久居は真っ白い空間を、一人歩いていた。
久居へと注がれる力は、今も全身にビリビリと細い針で刺すような、痺れに似た痛みを伝えている。
それでも、体力が少し戻り、動けるようになった事が有難い。
一時間ほど歩いただろうか。
右を見ても左を見ても、周りの景色は変わらない。
遥か遠くまで眺めるも、やはり景色は変わりそうになかった。
ここから出るためには、この空間を何とかして打ち破るしかないのかも知れない。
一息、息を吐き、膝をつく。
真っ白で、傷もくすみもない、そんな平らな床。
撫でてみても、その材質はよく分からなかった。
陶器のような手触りではあったが、ヒヤリとはしない。
触れた温度としては、紙のような感じだろうか。
先ほど四方へ玉を放った際、この床は音も立てずに玉を吸い込んだ。
次も同じ結果になるだけかも知れない。
それに、この下がどうなっているのかも分からない。
けれど、手が届くのはここしかなかった。
(床を崩す他無さそうですね……)
久居は、そのための手段を講ずる事にした。
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翌朝、朝日と共に小屋の戸を開けたのは、レイだった。
「うわ、何だ。満員だな……」
布団を三枚敷いたらいっぱいになる部屋には、布団に横たわっている久居と、その横にペタッとくっついてリルが寝ている。
枕元では、菰野も膝を抱えて寝ているようだし、こちらは起きてはいたが、なぜかサラまで来ている。
それにもう一人、見たことのない人物が久居に手を当てていた。
なんだか久居に似た見た目の、見たことのない人物は、こちらを見て、レイの天使らしいシルエットに一瞬怯えを見せたが、すぐにサラがその背をさすって落ち着かせていた。
「大丈夫……。もし、お兄ちゃんが父さんを攻撃するなら、私が倒すから」
その言葉にレイが慌てる
「い、いやいや、攻撃しな……って父さんってなんだ!?」
「んー……レイうるしゃいぃ……」
「ぅ、すまない……」
リルに突っ込まれて、叫んだレイが小さくなる。
「寒い、閉めて」
「……すまん……」
サラに言われて、開けたままだった戸を、レイが閉めようとする。
「いっ……」
一瞬手を引っ込めて、それから、両手の甲側を使ってレイは戸を閉めた。
「……怪我してるの?」
サラに言われて、レイが返事に迷う。
「いや、まあ……」
そう言って、レイは両手を背中に隠した。
その時、奥の部屋からクザンが顔を出す。
「おー、お前か、お疲れさん。つか遅えんだよ」
いかにも寝起きという感じのボサボサの髪で、頭とお腹を両手でそれぞれ掻きながら出てきたクザンが、労いに文句を繋げる。
「はあ。その、すみません……」
とりあえず謝るレイの手をクザンがぐいと取った。
「い゛いっーー……!!!」
レイが悲鳴を飲み込もうとして息を止める。
先ほどリルに、うるさいと叱られたばかりだ。
サラがクザンへ鋭い殺気を放つ。
「火傷か? ……まだ中ドロドロじゃねぇか。ほら座れ」
レイをその場に座らせると、クザンが治癒を始める。
「ありがとうございます……」
申し訳なさそうに俯くレイ。
サラが静かに殺気を収めた。
「一回傷口開くから痛いぞ。まったく、治療まで済ませてから来いよ」と言うクザンに
「どうしても……先に久居の状態を確認しておきたくて」とレイがしょんぼり答える。
「久居は、今んとこ生きてるが……」
そこまで伝えてから、クザンはぐいとレイに顔を寄せ、小声で言った。
「つかお前の妹、大丈夫か? いきなり殺る気だったぞ?」
「いやまあ、その……、すみません……」
レイが何か言おうとして、諦めて、代わりに謝った。
サラはずっと、敵だらけのところで生きてきたのだろう。
殺さなくては、自分が殺されるような生活だったのかも知れない。
しかし、それをクザンに言っても仕方がない。
それきり黙ってしまったレイだったが、実は、気を抜くと口元が緩んでしまいそうだった。
正直、サラが自分の心配をしてくれた事は、意外だったが、すこぶる嬉しい。
だが、レイには、自分が感情をすぐ顔に出すタイプであるという自覚があった。
やっと再会した妹に、だらしない顔は見られたくない。
そんなわけで、レイはとにかく顔が落ち着くまで、サラに背を向けたまま黙っていようと思った。
クザンは、目の前で俯いて赤くなったり青くなったりまた赤くなったりしているレイを(難儀なやつだな)と思いつつも、黙って治癒してやる。
「よし、終わりだ。動かしてみろ。引っかかるとこぁねーか?」
クザンの言葉に、レイは両手の動きを確認した。
「……いや、完全に元通りです。ありがとうございました」
嬉しそうに返事をするレイの肩をバシッと叩いてクザンが言った。
「お前はしっかり水分摂れよ。全然足りてねぇぞ」
言われてみれば、確かに喉がカラカラだ。
それに、昨日からずっと、汗をかき続けていた気がする。
「は、はい、ありがとうございます……」
頭を下げたレイに、鋭い殺気が飛んできた。