久居は、上がった呼吸を整えていた。
ひと通り、思いつく限りの方法を試してみたものの、まったく手応えがない。
何せ、すべての攻撃が飲み込まれてしまうのだ。
刀に整えた力でさえ、床に触れたところから姿を消してしまう。
しかし、床は、こうして立っている限りは揺るがない。
久居は床を軽く殴ってみた。
床には傷ひとつ付いていないが、そこに手応えはある。
(これしか、ありませんか……)
久居はため息を一つ吐くと、覚悟を決めた。
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殺気の主はラスだった。
反射的に伸ばした腕、その手に炎が集まる。
「いや! ちょっ! ま……」
後退るレイへ放たれる火球。
それを横からクザンが握り潰す。
「お前ぇぇぇ! 問答無用過ぎんだろ!!」
レイも何とか障壁くらいは間に合わせていたが、小屋が破壊されずに済んでホッとする。
「ううー……。おとーひゃんも、レイも、うるひゃい……」
足元から、リルが目をこしこしやりながら、嫌そうに顰めた顔を上げた。
そして久居を見る。
「久居、まだ寝てるの……?」
そっと久居の手を取る。やはり反応はない。
その手をぶんぶん振ってみるリルに、まだ力を注ぎ続けていたクオンがあわあわと慌てている。
「早く起きてよぅ……」
リルは、無反応な久居の手を、涙のこぼれそうな自分の目元に押し付けた。
後ろではラスとクザンが何やら言い合っていて、レイがあたふたしていたが、リルにはどうでも良い事だった。
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久居は、ガッ、ガッと音が響くほどに強く、同じ箇所へ、繰り返し正確に蹴りを入れていた。
蹴りの数が三桁に届く頃、床に傷らしいものが残り始める。
全くの無駄ではない様子に、少し心が軽くなる。
しかし、これ以上は脚を痛めそうだ。
なぜかこの空間では治癒が使えない。
久居は、利き腕を残して、左で殴る事にした。
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「あらあら、たくさんねぇ」
リリーは、小屋の前にいる人の数に、驚いた風に言う。
……本当に驚いているのかどうかは分からない顔で。
小屋の前には、クザン、リル、菰野、レイのいつもの面子の他に、ラス、サラ、クオンがいた。
横たわる久居も入れて八人、そこへ、リリーとフリーが来て、小屋前には十人もの人数がいる。
ラスだけは、既に二人に会っていたが、サラとクオンはこれが初対面だ。
フリーは、興味津々といった顔で、黒い翼の少女や、黒づくめの男を上から下まで眺めている。
「フリーさん、そんなに見ると失礼だよ」
まだ疲れを残した顔の菰野がそっと注意するも、フリーの耳に入ったかどうかは分からなかった。
冬の気配は近付いていたが、まだそこまでは寒くない晩秋。
お日さまが当たればポカポカしてくる。
空は高く、秋の色をして、どこまでも透き通っていた。
小屋では人が入りきらないからか、久居も外へ出されていた。
木の板を敷いて、その上へ布団ごと寝かされている。
布団が汚れないよう気を遣ってあるのを見るに、ラスが用意したのかも知れない。
全員外に出ろと言ったのはクザンだったが、クザンでは久居がそのまま外に転がされる事になっただろう。
挨拶がわりに、しばらくリリーを抱き締めていたクザンが、ようやく手を離してリリーを久居の前へ連れて行く。
「リリー、頼む」
「ええ」
と答えて、リリーが久居の隣に座る。
クザンは久居を挟んで反対側にあぐらをかいた。
「久居君、ちょっと失礼するわね」
リリーは久居の額にかかった髪を丁寧に避けると、その額に片手を置いた。
口の中で何やら唱えると、その手がふわりとほのかに光る。
もう片方の手は、周囲で見守る皆の方へ差し出した。
「久居君に声を届けたい人は、私の手を取って伝えてね」
そう言って、リリーは花のように可憐に微笑む。
「ボクやるー!」
と、小走りで駆け寄り、真っ先に手を取ったのはリルだった。
「久居、聞こえる? 早く帰って来てね」
リルが、全く考えないまま素直に話しだす。
「久居がいないと、ボクとってもとっても……淋しいよ……」
元気な声が、次第に涙に滲んでゆく。
「早く……目を覚まして、にっこり笑って……ぎゅってして……?
じゃないと、ボク……、悲しくて……涙が、止まらなくなっちゃうよ……久居ぃぃ……」
言葉の終わりは、大粒の涙で掠れてしまった。
久居の胸あたりに手をかざしているクザンは、久居の心拍数が上がった事に、手応えを感じる。
ボロボロ泣き出してしまったリルを、フリーが肩を抱いて回収する。
リリーはその小さな背を見送ってから、また皆を見回した。
「ええと、リルみたいに言葉に出さなくても、心で思ってくれれば大丈夫よ〜」
にっこりと微笑み、リルを失敗例として挙げると、皆へと手を差し出す。
小屋から「うわぁん」と泣き声がしたので、リルの耳にはしっかり届いたようだ。
菰野が前に出ようとするも、その前に出たのはレイだった。
「いいですか?」
とレイが思い詰めたような顔でリリーに尋ねる。
「ええどうぞ」
リリーが微笑んだ。
レイはそっとリリーの手を取ると、目を閉じる。
(久居、俺ちゃんとやれたぞ! お前の計画通り、上で英雄になってきた!!)
レイは、ぐっと口を引き結んでいる。
(この騒ぎのおかげで、俺は義兄に記憶を封されずに済んだ。……まあ、この後どうなるかはまだ分からないが。今、俺の記憶が残ってるのは、本当に……久居のおかげだよ……。心から感謝してる)
感情を込め過ぎてか、レイがやはり眉間に寄せたしわの周辺から顔を赤くする。
(っ、だから! お前も早く戻って来いよ! 俺は、起きてる久居に礼が言いたいんだよ!!)
赤い顔になったレイが、眉を寄せたままに、リリーに礼を告げて手を離す。
クザンは、久居の指先が僅かに動いたのを確認した。
菰野が前に出ようとするのを、ニヤッと楽しげに笑ってクザンが制する。
「待て待て。お前が声かけたら終わんだろ。お前は最後だ」
「えっ……」
菰野が、起こしているのでは??? という顔でクザンを見るが、クザンはニヤニヤと笑いながら顎で後ろを指した。
そこには何か言いたげな、でも言い出せそうにない様子でもじもじしているクオンが居た。
周りをよく見れば、ラスはもう先が読めたのか、姿が見えない。
フリーと、泣き止んだらしいリルは、いつの間にか大きな食卓にお菓子を広げ始めている。
菰野は、期待が溢れて零れそうな瞳で、クザンを見上げた。
「ああ、多分、お前が呼んでやれば大丈夫だろ。あの男のために、もう少し待てるな?」
「はい!」
菰野は、喜びを隠す事なく微笑んだ。