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57話 転倒(中編)

久居は、上がった呼吸を整えていた。

ひと通り、思いつく限りの方法を試してみたものの、まったく手応えがない。


何せ、すべての攻撃が飲み込まれてしまうのだ。

刀に整えた力でさえ、床に触れたところから姿を消してしまう。


しかし、床は、こうして立っている限りは揺るがない。


久居は床を軽く殴ってみた。

床には傷ひとつ付いていないが、そこに手応えはある。


(これしか、ありませんか……)


久居はため息を一つ吐くと、覚悟を決めた。


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殺気の主はラスだった。

反射的に伸ばした腕、その手に炎が集まる。


「いや! ちょっ! ま……」

後退るレイへ放たれる火球。

それを横からクザンが握り潰す。


「お前ぇぇぇ! 問答無用過ぎんだろ!!」


レイも何とか障壁くらいは間に合わせていたが、小屋が破壊されずに済んでホッとする。


「ううー……。おとーひゃんも、レイも、うるひゃい……」

足元から、リルが目をこしこしやりながら、嫌そうに顰めた顔を上げた。

そして久居を見る。

「久居、まだ寝てるの……?」

そっと久居の手を取る。やはり反応はない。

その手をぶんぶん振ってみるリルに、まだ力を注ぎ続けていたクオンがあわあわと慌てている。

「早く起きてよぅ……」

リルは、無反応な久居の手を、涙のこぼれそうな自分の目元に押し付けた。


後ろではラスとクザンが何やら言い合っていて、レイがあたふたしていたが、リルにはどうでも良い事だった。


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久居は、ガッ、ガッと音が響くほどに強く、同じ箇所へ、繰り返し正確に蹴りを入れていた。

蹴りの数が三桁に届く頃、床に傷らしいものが残り始める。


全くの無駄ではない様子に、少し心が軽くなる。


しかし、これ以上は脚を痛めそうだ。

なぜかこの空間では治癒が使えない。

久居は、利き腕を残して、左で殴る事にした。


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「あらあら、たくさんねぇ」

リリーは、小屋の前にいる人の数に、驚いた風に言う。

……本当に驚いているのかどうかは分からない顔で。


小屋の前には、クザン、リル、菰野、レイのいつもの面子の他に、ラス、サラ、クオンがいた。

横たわる久居も入れて八人、そこへ、リリーとフリーが来て、小屋前には十人もの人数がいる。


ラスだけは、既に二人に会っていたが、サラとクオンはこれが初対面だ。


フリーは、興味津々といった顔で、黒い翼の少女や、黒づくめの男を上から下まで眺めている。

「フリーさん、そんなに見ると失礼だよ」

まだ疲れを残した顔の菰野がそっと注意するも、フリーの耳に入ったかどうかは分からなかった。


冬の気配は近付いていたが、まだそこまでは寒くない晩秋。

お日さまが当たればポカポカしてくる。

空は高く、秋の色をして、どこまでも透き通っていた。


小屋では人が入りきらないからか、久居も外へ出されていた。

木の板を敷いて、その上へ布団ごと寝かされている。


布団が汚れないよう気を遣ってあるのを見るに、ラスが用意したのかも知れない。

全員外に出ろと言ったのはクザンだったが、クザンでは久居がそのまま外に転がされる事になっただろう。


挨拶がわりに、しばらくリリーを抱き締めていたクザンが、ようやく手を離してリリーを久居の前へ連れて行く。

「リリー、頼む」

「ええ」

と答えて、リリーが久居の隣に座る。

クザンは久居を挟んで反対側にあぐらをかいた。

「久居君、ちょっと失礼するわね」

リリーは久居の額にかかった髪を丁寧に避けると、その額に片手を置いた。

口の中で何やら唱えると、その手がふわりとほのかに光る。

もう片方の手は、周囲で見守る皆の方へ差し出した。


「久居君に声を届けたい人は、私の手を取って伝えてね」

そう言って、リリーは花のように可憐に微笑む。


「ボクやるー!」

と、小走りで駆け寄り、真っ先に手を取ったのはリルだった。

「久居、聞こえる? 早く帰って来てね」

リルが、全く考えないまま素直に話しだす。

「久居がいないと、ボクとってもとっても……淋しいよ……」

元気な声が、次第に涙に滲んでゆく。

「早く……目を覚まして、にっこり笑って……ぎゅってして……?

 じゃないと、ボク……、悲しくて……涙が、止まらなくなっちゃうよ……久居ぃぃ……」

言葉の終わりは、大粒の涙で掠れてしまった。


久居の胸あたりに手をかざしているクザンは、久居の心拍数が上がった事に、手応えを感じる。


ボロボロ泣き出してしまったリルを、フリーが肩を抱いて回収する。

リリーはその小さな背を見送ってから、また皆を見回した。

「ええと、リルみたいに言葉に出さなくても、心で思ってくれれば大丈夫よ〜」

にっこりと微笑み、リルを失敗例として挙げると、皆へと手を差し出す。

小屋から「うわぁん」と泣き声がしたので、リルの耳にはしっかり届いたようだ。


菰野が前に出ようとするも、その前に出たのはレイだった。


「いいですか?」

とレイが思い詰めたような顔でリリーに尋ねる。

「ええどうぞ」

リリーが微笑んだ。

レイはそっとリリーの手を取ると、目を閉じる。

(久居、俺ちゃんとやれたぞ! お前の計画通り、上で英雄になってきた!!)

レイは、ぐっと口を引き結んでいる。

(この騒ぎのおかげで、俺は義兄に記憶を封されずに済んだ。……まあ、この後どうなるかはまだ分からないが。今、俺の記憶が残ってるのは、本当に……久居のおかげだよ……。心から感謝してる)

感情を込め過ぎてか、レイがやはり眉間に寄せたしわの周辺から顔を赤くする。

(っ、だから! お前も早く戻って来いよ! 俺は、起きてる久居に礼が言いたいんだよ!!)

赤い顔になったレイが、眉を寄せたままに、リリーに礼を告げて手を離す。


クザンは、久居の指先が僅かに動いたのを確認した。


菰野が前に出ようとするのを、ニヤッと楽しげに笑ってクザンが制する。

「待て待て。お前が声かけたら終わんだろ。お前は最後だ」

「えっ……」

菰野が、起こしているのでは??? という顔でクザンを見るが、クザンはニヤニヤと笑いながら顎で後ろを指した。


そこには何か言いたげな、でも言い出せそうにない様子でもじもじしているクオンが居た。


周りをよく見れば、ラスはもう先が読めたのか、姿が見えない。

フリーと、泣き止んだらしいリルは、いつの間にか大きな食卓にお菓子を広げ始めている。

菰野は、期待が溢れて零れそうな瞳で、クザンを見上げた。

「ああ、多分、お前が呼んでやれば大丈夫だろ。あの男のために、もう少し待てるな?」

「はい!」

菰野は、喜びを隠す事なく微笑んだ。


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