込めて久居は答える。
が、それが容易でない事は既に分かっていた。
この空間から出るための、状況を創造する事。
まだ久居は扉どころか、取っ手ひとつも容易に出せず、悪戦苦闘していた。
『……と言っても、久居は昔から絵が下手だからなぁ。困ってるんじゃないかと思うんだ』
苦笑しながら言う菰野は、久居とは対照的に、絵を描くのが上手かった。
久居も、図面等は引けたし、そのものを見ながら描く事なら一応は出来たので、想像力という点でこうも苦戦するとは思わなかった。
粘土をこねて形を作るような、力を成形する時の感覚とはまた違う。
想像だけで、何もないところに物を作り出すというのは、まるで雲を掴む様な話だった。
『そうだなぁ、新しいものを考えるのは難しいだろうから、久居の馴染みのある場所を思い出すっていうのはどうだ?』
菰野は、相変わらずの気負わない雰囲気で話しを続ける。
クザンからざっと聞いた説明を元に、彼なりに久居へ助言をしようとしているようだ。
『小屋でも、家でも……いや、やはり城がいいだろうな。
俺もまだ、城で生活している頃の夢を見る事があるよ』
ふわりと揺蕩うような、柔らかい菰野の声が、耳に、心に、心地よい。
久居は目を閉じると、菰野の言う通りに、あの頃暮らしていた城の様子を思い浮かべる。
菰野と久居が十年を共に過ごしていた、あの城。
もう離れて五年になるが、部屋に使われていた木の匂い、床の軋む音、薄暗い廊下の奥までが鮮明に蘇ってくる。
『お前は、俺の部屋の前に立ってる。部屋の中には俺がいる。
そうだな、元服式の朝っていうのはどうだ?
俺は寝坊してる。早く起こさなきゃ、式には遅刻だ』
菰野の、どこか楽しそうな声。
それは想像ではなく、実際の出来事だった。
久居も、あの日をはっきりと思い出してきた。
式の当日は良い天気で、久居は馬車の様子を見てから、菰野の部屋へと向かった。
澄んだ朝の空気、足早に廊下を通る女官達。
もう十五歳にもなったのだから、当然起きているものと思っていたのに、戸を叩いても、菰野の返事は無かった。
じわり、と、当時の自身の焦りまでもが蘇る。
そうだ。道を急ぐあまり、菰野を初めて妖精の山に近付けてしまったのも、あの日だった。
『さあ、俺を起こしに来い、久居』
優しく響く菰野の声に久居が目を開くと、そこは住み慣れた城だった。
目の前に、菰野の部屋の戸がある。
久居は、迷いなくそれに手を伸ばし、慣れた様子で押し開いた。
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菰野は、リリーの手をそっと離し、丁寧に礼を述べる。
リリーは花のように微笑んで応えた。
いつの間にか、久居の周りには皆が集まっている。
菰野は、皆の期待に応えられる事を願いつつ、輪の外へ回った。
「よぉ、お疲れ」とクザンに頭をぐしゃぐしゃにされる。
菰野は「ありがとうございます」と答えてから、皆に覗き込まれている久居に目をやって
「そうすぐに目を覚ますでしょうか」と口にした。
「お前は起きろと言ったんだろ?」
「はい……」
「そんなら、起きるだろ」
ぽんぽんと励ますようにクザンに肩を叩かれて、菰野は、この身体的接触の多さは遺伝なのだろうかと、ぼんやり思う。
フリーも、最初の頃こそ控えめだったが、近頃は菰野からすればちょっと過剰なのではないかという程に、隙あらば接触しようと狙ってくる。
菰野が一時的に小屋に一人で暮らしていたというのも、またフリーをその気にさせたのかも知れない。
菰野としては、嫌だという事は無かったが、こうしてフリーの両親に色々と世話になっている身で、不義理な事はしたくなかった。
パチ。とフリーと目が合う。ニコニコと元気に手を振られて、菰野も軽く手を挙げて応える。
フリーは、サラを質問攻めにしていた。
「じゃあ、それまではずっとクオンさんと二人っきりだったの?」
「う、うん……」
「きゃーっ。もっと詳しく聞いてもいい? いいよね!?」
「え、え? えっと……」
フリーの勢いに、サラがじわじわと押されている。
失礼な事になる前に、止めに行った方が良いだろうか。と菰野が思った時、リルが叫んだ。